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2006/09/21(木)
大阪市立美術研究所・雑感 99
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絵画の形式や組織が単純化され、神経は鋭くなり、画面は狭まって来た以上はその一点一画は頗る重大な役目をなす事となってしまったのである。空の一抹(いちまつ)樹木の一点、背景の一筆の触覚は悉(ことごと)く個人の一触であり一抹であらねばならなくなってしまったのである。 それは、書の精神にも、あるいはまた南宋(なんそう)画の精神とも共通する処のものである。南宋画が北画に対して起った原因と丁度近代絵画が湧出(ゆうしゅつ)した事とは、頗るそれも類似せる事を私は感じるのである。しかもその技法と精神においても、その単化と個人的である点において、心の動きある事においてその絵画の技法が持つ表情において、半(なかば)一致せる諸点を感じるのである。 古き占い法に墨色判断というものがある。その法は、白紙へ引かれた墨の一文字によって、その運勢と病気と心の悩みを判断するのである。 私はそれを非常に面白い占い法だと思っている。 近代絵画の技法は全く、その墨色の集合体だともいい得る、決して弟子や他人の一筆を容(い)れる事を許しがたい。この事は近代絵画の技法における最も重大な特質であろうと考える。 要するに、作家の心の表現に役立たない処のあらゆる複雑な衣服を脱し、うるさき技法を煎(せん)じ詰め、あってもなくてもいいもののすべてを省略してしまう事は近代技法の特質であると思う。 換言すれば、絵画の上で、弟子や他人にまかせても差支えない場所の悉くを省略して、私自身の力と心を現すに必要なもののみを確実に掴(つか)む事である。 私はこの技法を完全にまで進めているものをマチスの絵画において感じる事が出来ると思う。 私はマチスが近代技法の特質を最もよく生かし得た画人であると思っている。
絵画の技法にあってその組立の複雑な衣を脱がして行くと、最後に何が残るかといえばそれは線である。 野蛮人の絵画、太古の絵画も線に主(おも)きを置いている。近代フランスの野蛮人もまた線へ立ち戻る事に努力したようである。日本画における没骨体(もっこつたい)という進歩した技法から逆に、いわゆる、白描の域へまで立ち帰ろうとしたのである。 油絵における技法の底の底へ沈んでいた処の線を引ずり出した近代野蛮人の功績は大したものであったと思う。 次に複雑な立体を頗る簡単な立体に節約し百の調子を十にまで縮め色彩を単純にし、然(しか)る後に人間の心を複雑な儀礼の底から救い出す事に成功したと言っていいだろう。 野蛮に帰り、初期に帰ろうとする心の動きにおいて、子供の絵や野蛮人の作品が近代画家を悦(よろこ)ばしめたのであった。 それから簡略を生命とする処の東洋画、あるいは一条の線の流れが世相の百態を表す処の錦絵がフランスにおいて近代絵画の大革命を起さしめる大なる原因の一つとなった、という事は当然であろう。 その他南洋土人の原始的作品や名もない処の画家の稚拙が賞玩(しょうがん)され、素人画が賞味され、技法の上に取り入れられたりした事も当然の事であろう。 いろいろの事によって近代の新らしい絵画の技法は、自由にされ、明るくなり、簡単にされ、省略されてしまったものである。 しかしながらそれらは、何世紀の歴史と生活の背景とを持つ処の西洋における出来事であった。我が日本は決してさような油絵具を持ってなされた壮大なる芸術を作った覚えもなければ、その進歩と、老舗(しにせ)と、その衰弱の悩みも経験した事は更にないのである。その技法の下敷となって苦しんだ覚えもないのである。それは単に西洋人だけの苦悶(くもん)に過ぎなかったのである。
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