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2006/09/28(木)
浦上玉堂
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浦上玉堂 (うらがみ ぎょくどう、延享2年(1745年) - 文政3年9月4日(1820年10月10日))は、江戸時代の文人画家。
1745(延享2)年、岡山藩の支藩鴨方藩の藩邸に生まれる。若年より、学問、詩文、琴などに親しむ。35歳のとき、中国・明の顧元昭作と伝わる「玉堂清韻」の銘のある名琴を入手したことから「玉堂」を名乗るようになる。鴨方藩の上級藩士であったが、詩書画にふける生活を送っていたことから、周囲の評判は芳しくなかったらしい。50歳のとき、武士を捨て、2人の子供(春琴と秋琴)を連れて脱藩(妻はその2年ほど前に亡くなっていた)。以後は絵画と琴を友に諸国を放浪、晩年は京都に落ち着いて、文人画家として風流三昧の生活を送る。代表作の「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は川端康成の愛蔵品としてしられる。
箏を弾き続ける榊記彌栄は、箏自体が「音身」であることに 畏れをかんじないではいられない、と言う。 すれば、江戸時代後期に生きた画家、浦上玉堂に思いを馳せざるを得ないのだ。 彼もまた類い稀なる琴士でもあった‥琴の魅力にとりつかれた一人である。 玉堂は云う… 「但琴中の趣を得れば何ぞ弦上の音を労せん」、 また「物に托して興を起し、境に拠って法を生ず…」…と。 大自然の中を琴をたずさえ放浪したこの天才画家を思うとき、 今と昔が時空の中で交差し、陽炎となって立ち昇る・・・
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