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2006/06/11(日)
大阪市立美術研究所・雑感 P
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道草する。人間というものは己の夢を抱いて、その目標に向かっていると時に豊饒なる出会いをするものである。昨日、話した儀間比呂志氏と沖縄タイムズの新川明がいい例であろう。ところがこちら倉敷の楚を築いた、大原孫三郎の子息・総一郎氏もピカソや、 版画家・棟方志功との出会いもそうで、大原美術館をアカデミックからラジカルな美術館に指向していくのである。ところで戦時中、クラボウも「白菊」という特攻機を造らされていた。その仕事にあたったのが、沖縄より内地避難した沖縄の人たちであり、戦後、そういう人達で総一郎を沖縄に招いている。ますますアメリカナイズ化する本土と違い、豊富な沖縄民謡、民俗に触れた総一郎は感動するのである。「失われた日本は沖縄にある」と言わしめほど絶賛しているのだ。それが倉敷民芸を保護するきっかけになったのも、豊饒な出会いであろう・・・ その総一郎を案内したのは新川明であった。
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