美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/09/03(日) 大阪市立美術研究所・雑感 81
馬場 一碧
1931年 旅順生まれ
1961年 大阪市立美術研究所 全関西展
1963年 日本美術会 日本アンデパンダン展
1969年 初個展 白鳳梅田画廊
1739年 大阪府美術家協会創立参加
1976年 個展 中近東 ヨーロッパ研修
1980年 個展 奈良近鉄 大和と近江の風景
1985年 個展 大阪現美センター
1986年 個展 奈良シルクロード博ギャラリー
1990年 個展25 ワークスピリット展
現在 日本美術家連盟 創人会会員

創人会代表、増井氏談

馬場一碧氏との出会いは遠くではなく、創人会発足間もなく、故中野洋先生を介して第一回展を開催したときに始まる。

馬場さんは創人会の発会時に事務局長として努力されていた。

型破りの個性と中国趣味を軸とした独自の画風で創人会を運営されてた。

 会を創設され発展を願いつつ亡くなられた中野先生は物心共にこの会に力を居くされたが、写実の伝統に培われ、藤島武二の薫陶を受けて人物画に高雅な作風を築かれた中野先生は、馬場氏に厳しい批判をされ続けられたようです。

人物画に於けるデッサンの確かさ構図上の問題、ヴアルールの問題等、中野先生から見れば意に添わないことが多かったようです。

馬場さんの絵には、そのような規範の類はあてはまらなかったようである。

野人というか自由人というか、とにかく破掟の画家であろう。

 モデルを前にして絵を描くとき、似類絵かきであろうと大画家であろうと多かれ少なかれ、文寸象モデルに似させたいという意識から離れ切ることはない。

その点彼は例外でどんどん自らの美意識に向かってすすんで行く。

そこにはモデルとは別の世界がひろがっていく。

写実の手浣をとりながらダイナミックで常識にとらわれない表現は時として線や色が躍り出した迫力となっている。

 このルールからはみ出した表現は一定の積み重ねがあった時に評価が定まるものではなかろうか。

彼の場合、既に開花し早くしていたのか。

或いはもう少し続けていくと馬場芸術へと達成され得たのか。

残念ながら今となっては如何とも言い難い。

 思いもかけなしい死であった。

彼の作品のなかにある新しい芽生えの可能性を探りたいと思う。


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