美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/06/18(日) 大阪市立美術研究所・雑感 23
大阪美術研究所の先生・田川寛一先生の替歌です。酒席では必ずこの歌だ。僕も身につまされます。
一. 売ってくるぞと勇ましく
  誓って家を出たからは
  金を持たずにいなれよか
  酒屋の看板見るたびに
  まぶたに浮かぶ妻の顔

二・筆も絵の具もみな切れて
  はてなきエスプリ求めつつ
  進むアブスト、リアリズム
  汚れたパレットなでながら
  明日のモチーフ誰が知る

三. 思えば今日も会場で
  塩たれ絵画とののしられ
  胸に刺さった五寸釘
  抜けども癒えぬ傷ゆえに
  痛む心を誰か知る

四. 絵描きをする身はかねてから
  貧乏覚悟でいるものを
  ないてくれるな草の虫
  塩たれ絵画描くために
  明日も命のあるように

田川 寛一
(たがわ かんいち)

1900-1988 大阪

赤松麟作に師事。1927年二科会展に初入選。全関西洋画展に出品、32年同会会員。戦後は行動美術協会会員となり出品。

 この歌を思い出すたびに昔は喰う為に必死だったが、心は豊饒だったよ。反対に現代は物が豊富だが、どうして心の貧しい人が多いのか、僕は大道で長年、似顔絵を描いていて悲しむよ。


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