美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/12/17(日) 何々権の氾濫が人を住み難くしている。
近頃めっきり有り難味の無くなったものに写真がある。その理由の一つに誰でも写真を作れるようになったこともその理由の一つかもしれない。

 ここ美観地区でもデジカメを取り捲り、何やらガイドの無意味な話に耳を傾けている。いったい旅とは「己が感じ、触れ、己だけの感動を味わうものであったはずである」日本人はいつまでたっても過保護というか、何かに付いてまわり、記憶しておき、大切な己だけの発見や感動をしょうとする行為が希薄である。

 美観地区にくる大多数の人が面前にカメラを掲げ、モニターを見ながら音もなくシャッターを押すデジカメの氾濫である。故に私はいいターゲットになり、私や私の絵を断りなく撮られていく。して今はやりのプログに掲載さんるのだ。
 しかし、私は何々権とか、権利を行使するのが嫌いなのである。「どうぞ、ご自由に・・・」というところだ。
 常に何々権を行使する奴はどこか、後ろに法律のようなものを匂わせる卑小な奴らはかりだからである。

 加えて最近は携帯電話がカメラ代わりになるということで、あっちでもこっちでも撮りまくっている。これだけ写真が増えると撮られるほうもその都度愛嬌を振りまいてはいられない。
 むかしどこかの原住民が、写真を撮られると魂が抜かれるということで、かなり険悪な雰囲気になったテレビ番組を見たことがあったが、今では空中を無数の画像が飛び交っていると思うと魂どころか命すら抜かれることにもなるのかも知れない。

 この洪水のような画像の氾濫の中で、逆に肖像権がうるさくなったと言うことはいかにも皮肉である。


 かつて映画の黒澤明監督がモノクロ映画にこだわり続けたが、写真というものはカラーよりモノクロのほうがイマジネーションを広げるような気がする。今ではセピア色に変色した若かりし頃の写真帳を広げると、思い出の幅が無限に広がってくるような気がする。

 一方最近のカラー写真というのは間違いなくそのときの事実は見えるが、写真の背景にあるものは見えてこないような気がする。
 勿論、写真などというものはそれだけのもので、それ以上のものを望むことが無理なことかもしれないが、それにしても最近のデジタル化により写真も紙から記憶媒体に変わってきたようであるが、果たして今のシステムがいつまで続くことやら、洪水のような画像の氾濫の中で、写真に思い出などを差し込む余地はとっくになくなっているのかもしれない。

 いわんや「肖像権」云々いうのもおかしい話である。


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