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2007/01/24(水)
40年前の美観地区日記より。 二十八回
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ここで乞食エカキの思うのは駅や言葉や医学だけでなく、どうしてエラスムスやスピノザの思想を移入しなかったのか残念で仕方がない。 彼等の「隣人を愛せよ」という命題が巷にもっといきわたってたら、今度の戦争もまた違った形で推移したのではないのかと、云う妄想がオランダの風車のごとくクルクル回るのだ。 読者の目もクルクル回るであろう。 倉敷のスカンク親父はカンカンだろう。 ヒョッとすると酒を返せとも云いかねないので駆け足でヤン君を南下させる。南へ南へ・・・
南に下がると自然インドに行きあたる。 そこでギンズバークがヒンズー教に没入したというベナレスに住んだが、どうも論理実証型のオランダ人にはしっくりこない。 金も尽きる。 今度はブラジルの奥地で砂金が沢山出るというので、かの地に赴くが失敗・・・・・・・ まさにピッピーとなれはて、西のヒッピーのメッカ・サンフランシスコのアシュベリーから、日本の新宿風月堂、京都アシュラム、徳島・阿波踊りで俺と相まみれる筋書きである。 まさにヤンはワーグナーの歌う「さまよえるオランダ人」の典型だろう。 ほかにも俺の「トラ・トラ・トラ」の名前の由来やヤンの愛人・淑恵ちゃんについて書きたかったが紙数が尽きた。 酔いも醒め果てた。 お互い命あらば次回が優曇華の幕開けだ。
乞食エカキしっかりしろ。
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