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2006/08/25(金)
大阪市立美術研究所・雑感 74
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田中 敦子(たなか あつこ、本名、金山 敦子(かなやま あつこ)夫は画家の金山明。 1932 大阪生まれ 1951 京都市立美術大学退学後、入学前から通っていた大阪市立美術館付設美術研究所に通う 1953 0会に参加 1955 具体へ参加 1965 具体美術協会を退会 1969 奈良県明日香村に移住 国内外で個展・グループ展多数。
京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)中退。その後、吉原治良に師事し、昭和28年(1953年)から昭和30年(1955年)頃は、布に数字を書き、一旦裁断し再びつないだ作品を作る。主に抽象画を描き、昭和30年(1955年)具体美術協会会員に入会し、同協会の主要メンバーになる。サンケイホールなどで開催された『舞台における具体美術』展で、カラフルな電球と管球が明滅し光の服に見立てた「電気服」を着るパフォーマンスを行った事で知られる。
絵画作品は、「電気服」などのオブジェと同様、色彩豊かな円と曲線が絡み合う前衛的作風で知られ、国際的にも高い評価を得ていた。昭和40年(1965年)具体美術協会を退会する。平成13年(2001年)芦屋市立美術博物館と静岡県立美術館でそれぞれ大規模な個展を開き、絵画とオブジェで独特の精神世界を表現した。この巡回展では国際的な再評価の声も高く、草間弥生、オノヨーコに並ぶ偉才と評された。 奈良県明日香村のアトリエで絵画の制作を続けていたが、 平成17年(2005年)12月3日肺炎のため、奈良市の病院で死去した。73歳。
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