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2006/06/29(木)
大阪市立美術研究所・雑感 33
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話は逸れるが、古今東西、天才とか名を残しているものはフリークと言われる人が多い。それは機能障害を抱えて生きていたという、その欠陥をカバーするために他の能力が異常に発達するのだろうか。常にうわの空のエジソン、癇癪持ちのアインシュタイン、外国語のできないレオナルド、古典嫌いのアンデルセン、付き合いべたなベル、落ち着きのないディズニーなど数をあげればきりがない。その点日本は画一化教育で、日本人にとって「個性的な=独創性を備えた人間」は気狂い、不審者という半ばトラウマのようなレッテル貼る故、個性的な人物が育ちにくい土穣なのかも知れない。しかし、石井元氏のようにバリ遊学中、バスより手を出していて引き裂かれとか、山田魂也氏のように生まれなからセムシとかいうフリークと言われる人が大いに活躍している。 藤田龍児氏の場合は、1976年に脳血栓の発作により命さえ危ぶまれたが、脳切開手術が成功して奇跡的に一命を取り留めた。しかし画家の生命とも言える右手は麻痺して使えず、片言をしゃべるのもやっとという状態だった。一時は画家の道をあきらめ、自宅にあった旧作のほとんどを破棄した。ところが4年にわたる懸命のリハビリの結果、左手で絵筆を握ることで画家として再出発を計るようになった。毎日、毎日、ひたすら地べたを見つめながらよたよたと歩いた。野の草花の美を発見し、虫たちの動きにも目を留めるようになった。とくに<啓蟄>は、長い闘病生活から抜け出た画家藤田龍児が、画壇に再復帰を高らかに宣言する記念碑になったのである。脳溢血で倒れる前より、一段と光輝を発する作品を見るたび感動を覚えるものである。
藤田 龍児 のプロファイル
1928(昭和 3) 京都市で生まれる。 1951( 26) 大阪市立美術研究所に学ぶ。(1954まで) 1959( 34) 第19回美術文化展に初入選。<擬体> 1961( 36) 第21回美術文化展に出品、 1976( 51) 脳血栓で倒れる。 1977( 52) 脳血栓再発、脳切開手術で奇跡的に助かる。 大阪市立美術研究所30年記念展に出品。<於能基呂島山水の図> 1991( 3) 読売新聞日曜版「日本の四季に<啓蟄>掲載。 1994( 6) 小説『夢に殉ず』(曽野綾子作)の表紙装画。 以降、続々話題作発表、画壇の寵児となる。 2002( 14)8月9日逝去(73歳)
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