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2006/06/20(火)
大阪市立美術研究所・雑感 25
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ここの美術研究所の面白さは絵描きあり、詩人あり、設計士あり、芸大への予備校生あり、右翼・左翼あり、とにかくあらゆる人間が混在していることであった。そんな一人が河合勝三郎さんであった。 氏はかつて若かった頃、彫刻家になりたかったと聞く。そのことは彼の作品を見るとよく理解出来る。その表現の中には描くという行為以上に、刻むと言う行為が重要な役割を担っており、作品はむしろ彫刻的であるからだ。 作品の画面は、ドローイングによって削り取られ、そこには物質的で触覚的な精神の軌跡が刻まれた絵画が生み出されている。 作品からは絵を描くというよりは、作家の自己存在証明を画面に刻印するといった姿が目に浮かび上がってくるようだ。 作品の存在感の強さは、縄文土器の表面に施してあるような物質的な絵肌にあるだろう。それは創作にあたってこれまで河合さんが『人はなぜ絵を描くのか』といった根元的な問題を自己に問いただしてきた証に違いない。彼の内なる思いは、先史時代の縄文人の美術の始源ともとも共通するかもしれない。 絵画表現の他にも河合さんの表現行為の中には版画がある。過去制作されてきたそれらの版画作品は、優美で、装飾性が強く平安時代の絵巻物を見るものに喚起させる。縄文と平安といった日本文化の根幹から系譜したような河合芸術は、西洋近代のモダニズムとの出会いによって時代精神を飲み込み洗練らされてきたように思える。それは、「縄文と平安」という長い時間に人のDNAに書き込まれた日本人としての先天的資質と「西洋の近代」との後天的出会いによって、ぶつかり交わり合って、体内で時間をかけてじっくりと発酵して生まれた独自性豊かな作品だ。 新作品では、この絵画と版画を並列させた作品を生みだした。物質的絵画を版としてモノタイプを作り出し反転した形を提示している。転写の技法を使って陰・陽ともとれるようなならなる作品展開が試みられている。 1924 宮崎県に生まれる 大阪市立美術研究所に学ぶ 大阪市立工芸、美術専攻科洋画部卒 東洋信託銀行大ホールにて第11回個展 渡欧、1カ年ヨーロッパ留学 渡欧、南ヨーロッパをスケッチ 以後2000年までに版画展を15回 (阪急百貨店美術画廊他) 玉川高島屋S.Cアルテスパッツィオ(東京) 近鉄百貨店阿倍野店美術画廊(大阪) ドイツ四都市にて個展(デュツセルドルフ、フランクフルト、プリーン、ブッペタール) N.Y堺美術家交流展(堺市博物館)'99(N.Y) 文房堂画廊(東京)アートスペースフジカワ(大阪) ギャラリーいろはに(堺) 第1回BRODGE展=N.Y、堺美術家交流展 コートランド、ジュセップ画廊 (N.Y及びプロビンスタウン)
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