美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2007/01/19(金) 40年前の美観地区日記より。 二十三回
 同棲していた時だ。イタリアの画家・コレッジョの油絵を見て唖然とした事がある。
 それは三人の女が木に縛りつけられている男の側に喰っ付いている絵であり、「情欲」という女は男を挑発しており、「悪習」という女は男を枝に釘付けにしており、「嫌悪」という女は男の脇腹に毒蛇をあてがおうとしているのだ。その男の顔は創造を行う能力を諦めきって柔弱遊惰に溺れきっている。束縛に甘んじ隷属している。壊れた時計みたいに意思のゼンマイが緩みきっている。こういった事が同一の画面に全部表現されているのだ。
 俺はこの絵を見てこの画家の霊筆に驚嘆し、女には一言も告げず旅に出たゲーテや吉田兼好を想起した。ゲーテは正しかったのだ。彼は恋に取り憑かれると取るもとりあえず旅に出ている。そして結果から言えばうまく恋愛の危機をかわし「マリエンバート恋歌」を書き上げているのである。七十四歳の男が不滅の作品に昇華させたのは恐れいるばかりだ。立場が違うが釈迦しかり、シェクスピアしかり、兼好しかり、フーテンの寅・・・・etcだ。

 このように古今東西創造者は女性を冷罵する事は常てあった。釈迦は力をこめて女人を罵り、シエクスピアは往々女人に関して飽き足らぬ語気を吐き、兼好は妻という者は男の持つまじき物なれと固定せる結婚生活を罵っておる。凡人にすれば何と不自然な連中だろうと思うだろうが、無論その反動として女を捨てたヴァガボンドとなって生きるより仕方ない宿命を背負っているのである。
 女のいない男は糸の切れた凧、錨を落とした船に等しく、あてどもなく彷徨い、寄るべき港もなく漂うのだ。
 しかし、そこにこそ創造者の心そのモノの凝視があり、真理があるのではないか。
 そしてかかる孤独に透徹する人間は個人の実在から直ちに人類の根源的実在に相呼応できるのでのではないだろうか。
 過去、何万何億のヴァガボンドが天国に至り得ず、空しく一人荒野を歩き地獄にのたうち廻るにしても、この道が創造者の使命を発する道に通じている事は確かなようである・・・・・


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