美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年6月
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2006/06/06(火) 大阪市立美術研究所・雑感 L
大阪市阿倍野区松崎町2−5−31。「近海荘」というアパートが「宏プロ」の旗揚げ場所であった。三階には小田実氏らの主催するベ平連の「なんだいべ」や、近くの工専の学生なども泊まっていた。まだその頃はコピー機は未発達で俺が西郷英樹や三田明を線描きして彼らに手伝って貰っていた。仕事が済むとかわい子ちゃんのいる喫茶「ドーム」へ行ったり、八十円のアポロ・ランチを喰い、天王寺公園で寝転がるのである。公園には針金細工の人や浮世絵、蛇画描いて、売っている人もいて結構面白かった。ところが昭和50年頃から都市開発の名で、阿倍野地下道が出来、我々はペ平連の援護のもと、似顔絵を描くパーフォーマンスをして抵抗するのである。しかし、花博の頃には公園も有料化になり、まったく面白くなくなってくるのだ。
 我々は、大阪天王寺公園がだれもが四季を通じて
多目的に楽しめ、ゆっくり憩える身近な空間、
そんな「夢」のような公共施設にならないかとの思いから、
提案書「大阪市民のオアシスを返せ!」と市民から公園への提案−」をまとめ提出しましたがなしのつぶで、ついに武力闘争に入ったのです・・・。


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