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2007/01/23(火)
40年前の美観地区日記より。 二十七回
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いわんや「世界は神によって作られたが、オランダはオランダ自身が造った」という自負があり、と同時に彼等の人種平等感は筋金入りだ。この最もおおきな理由は先哲エラスムスの「国家主義よりも、世界の人々はすべて同胞として考えることの方が賢明である」を堅持していることである。 たとえば宗教亡命者やベトナム戦争脱走兵、反インドネシア人が住み付いても「彼らが何かオランダのため、提供できるものを持っていれば・・・」と深く追求はしない。それを取り調べる警官でさえ肩まで髪が伸びている。と言ってヤンは笑う。 彼らは人や市場を保護主義で固めるという事の「愚」を知っている。過去、繁栄していた国なり文明が、内部の力を失ってそのまま滅亡してしまうケースを知悉しているのだ。 その点、いま日本も他者との衝突を回避してばかりでなく、「難民や外国労働者問題など」外部世界から異物を取り込み衝突することで活性化しなければ、所詮、過保護の元ではモヤッシ子しか育立たない事を認識しなければならぬ時期に来ているのではないだろうか。
またヤンは東京駅がアムステルダム中央駅にソックリだという。さもありなん。アムステルダム駅に模して造った物であり、コーヒ、ゴム、ビスケット、オーテンバー「お転婆」ヤーヨース「八重州」博多ドンダッハ「どんたく」半ドン、ダッチワイフ等など、言葉は元よりオランダに恩恵を受けたものが一杯ある。 とくに旧幕時代、蘭学者といえば長崎の出島を通じオランダの医学に接したことであり、その先覚者であった宇田川玄随、箕作阮浦、緒方洪庵、皆、知る人ぞ知る岡山出身者である。 ほかにも蘭学の祖シーボルトの娘イネと結ばれ、一女タカをもうけた美作勝山の石井宗謙、やはり門人・石坂桑亀は福渡の出であるが、倉敷の富豪・大橋家に招かれ倉敷に移っている。 あるアイドル歌手が津山に来たとき、司会者より「印象は?」と聞かれ「病院ばかり眼につきました」と答え皆の失笑を買ったというが、たしかに岡山は和気広世が「薬経太素」を著して以来、医学と宗教の宝庫なのであろう。
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