美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年12月
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2006/12/29(金) 40年前の美観地区日記より。 四回
新幹線が東京ー岡山間が開業したのは昭和四十七年である。
 その前後年には作家・三島由紀夫が
東京市ケ谷の自衛隊内で割腹自殺を遂げ、軽井沢の連合赤軍五人が篭城、機動隊の包囲網の末犯人逮捕というショキングな事件が起こった。と同時に大阪で日本万国博覧会が開催され、田中角栄内閣誕生。
 氏の「日本劣等改造論」がベストセラーになり、巷では青年のロングヘアがあふれ「シラケ」「ガンバラナクチャ」等の流行語を生み出したのもこの時代である。

 ここに於いて国民半ばが思想を失い、節度を忘れ、ただ物質謳歌へ闇雲に走りだし、自ら魂の空白状態へ落ち込んでいくのである。
 我々大道ニガオエ描きの身辺にも、環境整備の美名のもとにコチコチの衛生タイルみたいな街造りが氾濫しだし、息苦しくなってきた。終戦直後よりニガオエを描いていたモダン・アートの石田氏がカッターナイフで喉元を突き憤死。上野の京成百貨店屋上より「オレはゴッホだ、世界中の人々を描いてやる」と叫びながら飛び上がり狂死したO氏。
 まさにその頃の事を思い出して見ると洞窟を覗いているような時でもあった。
 しかし、このあたりの状況を語るには多くの枚数が必要だ。こんな所で道草を喰っていたら日が暮れる。読者諸氏は欠伸をするだろう。今はとにかく倉敷に急ぐ事にする。大道ニガオエ師の大半は都会より脱走という旅に出たのだ。


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