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2006/07/09(日)
大阪市立美術研究所・雑感 41
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芸術の発生に文明人より前から(クロマニョン人とか)人類は既に芸術の原型と言うべき壁画や像を作っていた。例えばアルタミラの壁画とか、教科書にも載っている女性像とか。これらは狩りの成功や安産を「祈願」して作ったものと思われる。さて移動生活から一転して定住生活(農耕生活)になってからは、宗教はより明確に現れ、偶像崇拝や有力者による儀式が行われるようになり、この延長線上にあるのが神権政治がのっかかてくるのである。例えば権力者がその基盤を維持するために宗教や芸術の力を使い始めた頃より、真の芸術が歪められてくると言っても過言ではないだろう。天才画家・青木繁の息・福田恒存は「芸術とは何か」において芸術の定義とは、権力者のものでなく「芸術が文明の中で本来果たすべき役割、効用は何か」ということである。福田によれば、それは、演戯(演じ戯れること)であり、感情の浄化である、と言い切っている。アリストテレスを裏づけとするこの考えの背景には、福田の深々とした人間観があり、現代こそこの本来の芸術を取り戻すべき時期であろう。 在日コリアン画家・金 昌樹は60年前に戦争放棄したはずなのに人道支援の名のもとに、今またアメリカ合衆国に追随する形でイラク戦争に参戦してしる。こんな危うい日本に住んでいながら呑気に絵を描いている場合でないのである。といいつつ絵の他に詩、劇、音楽などで多方面で活躍している画家である。 そのひとつに語りがある。「人道支援は丸腰でないと始まらない」 「絵画は画廊や美術館の壁に飾るものではない。世の残虐と殺りくに対する武器である」 そしてオペラ座のようなハイカラな都市文化(モダニズム)よりも、どさ回りの芝居小屋の匂いのする下町文化に魅了される。−自分が在日コリアンだからなのか、ヨーロッパよりも「アジア」である。 この時代の語りべとして己に潜む「アジア」をラディカルに表現できれば幸いです。として西成など舞台演出もしており、まさに絵画界の巨人の 四番打者李承であり、キン様であろう・・・
略歴 金 昌樹 KIM-CHANG SOO Profile 1957年 在日コリアンとして大阪に生まれる。 1973年 高校の美術顧問 中村繁正氏に油絵を師事。 1976年 大阪市立美術研究所にて研修。 1978年〜80年 劇団犯罪友の会にて役者として演劇活動。 1983年〜98年 大阪の在日コリアンでつくる高麗美術展に第3回展より出品。 1990年〜99年 自由美術展 1991年 高麗美術会作家による『ウリ4人展』 (グランド・ギャラリー) 1992年〜00年 自由美術協会所属の京都・大阪の作家による 『GROUP"free-dom"』(グランド・ギャラリー) '92、'93 全関西美術展 1993年 釜ケ崎夏祭りに作品を展示 グランド・ギャラリーにて初の個展 1995年〜96年 阪神大震災の記事より堀尾貞治ら現代美術の作家達の集う居酒屋「ぼんくら」を知り『 ぼんくら展』に参加-この頃より画風が具象から抽象へと変化しつつある。 2001年〜 グッド・アート展(京都市美術館) 2001年〜03年 からほり・まち・アート(空堀商店街界隈) その他 個展7回・グループ展多数
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