美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年6月
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2006/06/07(水) 大阪市立美術研究所・雑感 M
天王寺公園、阿倍野銀座は俺にとっても懐かしいが、今、改めて行こうという気はおこらない。阿倍野銀座から釜ガ崎に通じる道は日雇い人夫、オカマ・チンドン屋・三流芸人など多種多様で実に人間臭い町の思い出を壊すのを恐れるからである。今は都市開発と共に人間?がおらなくなったような気がするからである。
 そんな日雇い人夫をあてにする、ドヤや、めし屋を経営するオヤジ。これら人生の底辺にいるさまざまな人間のふてぶてしいまでの強じんさと、その反面ではヘドのでるような弱さに、俺は絵以上の愛着を感じていた。そんなある日、タクシーにひかれて死にかけていたニコヨンの処置に対する警察側の取り扱いがあまりにも冷たいということが発端だった。釜ヶ崎のニコヨン達は交番を焼き、乗用車に火をつけ暴れまわったのである。勿論、一般市民も左翼学生も、ベ平連も、美術学生もその暴徒の中に加わってていったのである・・・
 オウムのサリンで苦しんでいる人を股いで、通勤、通学するような人はおらなかったような気がする。

 その時代はまだ一つの命の尊とさを大事にしていたのだ。

      写真は暴動から一週間後でこのありさま・・・・機動隊も人間として恥ずかしかったのか楯の山だよ。


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