美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年12月
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2006/12/28(木) 40年前の美観地区日記より。 三回
蓬髪ニガオエ上人のいでたちを見た倉敷人は代官所の焼き討ち事件以来の大騒動であった事は前に述べた。
彼等にすれば大原美術館にある絵具を塗りたくった抽象画より余程奇妙に見えたのであろう。なかでもお婆ちゃんが「南無大師、遍照金剛」などと唱えつつ両手を合わす姿にはさすがの俺も恐れいった。
お婆ちゃんはてっきりキ印か、破壊坊主ぐらいに思ったに違いない。禅用語でいえば「森羅万象すべてにして異なるものはこれを疑う」だ。
では何故、人をコケ脅しするようなそんな格好をするのかと詰問する人あるならば、俺は次のように答えるしかない。作家クタバッテシメイ「二葉亭四迷」にのめりこんでいたのである。
二葉亭は常に奇妙な風体をして・・・・・例えば洋服の上に羽織を、ヒョウタンを提げて田舎の茶屋を遊びまわったり、垢じみた綿服の尻からげで立派な料理屋へすまして入ってみたりして、そこにこそ本当の人間観察ができるのだと真剣に考えていた。
また、人間の美しい天真はお化粧してきれいにに包まれている高等社会には決して現れないで、ボロボロの下層社会にかえって真のヒューマニティを見ることが出来るのだと。
だが晩年、それはことごとく失敗であったとして名前のごとくタタバッテしまうのだ。
そのエピゴーネンの日蓮ヒゲも、人を試すつもりが己が心を破壊したと気ずくのは後年のことである。俺のナロードキもクタバッテ空中分解するのであった。
 じゃ、この時代はいつ頃のことであったのか・・

 デッサンは二葉亭四迷です。


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