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2006/06/16(金)
大阪市立美術研究所・雑感 21
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私の大阪美術研究所の先輩・横塚氏よりメッセージを頂いた。 小出卓二は男でござる、という題名である。
僕が二十台で研究所にいた頃の講師で、もっとも骨のある人物でした。あるとき、僕が中心になって美術館図書館の閲覧をさせよと言う運動をしました。ちょうど研究所展のあとの打ち上げだったが、館長の望月信成が来ていて僕はそのことをみんなの前で訴えたのでしたが、小出先生が立ち上がって館長をとっちめたのです。美術館が研究所を全く大事にしていない、と激しく言うのだったんです。そして図書は開放されました。小出先生の夕日の絵は目に今も残る。一水会の安達茂は同輩。絵画部には前田さん、後に大阪芸大デッサン講師。多田統一、辻司。辻がデッサンを描いているのは見たことがないが。講師には、頭のはげたちょっと助兵衛な家永喜三郎。パリでバスの窓から手を出して腕を落とした石井元。僕は人体部から彫塑に入ってしばらくしてやめました。 この間、マロニエに行くとあのころ店にいたマロニエ夫人が僕に懐かしいと現れてきて挨拶してくれました。マロニエ夫人は84歳。だがなんと美しい老婦人か。田川寛一が描いた「マロニエ夫人」は名作だよ。
以上ですが、有難い文で私が研究所の喫茶は「瑠樹」と思っていたところ「マロニエ」で「瑠樹」は画材店だったのかな。確かに上品なマダムと記憶してます。 横塚氏の時の研究所長は望月氏で 美術史学者。父は仏教史学者望月信亨。東大卒後、京大大学院修了。京都博物館鑑査員を経て、大阪市立美術館館長・大阪市立大学教授となる。退職後、帝塚山学院大学教授を務めた。仏教美術・南画研究者、美術鑑定家としても活躍、重要文化財の発見などに業績をあげた。大阪市文化賞・毎日出版文化賞受賞。著に『日本上代彫刻』『一筋の細い道』等の経歴の立派な方であるが美術研究所長にはちょっと不向きという感がいがめない。横塚氏の「小出卓二は男でござる」の小出氏の略歴は 1903−1978 明治36年 大阪府生まれ。 向井潤吉らとともに行動美術協会を設立。 二科会会員。日本国際美術展。日本美術展。 大阪府美術賞。小出楢重に師事。 ・・・・ということになるが一度「マロニエ夫人」を拝見したい気持ち多大なり。画像は小出卓二氏の神戸港風景なり。
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