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2007/01/15(月)
40年前の美観地区日記より。 十九回
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「唯一不二の自我人はルンペンでなければいけない」とマックス・ステルナーは言った。 大道絵師も仮にルンペンにならないまでも、出来るだけ零落する事が要求される。何故なら零落すればするほど世間という名の自己以外のモノが削り落とされていき、零落の段階に応じてしだいに自己は自由気儘なモノとして開放されていくからである。
「人は如何に生くべきか」など、エセ知識人どもが饒舌に多くの知識を振りかざして説こうとも結局、我々に何の解明をも与えないという事実を悟るべきである。
人間は愚かなのだ。一生そのものが愚行で充満していると言った方が至当であり、愚行を犯すまいと努力すること自体が愚考だと考えたほうがよいのだ。 その事を知悉していたのが愚を愛し、愚にあこがれ、この岡山の円通寺で修業した良寛で、夏目漱石の言う「則天去私」であろう。 くどいようだが悲しいかな大学や図書館、エセ知識人から答えは出ない。大道「自然」が答えてくれるのだ。
ゆえに俺は大道こそ我が画室であり、修業場でありたいと願う。
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