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2007/01/25(木)
40年前の美観地区日記より。 二十九回
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I 作家・井上靖氏に可愛がられた淑恵ちゃん
「踊るアホに見るアホ、同じアホなら踊らなソンソン」
この歌は徳島阿波踊りであり、オランダのヤン、その愛人・淑恵ちゃんに始めて会ったのはこの地であった。 何しろこの踊りは毎年百七・八十万人訪れる大祭で、大道ニガオエ師にとって仙台七夕に次ぎ、稼ぎの宝庫となっている。故にここにか、仙台七夕に顔を見せない大道絵師は死んだか、精神病院あるいは刑務所に収容されていると言っても過言ではない。 また阿波踊りの情熱的テンポがリオのカーニバルに似ているせいか、外国人ヒッピーも大勢集まってくる。 まさにメルシー、タック、プレゴ、パラカロー、バクシーシ、ニイ・ハオ、それにドウモ等などが飛び交い言葉の大雑炊だ。 はては「エライヤッチャ、エライヤッチャ」の渦中で甘過に達していくのである。 ここにはもう、とっくの昔にベルリンの壁は取り払われ、三十八度線も、アパルトヘイトもなく、もしダダイスト・辻潤が生きていたら「これこそコスモポリニック・バンクェシェットだ!」と弾むような文体で書いてくれるだろう。 その中でも突出したコスモポリタンはいわずと知れたヤンであって、観光客より貰った一升ビンを回し飲みするのである。そのあげくクラッカーを鳴らし、酒を飲み干すとガチャンと路上に叩きつけ、これがドイツのポータ・アーベント式祭りの礼儀だと澄ましたものだ。 そして突然「トラ、トラ、トラ」と叫びなから俺に抱きつき人ごみの少ない所へ連れていく。無論、淑恵ちゃんも一緒だ。 「トラ、トラ、トラ」とは真珠湾攻撃の際、艦上攻撃隊総指揮官・淵田中佐の「奇襲成功」の「ト連送」であり、それをどうして俺を呼ぶのか。 ただ、日本の祭りをニガオエを描きながら歩いたのも俺が最初であり、スターのサンプルを大量に売り出したのもこの俺であり、ここ倉敷美観地区でニガオエをやったのも俺が最初であった。 中国に「隗より始めよ」と言う諺がある如く、常に率先してやって来た。安手の「洞ヶ峠」は俺の気性に合わないのだ。故に「トラ、トラ、トラ」なのだと思っていたところ、淑恵通詞の言うことにゃ酔っ払いの大トラ、つまりトラの三乗からのニックネームと聞き、苦笑せざるを得なかった。
ところでヤンの話しは絵を描いて貰えないか、との事である。なんでも今、売っている絵はフランス人のマックから仕入れているそうだが、原価を大幅に値上げされ、その上マックらが商売している場所でやらないでほしい、と言われたそうだ。 しかし、そんな事はどうでもよい。俺には他に魂胆があったのだ。T市へ・・・ピュリタンのロバのごとく扱われているT市へ、この外人と美しい女を連れて行くと思うだけ涙が出るほど嬉しく、珍宝の先がキューンと痛むのだ。 内容空疎の連中がブランド物を身につけたり、高級車を乗り回すのと同じ悲しい虚栄であった。
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