美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年6月
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2006/06/02(金) 大阪市立美術研究所・雑感 I
 美術研究所へはデッサンに通うというより、「人生論」の方が重きを成していたように思う。いずれ人間の一生は一回限り故、わかり切ったサラリーマンするより、己の可能性或る方向へ持っていきたい希望多大の年頃でもあったわけだ。
 そんな時、松下電気より「似顔絵を描く人、二・三人寄越してくれ」という話が舞い込んできた。それまでは美術館で開く展覧会の見回り役のアルバイトでなんとか凌いでいたが、これは良かったね。大阪国際ホテルや京都ロイヤルホテル、太閤園で全国にある松下電器販売店の慰労会に似顔絵を描く仕事である。美術館での仕事は一日800円ぐらいだが、その十倍以上貰えて、おいしい食事にもありつける訳だ。美術研究所長の天王寺屋氏は「似顔絵をあまりやるとデッサンが狂うよ」という忠告にも耳もかさず、セッセと似顔絵に身を入れ始めたのだ。しまいには生徒の小林忠一、南陽光、近藤晃などと語らって阿倍野に「宏プロダクション」を旗揚げしたわけである。我々のアパートの二階には作家・小田実氏の「べ平連」もあったし、近くには大阪工芸学校もあって意気盛んだったな。勿論、女の子も毎日遊びきてマリファナ・パーティにうつつを抜かしていた「この頃は大麻は禁止されていなかったよ」

下の写真の女の子もいい婆ちゃんになっているだろうな。


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