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2007/01/22(月)
40年前の美観地区日記より。 二十六回
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このヤンは日本人に誤解されそうなキンタマーニという地方出身で弁護士を心ざしていたが、ある時アムステルダムのダム広場を通りかかると、各国から来たヒッピー達で満員だ。そんな一人からヒッピーの教祖と言われるアレン・ギンズバークの長編詩「吠える」を読まされ衝撃を受けるのである。 人間精神に目覚めたというより、先祖が世界最大の商業国、貿易国として世界に股を駆け船をあやつっていた頃の血が騒ぎだしたのだろう。学校を即、退学してフランスへ行くのだ。
そのパリはセーヌ川のほとり、前衛劇で有名なユシュット座側にシェ・ポポフというカフェ・レストランがあり、ここがヨーロッパでのヒッピーの拠点で悪くいえば麻薬ルートの拠点でもあった。 ここにおいて、どこそこに行けば何々と情報が入り、たとえば日本場合・新宿風月堂なのである。 そこで色チョークで歩道に絵を描けば金をくれる事を知り、旅費が出来ると南下していくのである。 そうじてオランダ人は社交上手で多国語を自由に操り、商品一つ売るにしても相手の言葉を使った方が得策であるという世態、奥義に通じた紅毛だ。ゆえに結構稼げたと言うのがヤンの述懐であった・・・・・・
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