美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/09/25(月) 若者に官指導ではない発言の場を・・
本日も美観地区ではクラッシックcarニバルというアクションが行われていました。
 現在の青年たちは色々情念をもっているが、発言の場がないのが現状でしょう。故に芸術、芸能も衰退の一体をたどるのは当たり前で、もっと大道で官指導ではなく、自発的発言の場を作ってやるべきではないてしょうか。

 かつて江戸時代の日本では、浮世風呂や浮世床のような町民が自由に話し、くつろげる社交場が賑わった。17世紀のフランスのサロンは、ジャンルを超えた自由な思考や出会いの場であり、楽しみを共有しながら、相互に交流できる集まりであった。サロンの本質は、「会話」であり、会話を通じて、人を楽しませ、自分も楽しむことに最大の目的がある。そこから新しい価値が生まれ、さらに、ある種のマーケットが生まれてくる。

現代では、カフェや公共施設、ホールなどであるが、ストリートの商店街そのものや、地域の小公園など、住民だけでなく、来訪者や旅行者などにも開かれた憩いの場の存在が、その街の魅力を決定付けるといえる。そのような場の再生と集積が課題である。

また、オルデンバーグは、“Third Place”にふさわしいものとして、「スロー」であることをあげ、脅かすものとして、ファーストフードのような急いでものごとを済ます手法をあげている。最近、スローフードやスローライフが注目されているが、必然的な時代の潮流なのかもしれない。

このような試みを地域やコミュニティの形成に繋げていくことにより、街の賑わいとビジネス機会の拡大が期待できる。


例えば倉敷市美観地区では・・・

倉敷市の美観地区(倉敷川畔伝統的建造物群保存地区)の形成は、戦後、クラレ社長の大原総一郎が、「倉敷を日本のローテンブルグにしよう」と、町並み保存を呼びかけたことが大きな原動力となっている。西ドイツ南部の中世都市の面影を色濃く残すローテンブルグは、大原氏がドイツ留学中に感銘をうけた観光地で、第二次世界大戦で焼失した町並みを見事に復元し、歴史が市民の生活の中に活かされていることに彼は感動したのである。

今日の美観地区への発展の歴史は、倉敷川の水運と備中綿の活用による倉敷紡績所を創業した大原孝四郎に遡る。そして、父の興した紡績業に金融業を加えて企業を発展させ、西洋美術に関心をもち、日本で最初の西洋絵画の公開コレクションである大原美術館を開設した大原孫三郎、さらに、孫三郎の遺志と遺産を継承し、美術館を増築し、民芸運動の理解者となり、また、倉敷国際ホテルの設計やアイビー・スクエア、古民家などの再生設計をすすめた同郷の建築家浦辺鎮太郎のパトロンとして、ローテンブルグ構想を実現させた総一郎へと続いたのである。

倉敷には、天領として繁栄した富裕な土地柄が土壌としてあり、江戸時代から進取の気風を養い、強い独立心をもった市民意識を育ててきた。そのような伝統、恵まれた資産と、すぐれたリーダー、町並み保存の思想と実践が、現在の倉敷を形づくっているのである。


文化発信の場としての地方

倉敷は、音楽でも、戦後間もない昭和25年に、フランスからピアニストを迎えて演奏会を開くなど、早くから世界と繋がり、地方の国際文化交流の先駆けとなった。その後も特にロシアの音楽家達との深い交流があり、この街を愛するリヒテルやロストロポーヴィチらが何度も訪れるなど、地方の文化活動の重要な拠点となっている。

現在の大原美術館理事長、大原謙一郎氏は、「文化の世紀といわれる今世紀において、首都東京が、世界に発するメッセージは決して多くない。しかし、地方は世界に訴えたい多くのものを持っている」と語る。

日本ではあらゆるものが東京に集中しているようにみえる。政府機関や企業の本社、メディアも文化的イベントも東京に吸引されている。しかし、それは「あらゆるもの」ではない。権力やお金以外の「よきもの」とは、わたしたち日本人の心と生活――日本の文化、歴史、伝統、風習、年中行事などの中に息づくものである。

一見、あらゆるものが手に入りそうな東京の、博物館や図書館、アーカイブなどでの疑似体験しかできない文化や伝統行事が地方にはある。その「よきもの」がそれぞれの地方の個性をつくっている。それこそが地方のもつメッセージであり、多種多様な世界に対して、語りうるものであろう。


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