美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/08/02(水) 大阪市立美術研究所・雑感 61
 久しぶりに大阪美術研究所へ行って見ると、天王寺屋所長よりお呼びだしだ。
「こりゃ、きっとお小言だぞ」と思って所長室に入ると「君は絵画部か?彫塑部?どちらの希望かね」のお言葉である。

俺はしばし訳がわからず呆然としていると「君は4月1日つけで人体部を卒業しておる、・・・・でどっちに進むのかね?」のお達しであった。東光会の家永喜三郎先生、行動美術の小林武雄先生、日展の松田忠先生、新世紀会の天王寺屋 卓先生、他の先生方は悪いけど失念したが私に票を入れてくださったのだ。
 ああ、これで念願の人体部を卒業したのだ。
 「勿論、絵画部に進みたいと思います」と答えておいたが、ここまで来るのに九年かかっている。しかし、考えようによっては同期の小林はまだ人体部から進級しておらないし、ひどいのは十数年ここに通って、前期のままでいる者もおるのである。
 もっと驚いたのは人体部終了証を見ると・・・なんと、なんと、俺で33人目ではないか。一号を佐伯祐三とすると俺まで33人しか選ばれていないのである。
 誰かが言っていたが人体部で京都芸大、そこを卒業すると東京芸大に入れるよ、と言っていたのは本当だと思った。
 そして小林は二・三年でとんとん調子で進級したが五年人体部で足止め喰っているのは、やはりデッサンでさえ人生経験とイイオカ・マヨ氏が言っていた「ヘルマホロダイト」の意味もおぼろげにわかるような気がした。
 しかし、絵画部に入って何を描いていいのか、わからずがむしゃらに描いたのが「ローソクを持つ自画像」が初期作品になるであろう。何、熊谷守一氏の「拝火する自画像」を真似たものである。

 とにかくその日は小林を初め、長瀬、藤田、小熊良子、大塩曜子、堀江千恵さんなどが祝ってくれたのを記憶している。

 懐かしい想い出だ・・・・


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