美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年6月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

直接移動: 20105 4 3 2 1 月  200912 11 8 1 月  200810 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2006/06/30(金) 大阪市立美術研究所・雑感 34
 ここの天王寺美術研究所は個性的というか、度をはずれた異端児も多く輩出している。その最先端が山田魂也氏であろう。
 氏の故郷は飛騨高山で高校中退後、京都で友禅染めの画工を五年続けていたが、ある日、京都河原町で大きな衝撃を受けるのである。
 それは睦ちゃんという両腕のない絵描きが口に鉛筆を加え似顔絵を描いていたのを目撃したからだが、それは山田氏自身「せむし」という障害の劣等感を秘めていたからだろう。
 しかし、この時より彼は自分の肉体的なマイナスを、精神的なブラスに逆転出来るはずだという信念と、自分は特別に選ばれた天才なのだという自負心と、使命感が湧き上がるのだ。丁度哲人キルケゴールが「せむし」であった様に・・・
そこで彼は友禅染めを即刻止め、昼は天王寺美術館に通って石膏デッサンをやり、夜は京都で似顔絵を描き始めるのである。
 もう一つの衝撃は似顔絵にも馴れ、日本一周旅行も終え、新宿歌舞伎町に立った時である。
 彼自身フリークスを認識し、アウトロウと自覚していたから酔っ払いやチンピラヤクザ等の人間にはビクともしなかったが、ただ一群の若者達だけが彼を苛立たというのだ。それは髪を伸ばし、ヒゲを生やし、ズタ袋を肩にした彼等は高度経済成長と繁栄を否定し、その拝金主義と物質文明に反抗し、自然との共存共生と、意識の進化を目指して生きていこうとする流れであり、混沌の一九六0年代に端を発する、我国のニューエイジの覚醒と行動の発端であったのだ。
 「ヒゲの殿下」とアダナされていたナンダ。「新宿のランボー」と言われたナーガ。東京芸大出のクボゾノ等に洗礼を受け、東京・国分寺に「エメラルド色のそよ風族」長野・富士見に「雷赤烏族」鹿児島・諏訪瀬島に「がじゅまるの夢族」のコミューンを建設していくのだ。
 止まれ! この事はまた重複するきらいがあるので、革命論を多く著作されている大田竜氏の言葉を借りる。
 「(奄美革命論)の中に詳しく書かれている様に、山田魁也氏は一九六0年代半ば頃から、日本における反文明的ヒッピーコミューン運動、部族運動、対抗文化運動の前衛の位置に居り、次にトカラ列島の諏訪瀬島にヒッピー道場を作り、またインドを放浪してインドに惚れ込み、さらにこの島の観光化を企図したヤマハ資本運動ボイコット運動をえて、一九七五年に奄美の宇検村久志部落に無我利道場を作り、反対派宇検村民と共に東燃
技手久島石油基地化反対運動を推進してきた。
 彼自身の言葉を借りれば、彼の軌跡はアメリカ起源の白人対抗文化、脱文明のヒッピーとして出発し、インド思想を経由して「奄美ナロードニキ」に脱皮したという訳だ」
 ところが度かさなる右翼「松魂塾」の襲撃等によって解体、彼は故郷の飛騨高山にボロを飾るのだが、屈することなく縄文人の発想からの「ヒダマ道場」のコミューンを作るのだ。
 思うに本来の共同体である村落共同体とか家族共同体というのは現在崩壊した。だけど人間は本来共同体的な存在であるという意味で共同体を作ろうと云う動きその物は、非常に人間的で本能的だと思う。しかし、今はその事も考えるのは止そう。氏こそつまらぬ絵を描いている奴より歴史上に残る人と確信する。

氏は大変な活動家であるが紹介しきれないので、出版した本だけ書いておこう・・・

『詩集ポン』
 1971年 自費出版
 最初の大麻体験から生まれた詩「ポン」をはじめ、60年代ヒッピームーヴメントの中で目覚めた詩魂。  
『魚里人』
 76年創刊号 78年2号
 奄美の石油基地反対闘争の現地に築いたヒッピーコミューン“無我利道場”の生活と運動の日々を共同執筆。  
『奄美独立革命論』
 80年 三一書房刊 
 「MAT「徳之島核再処理工場)計画」に対決して、脱ヤマトンチュウの私が『革命論』を、島人の新元博文が『独立論』を書いてハッタリをかました。  
『詩集オーソレナガラ・バカフレムン』
 84年
 反ヤマト、反日、反天皇の立場から、東アジア反日武装戦線など政治犯への死刑・重刑攻撃に抗議。  
『アイ・アム・ヒッピー』
 90年 第三書館刊
 『日本のヒッピームーヴメント‘60〜‘90」というサブタイトルをつけた赤裸々な個人史。週刊誌やテレビなどでも注目された。

『スクナ』上・下
 91年 新潮社
 「日本書紀異聞」とサブタイトルにあるマンガ2冊刊。この原作を山八喜村のペンネームで書いた。内容は、日本書紀の中にわずかに記された飛騨高山の英雄スクナについて、大胆な解釈を加えて描いた古代史スペクタクルロマン。

『マリファナX』
 95年 第三書館刊
 多数の共同執筆によるマリファナ・シリーズ決定版。私はマリファナとLSDの初期体験を書いた他、故人となった青山貢、山田竜宝という“仕掛け人”たちとのインタビュー記事を載せた。

『トワイライト・フリークス』
 01年 ビレッジプレス刊
 季刊『雲遊天下』に97年から4年間連載されたエッセイをまとめたもの。東南アジア・インドへの最後の旅から祭りやレイヴ、酸素吸入器の使用、大麻事件、そして再度の「ふるさとさらば」まで。在庫あり、定価1800円。

『麻里花詩集』
 04年 自費出版
 桂川救援運動のための起爆剤として、最近2年間の13篇の詩をまとめた。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.