美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/06/24(土) 大道絵師の自然観より・・
 私の美術研究所時代だから30数年前のことです。まだ阿倍野「大阪」周辺にも雑草のある空地があって月見草が咲いていた。風流気のある友人がそれを摘んで酒ビンに挿しておいたのだが一向咲こうとしない。ツボミは今にも咲きそうに膨らんでいるのだが「この部屋は地下室で一日中電気を点けていた」それが何かの弾みに停電し、今度、点灯したとき皆、いっせいに歓声をあげた。それは月見草が全部といってよいほど咲いていたからである。つまり月見草は明るい所では咲かない性質なのであろう。宇宙の大自然というのはこんな可憐な幽かな花にでも、大自然の法則というものがあるのだなと感動したのと、同時に人間も大自然の法則には逆らえぬと思った訳です。
 ところでこの地下室は梁山伯といわれるほど、色んな人間が出入りしていたのてす。同学の美術研究生。ベ平連。ホームレス。変わった所ではヒッピーや宗教関係者等集まり、若者特有なとりとめのない話をしておりました。しかし、そのとりとめのない話の中で教えられることが一杯あったのです。例えば後年、全国をニガオエ旅に出るのは美術研究生から聞いた「自分の印象に向かって行け、自分
自身を自然の中に包めよ、自分の全部を自然と飽和せしめよ」という画家ルソーの言葉に影響を受けていたからだと思います。ベ平連の連中にはベトナムで無差別にばら撒く、米軍の枯れ葉剤の恐ろしさもさることながら博物学の巨人・南方熊楠を教えてくれたものでした。教えてくれた彼にとっては熊楠の強烈な行動力が発散する生命の燃焼音が、頭でっかちの彼を生きるという緊張感に新鮮さを感じたのではないでしょうか。ところがこの熊楠こそ日本における生態学「エコロジー」自然保護運動の先駆けでもあったのです。エコロジーという言葉が熊楠の手紙に出てくるのは、今から87年前、明治39年、政府が神社合祀令の名のもとに国をあげて自然破壊を決行した時の事です。「生態系の破壊は人間の生活を破壊し、人間性そのものが荒廃していく!」そう叫んで熊楠は日本中でただ一人抵抗し、投獄17日間に処せられるのです。「自然を守れ、人間を守れ」と。
 そういった熊楠の生家の近くから、ああいう少年が出てくるのも何か因果応報のような気もするが、これからますます病んだ人間が増えるのを恐れるのは私一人だけであろうか。

写真は近鉄百貨店前で志集(詩は志でなければならないから)?を売る若き俺の写真。勿論、この金は「ベ平連」にカンパしていたし、こういうギターで歌をうたいながら大道でやるのは俺が嚆矢であろう(明治のオッペケ節、書生を除いては・昭和48年頃)


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