美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年8月
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2006/08/18(金) 大阪市立美術研究所・雑感 68
小嶋千鶴子 館長インタビュー

一一開館間もない「Paramita Museum」を訪ねて

庭に出てみる。この美術館はケヤキの古木が残る雑木林を買い取って建てられ、200種類の山野草が植えられている。

 またサロンの前のガーデンには山口牧生作「四角い石」がある。山口は京大哲学科卒。夜間高校の教師をしながら大阪市立美術研究所に通い、彫刻を学ぶ。次第に石に心ひかれるようになり、採掘場の片隅にアトリエをもち、石と向き合う日々を過ごす。そして黒御影石にべんがらを施す独自の表現方法を開拓した。「四角い石」もその方法で制作されている。山口はここを訪れ、石の置きかたなど厳密に指示したそうだが、開館を待たずに2001年12月に死去した。林の中には、山口が自分の柩をイメージしたという「石の中」も展示されている。
 また、内田鋼一の壺が並べられた「壺の道」も楽しく、何度も往復した。


小嶋三郎一「黄色のバックのザクロ」


伊藤慶二 ヒロシマシリーズ「証」

〈第6室〉
小嶋三郎一の絵画

 最後の部屋は、館長小嶋さんの夫である画家 小嶋三郎一の作品を展示している。三郎一は1908年、三重県に生まれた。須田国太郎に師事。若いころは抽象画を描いたが、晩年は「目に見えるものは何でも描きます。好きに見てもらえばいいわけです」という言葉通り、身の回りの何気ない果物や花などを描いた。7年前、90歳で他界。

 展示室を見終え、入口に向かう廊下の両側の壁には、伊藤慶二の作品が展示してある。伊藤は建物外壁の「Paramita の壁」の作者だが、1935年生まれ。武蔵野美術大学で油絵を学んだあと、25歳ごろから陶芸デザイナーとしてスタートした。やがて作る側に転向。日根野作三に師事。美濃で黙々と制作を続けている。オブジェから実用的な器まで、さらに白磁、焼締、土物と幅広い表現を展開している。ヒロシマシリーズ「証」は広島平和記念資料館の模型展示を思い出させる。


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