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2007/01/21(日)
40年前の美観地区日記より。 二十五回
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H 彷徨えるオランダ人・ヤン君
陽の当たらぬ隠居所みたいな部屋で、死人の肖像画を描きつつ籠鳥のように生きていたことは前に話しをした。無論、無為徒食ではない。ナマコでさえ何もしない面構えをしておりなからチャンと生殖活動はしているのだ。 俺はナマコに励まされ、F先生に援助され、津山の釣鐘堂の二階に美術研究所を作ったが、部族、外人ヒッピー、べ平連の連中で百花争鳴、ついに梁山泊となれ果て、一年ほどで自然消滅していくのである。所詮、俺のような強烈な性癖を持つ者は、絵などを教え金をとる行為は所詮無理なようである。 また地方では我々風来坊を「余所者」と呼び忌み嫌うのだ。渡り鳥のような旅へと彷徨い歩くボウフラみたいな輩から、鞭打たれつつ尚、黙々として働き苦しみ喘ぐ俺達の生活に何も教えて貰うことはない。お前らこそ覚醒される方だと訂正する方が良いと殴りかぬな勢いなのだ。 このごとく余所者が自ら決断して行うものを異端児として封じこめようとする。かくしてクリシス海岸に泳いだピュウリダンのロバは「パリサイの徒」と「信仰の徒」からユダのよう見られたように、所詮我々もそういうスキャンダルなモンタジューの人間の影なのだろう。 それ以来俺はタニシのようになった。母屋にいるホリエ門爺さんと会っても無駄口をたたくこともなかった。ただ彼は朝五時になると判で押したように隠居所の横にある井戸でニワトリが絞め殺されたような声で洗面するのである。俺は毎朝この天の岩戸のオーケストラで眼を醒まし、またウトウトするのだ。 ところが今日は「トラ・トラ・トラ」」の間奏曲が入るので、万年床を蹴り上げ破れ障子から覗いて見ると「おーっ、なんとヤン君と淑恵ちゃんじゃないか」取るもとりあえず「ダーァ!」「ダーァ!」と叫んで抱きつくのは何時ものごとしだ。「ダーァ」とはオランダ語で「こんにちわ、さょうなら」など両方とも使える便利な言葉なのである。
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