美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/01/29(月) 40年前の美観地区日記より。 三十三回
 それほど彼等の標榜する理念、理想が魅力的だったのだ。

 ついには俺も病、膏に達し大阪の和泉橋本にチビグロなる者とコミューンを造るまであい到るのだが、この「アーチ」と名乗る男にはトント記憶がないのだ。そこはそこだ。「一杯飲みにいこう」ですぐ友達になれるがヒッピーの良いところである。
 
 ではヒッピーとは何者なのか。それはジャズ用語のヒップ「調子をあわせる」ヒップト「熱中した」が語源だという説があり、ハピー「幸福」が崩れたのだと云う奴も居る。

 しかし、それは名前上だけで思想的にはヨーロッパで始まった実存主義の影響を受けていると言ってよい。

 50年代のアメリカに規範や普遍的価値を否定し自己の個性、一回的な価値を重視する実存的な風俗や生き方が流行し始めた。やがてここからヒップスターやビートニクと呼ばれる人々が生まれ、60年代になってそれがさらにヒッピーへと発展するのである。
とくに詩人アレン・ギンズバークが「吠える」を出版後、ヒンズー教のメッカであるベナレスで修業、60年帰国して「ヒッピーの聖者」として熱狂的に祭り上げられるのだ。

 彼等の経典は「ホール・アース・カタログ」「ビー・ヒア・ナウ」「ド・フアンの教え」「ボランタリー・シンプリシティ」等でそれらは人と自然との共存共生、自発的簡素、自他愛、相互扶助を説いたものである。一言でいえば「自然に帰れ」が彼等の唯一の主張なのである。


以下、写真は・・・
1967年10月ペンタゴンで銃口に花をさす反戦デモ参加者たち。


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