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2006/12/08(金)
一転、未婚で死んだ女性の供養画・・
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供養画は東北に多い。 特に柳田國男の「遠野物語」で有名な遠野の寺には多いのには驚いている。 大抵、亡くなった人があの世で苦労や淋しい思いをしないように子供なら人形、下の絵のように未婚の女性なら子供を書き加えたり、米、肴などの食料の他にお金、あるいは派手な着物など描き加えてある。 その供養絵額の製作には何人かの絵師が関わっていた。その中でも外川仕候という絵師の作品が頭抜けて多い。遠野の住職の話によると仕候は元々武士だったが明治になってから絵師として供養絵額を描き始めたそうである。
遠野にある供養絵額の3分の1はこの仕候の作だという。
これほどまでに仕候が多くの絵額に関わったのには、その絵師としての技量もあるが、何より絵額の製作をかなり安く請け負ったというのが最大の理由ではなかろうか。一説には今の価格で3万円程の金額で一点モノの絵額を描いたそうだ。私が遠野に行った時、仕候の御子孫と会ったのだが今でも仕候の使った道具やデッサン帳のようなものなどが残されていた。
仕候が本格的に絵額製作に関わり始めたのが明治初期。そして明治24年に81才で亡くなるまで絵額を書き続けたと言う。
こういう未婚の人が子供と遊んでいる絵額はあの世での幸福を願ったものとなる。これは山形のムカサリ絵馬や青森の婚礼人形と同じようなスタンスなので比較的判り易い。一方、故人の現世での生活を描写するというのは何の意味があるのだろう。生前の暮らしを多少誇張して描いた、その真意は一体どこにあるのだろう。これは私見だがこの世の生活を描写した絵額は遺族(または友人)が故人を偲ぶための絵画なのではなかろうか。つまり故人のためというより自分達のための絵額であると考えられないだろうか。近しい人が亡くなって寂しい、だからその故人を思い出すために生前の様子を描いたのではないだろうか。
いずれにせよ供養絵額の用途というか効能というか存在意義は奉納する側にあるように思える。
デジカメや信心無き人には無縁であることが淋しい・・・
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