美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年8月
前の月 次の月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

直接移動: 20105 4 3 2 1 月  200912 11 8 1 月  200810 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2006/08/07(月) 大阪市立美術研究所・雑感 64
★大阪市立美術館:開館60周年記念特別展「美しの日本」より

最近、ここに書く文章が「悲憤慷慨調」になってしまって、自分でも少しいやになっている。けれども、この展覧会は、よかった。残念なのは、期間がとても短いので、もう終ってしまっているということくらいだろう。とくに、ATCミュージアムと前後して見に行ったからかもしれないが、ここでは、展覧会あるいは美術館には一つのポリシー(理念)が必要なのだというあたりまえの事実を再確認させられてしまった。

大阪の天王寺にある大阪市立美術館は、日本でも有数の歴史のある美術館である。震災や恐慌の影響のために美術館建設は大幅に遅れて1936年になったものの、その前身をたどれば、1919年の「大阪市民博物館」、1903年の第5回内国勧業博覧会における「美術館」、さらには、1875年の「物品陳列場」(「美術館」の設置は1888年)にまでさかのぼることができる。もっといえば、「今からおよそ1400年前にこの地に建立された四天王寺には、奈良時代には、聖徳太子の生涯を壁画に描き、それを絵解きした絵堂があった」。美術館側の説明によれば、これは、本格的なギャラリーとしては日本でもっとも早いものであり、「日本の美術館のはじまりは天王寺にあった」のである。また、戦後すぐの1946年には、美術館内に「市立美術研究所」が設置され、実技指導が行われると同時に、学芸員による美学美術史の講義も行われていた。生活さえも困難な状況下での「芸術」に対する市民の渇望というニーズにみごとに即応してみせたこの事実も、もっと知られていいことだろう。

その大阪市美が開館60周年を迎えて、所蔵品や寄託品のなかから名品約500点(国宝5点、重要文化財62点を含む)を選び、12のコーナーと「サロンルーム」に分けて展観した。サロンルームは、「名品に囲まれた憩いの場」「市民の応接間」というコンセプトで構成され、大きなテーブルとソファが置かれた広い部屋。ここでは、美術館のコレクションを代表する作品が何点か展示されると同時に、60年間の展覧会カタログや所蔵品図録をゆっくりとながめることができる。また、各コーナーは、「中国の書画:筆と墨のこころ」「中国の仏像:永遠の祈り」「中国の工芸:精緻の技巧」「日本の工芸:贅を尽くす調度」「日本の仏像・仏具:祈りと儀礼」「日本の仏画・経典:祈りの空間」「肖像画:語りかけるまなざし」「花鳥画と風俗画:いろどりとにぎわい」「光琳資料と琳派の芸術:着想とデザイン」「江戸明治の工芸:てのひらの芸術」「近代日本画:ぬくもりと洗練」「近代洋画:情熱のゆくえ」と題されていて、それぞれが独立した一つの展覧会といってもいいくらいの充実ぶりだ。まともに鑑賞していると一階だけでへとへとになってしまう。とても一日では見切れなかった。

各コーナーの中のどこがおもしろいのかということについては、人それぞれだろうが、わたしは、江戸や明治の工芸がいちばん楽しかった。かんたんにいえば、ここには「根付」と「印籠」をはじめとする、当時欧米で人気の高かった蒔絵のコレクション(市美所蔵のカザール・コレクション)がずらりと並んでいる。もう20年近く前に、最初にヨーロッパに行ったときに、大英博物館の日本のコーナーに根付がたくさん展示されているのを見て、あきれはてたことがあった。しかし、時代のちがいなのか年をとったせいなのか、それとも、救いがたいまでに趣味が欧米化(と同時に通俗化)してしまったせいなのかわからないが、今回は、このきわめて非芸術的なはずのちまちまとした職人芸を、つい一つひとつぜんぶ見てまわってしまった。ひょっとしたら、最近、アフリカやオセアニアの工芸やエアポートアートの意味についていろいろと考えているということも大きく影響しているのかもしれない。
 また面白いのその美術館の地下が美術研究所になっていて、約百人ほどの生徒がデッサンを学んでいることである。創立者は赤松輪作でそこより佐伯祐三など多数の絵描きなどを輩出していることである。
 大原からは直接的に絵描きは出てないよね。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.