美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/09/10(日) 大阪市立美術研究所・雑感 88
油絵新技法 小出楢重 参


日本画も絵具の溶き方においてとても六つかしい秘伝さえある様子である。
 ところが近代にあっては、絵具は専門の会社において科学的に製造される事となってしまったため、画家はただそれを使用さえすればよいのである。画家の修業におけるかなり重大な部分が、引離されてしまった訳である。
 画家はただ自分の本当の仕事だけをやればよい事となってしまった。勿論日本画家のあるものは今もなお絵具の溶き方にかなりの修練をやっているようであるが。
 従って今もし画家の家へ年期奉公をしたとすれば雑役以外にする仕事がない。
 この点からいって、今の時代では入門に先き立って人の心を養って置く方が得策だ。それには丁度幸(さいわい)な事に普通学というものがある。
 それから、昔は西洋でも日本でも先生各自の流派というものが非常に重(おもん)じられ、心そのものよりも画法というものを重大に考えた。
 その画法には秘伝があり、描くべきものには必ず厳格な順序がありその軌道に従って描くのである。その法軌から離れた事、勝手な事をすれば破門されるおそれがある。
 従ってその方則を習うだけでもかなりの年数がかかる訳であった。従ってかなりの子供のうちから稽古しなくては到底充分の修業が出来ない事だったらしい。
 一人前の心を持った大人となると自分の心が自分に見えて来る。そこで柔順に先生の方則、流派の型など馬鹿々々しい仕事を習得してはいられない。そこで何もわからぬ子供時代においてあらゆる馬鹿々々しい仕事を習練させたものでもある。
 ある流派、先生の型、をうけ継ぎ受け継いだ結果生き生きとした画人が西洋でも日本でも出なくなり、世の中が人間の心は、即ち画人の心は、心にもない方向へ方向のわからぬ乗物によって引きずられた結果、生き生きとした画人が西洋でも日本でもすっかり出なくなり世の中が萎(しな)びかかって来たものである。そして十九世紀の終りから二十世紀の初めにおいて非常な勢となって近代の自由な明るい気ままな人間の心を主とした処の画の方則が現れ出したのである。
 それは飽き飽きした結果誰れいうとなく現れ出した人間の本音である。
 即ち近代の絵の技法は人間の本音から出発しなくては面白くないのである。
 本心本音のいう処、命ずる処に従ってそれ相当の技法を用いて行く処に新らしい意味が生じてくる。

     3 技法の基礎的工事について

 私は近代の画家は、最も自由な技法によってその本心本音を遠慮する処なく吐き出す必要があると思うのである。そして、その心の命ずるままに、あらゆる技法を生むべきものであると思う。
 また各人各様の技法を持ち、絵画は千差万別の趣きをなすという処に、自由にして明るい世の中があるのだと思う。この世の中の画家が悉(ことごと)く一様に仲よしであり、お互に賞讃し合い遠慮し合い意気地(いくじ)のない好人物揃(ぞろ)いであったとしたらしかも安全と温雅を標語としたら、随分間違いは起らないかも知れないが地球は退屈のために運行を中止するかも知れない。
 ところで、しかし、人間の本心というものはかなり修業を積まぬ限りさように容易に飛び出すものではないようだ。さように簡単な本心にちょくちょく飛出されては世の中が迷惑するであろう。これこそ俺(お)れの本心だろうと思った事が、翌日、それはまっかな嘘(うそ)であったり、人の借りものであり、恥かしくて外出も出来ない場合がない事はない。極端にいえばこれこそ人間の本心であり個性であるというべきものは死ぬまで出ないものかも知れないが、その本心を出そうとする誠意と、それに近づこうとする努力とが芸術を多少ともよろしき方向へ導くのではないかとも思う。
 勿論、人間の本心は子供の時代を離れ一旦(いったん)神様から見離された以上、人間は、今度こそ、自分自身の努力によって神様を呼び戻さなくてはならないのである。
 技法以上の絵、絵にして絵にあらざるの境と誰れやらがいったが、正にその境に到達するまで、何んとかしてやらなければならないのだ。
 食べて後吐く、食べて後排泄(はいせつ)する。先ず技法の基礎をうんと食べる必要がある。
 では何を食べるか、それは画家は先ずこの世の中の地球の上に存在する処の、眼に映ずると同時に心眼に映ずる処の物象の確実な相を掴(つか)みよく了解し、よく知りよくわきまえ、その成立ちを究(きわ)める事が肝要ではないかと思う。


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