美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年6月
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2006/06/05(月) 現代若者思想・・・?
今日、東京からデザイン学校の若者が修学できていた。話して見ると今の日本に関心がない、目の前に困っている人を見ても関わりたくない。大人が悪いのだ。色々質問していると、或る子が俺に対して「ムカツク」ときた。ああ、話にならないや、デザインを勉強するならっとするどく自我と社会の不条理を感じなければ創作できないのに・・・

 私の若い頃怒っていたよ・・・
とくにその頃の日本は東京オリンピックが終わり、万博に向け高速道路、ビル、新幹線等の建設ラッシュで日本列島がのたうち廻っていた。その反動であろう。小田実氏がベ平連結成、反日共系学生、反戦デー新宿駅占拠。機動隊、東大安田講堂の全学共闘派を強行排徐、樺美千子氏死亡。
 とにかく何が起こっても不思議ではない時代で、それが新宿の文化的な爛熟期だったのだ。管理社会の圧力に潰され、根こそぎされていく、最後の花を咲かせていたのだ。故にどんな下手くそなニガオエ描きにも、常時三・四名以上の客が付いた者だが、その前を今までの乞食でもないフーテンでもない、一種独特のムードを漂わせた若者達を眼にする。
 これがサカキ・ナナヲ、加藤鋭、山尾三省氏を中心にする我が国でのヒッピー・ムービメントの始まりだったのである。しかし、豊潤たる花は落ちるのも早い。決定的にしたのは68年の「新宿騒乱事件」で警官は市民や学生に襲いかかり、フーテンや浮浪者を検束していった。
 これを期にニガオエ描きの大半が旅に出、ヒッピー達も新宿から出ていき、新宿から人間の匂いが完全に消えたのだ。「乞食の消えてしまった町は、もはや人間もなく、祭りもない」と劇作家・別役実氏は言ったが至言で哀れにも新呪区と為り果てるのである。
今の大人も大人だが、若者も若者だ。俺は早くお迎えがほしいよ・・・・


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