美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/07/26(水) 大阪市立美術研究所・雑感 54
 大阪市立美術研究所・卒の画家、藤井哲の代表作63点は故郷の岡山県新見市にある新見美術館に収蔵されている。なぜ代表作を新見美術館に寄贈したか。それまでどんな曲折があったか。ゴヤを追い求める遍歴の旅から独自の画風を確立するまでの半生を綴った自伝――。その一部を転載します。

藤井哲の世界 1

 半ば故郷を捨てた者への励ましのメダル

 自由人である私にとって一生に二度とないようなことが最近あったので書いてみます。
 この六月一日に私は郷里岡山県新見市の市制四十周年記念式典で特別表彰され、大変立派なメダル(テレビ等でよくみるオリンピック選手が貰うような首からさげる大きなメダル)をいただきました。紅白の帯に直径六センチ―大きいので計ってみますと―の重い銀製のもので、表に中世の新見庄の館を模して建てられた新見美術館の全景を刻み、市章と新見美術館の字を金色で浮かし、裏面には特別表彰、平成六年六月一日、新見市市制四十周年記念と刻印されております。
 ここに出てくる新見美術館は今年の秋で開館四年になります。開館する一年ほど前に市の美術館開設準備室の使者が度々上京され、結果、開館特別記念展「藤井哲の世界」展をやってくださることとなりました。
 秋の開館を前に、春、内装の終わった時点で一度館の壁面を見に行きました。私が想像していたより立派な美術館で、その環境の素晴らしいこと。中国山地の県北の地にこんな美術館が出来るなど誰も思ってもみなかったことでしょう。話によりますと決して簡単に出来上がったものではなかったようです。
 この中国山地の新見市は私の故郷で、現在九十一歳の母と兄夫婦も健在です。私は戦後シベリアよりこの故郷に復員し、一年ばかりですぐ半ば故郷を捨てたかたちで上京し、以後ほとんど帰ったことはありませんでした。自由人にはとても帰れるような経済的ゆとりも時間もありませんでした。
 東京日本橋の高島屋での個展の時、偶然にも私が岡山出身であるということで高島屋の岡山店でも個展をということになりました。当時父はまだ元気でした。六人兄弟のなかで私一人がはぐれ者で心配ばかりかけておりましたので、親孝行のつもりでやらせてもらいました。父はその後七十七歳で亡くなりますが、この時帰ったきりで、この美術館のことで故郷に呼び戻されるまでの十三年間帰ってはおりませんでした。
 こんな私が美術館が出来てからは毎年秋にはご招待いただき、「私の歩んできた道」等々、館でお話させていただくようになり、私と故郷新見との関係が深まって、昨年は開館三周年記念展も開いていただきました。館の特別展のない限り「藤井哲の世界」の一室を設けてくださったりして、展示しながら作品を大切に扱ってくださっておりますので、数年前に寄託した作品を寄贈に切り替えさせていただきました。勿論ゴヤの作品の大作模写四点も含んでのことで、大作を中心に約六十点ほどになります。
 三年前でしたか、市側より私を黄綬褒章受賞に推薦するため使者が来られましたが、私は充分新見市の皆様には作品を大切にしていただいておりますので、それ以上のことを望んでいないと率直に申し上げました。当初より連絡で来ておられ、私の気質も充分ご存知のO氏なので、私は「文化勲章でも辞退される方があるではありませんか」とずいぶん勝手なことを言って、ご辞退申し上げました。
 この翌年、またO氏がその件で来宅されましたが、私の辞意のかたいこと、新見市の皆様に大切にしていただいており、それ以上の名誉はない旨申し上げました。が、結局、市と美術館の当事者の方々が私の気持ちを受け入れた上で、今回のようなかたちをお考えになったものと私は推察しております。
 先方からの電話で事情の説明と六月一日の式典に是非帰って来るようにとの連絡を受けた時は、私も素直に「どうもありがとうございます」とお受けしました。
 説明が長くなりましたが、半ば故郷を捨てた私に対して贈られたこの一点もののメダル、心よりありがたく思うと同時に、今後の私の仕事に対する責任と大いなる励ましを強く強く身近にかんじさせております。感謝!
     (『界隈通信』一九九四年八月二十五日号から転載)


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