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2006/09/07(木)
大阪市立美術研究所・雑感 85
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現代の芸術が壁にぶち当たっていることは事実であろう。「事実は小説より奇なり」という俗諺があるように、現代社会は目回るしく変わって捕えどころがない。そこに人の思いつかないような事件が多発している。芸術より社会の方がどんどん先を行っているのだから、芸術家が壁にぶち当たるのも当然であろう。 すれば、どうすれば良いか。初心に帰るのである。故にここに小出楢重氏の「油絵新技法」を紹介して、「大阪市立美術研究所・雑感」を締めくくる事にする。
油絵新技法 小出楢重
序言
日本の油絵も、ようやくパリのそれと多くの距離を有(も)たぬようにまで達しつつある事は素晴らしき進歩であると思う。だがしかし、新らしき芸術の颱風(たいふう)は常に巴里(パリ)に発生している。まだ日本は発祥の地ではあり得ない事は遺憾であるが、それはまだ新らしき日本が絵画芸術のみならずあらゆる文化が今急速に新らしく組み立てられつつ動いて行く工事場の混乱を示している最中である。今あらゆる新らしきものを速かに吸収消化する能力こそ、若き日本人の生命であるともいえる。だが新らしき日本へ新らしき花を発祥させるには根のない木を植えてはいけない。一本の松は地下にどれだけ驚くべき根を拡げているかを調べてみるがいい。芸術はカフェーの店頭を飾るべき紙製の桜であってはならない。しかしややもすると、新日本文化は紙の桜となりがちである。それが最も気にかかる事だ。 この書は、技法そのものについて、例えば新らしき芸術を作るには砂糖幾瓦(グラム)、メリケン粉、塩何匁(もんめ)、フライパンに入れて、といった風の調理法を説かなかった。あらゆる画家の修業は図書館では行わないものである。 彼らはミュゼーと、そしてモデルと、石膏と、風景から、伝心的に技法を悟ったに過ぎないと私は思っている。そこで、私は現代にあって、最も困難な絵画芸術に志す若き人たちに対して、この工事中の混乱に向うべき心構えについて、いささか私の考えを不完全ながら述べたつもりである。そして、それから先きの仕事は私の関する処でない。
昭和五年九月
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