美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/11/06(月) 華やかな結婚式、七五三、成人式は内容空疎
また成人式がやってくる。
しかし何々式は商業ブームに乗って華やかになるが、それに若者の心は内容空疎である。

これも過保護のせではないか?

スコットランドで行われた調査では、親が人生における危険から子供を全く遠のけてしまうことは、子供のためにならない可能性があるという結果が出ていたが、リッチモンド教育委員長は、子供の不必要な死やケガを防ぐためには規則や規制が必要はあるが、現代の保護者は時に行き過ぎがあると指摘する。雪合戦の禁止やジャングルジム危険説である。
高校を卒業し18歳で親元を離れると、もはや規則や規制はなく、この落差はあまりにも突然で過激である、と同委員長。しかしながら、アジアやアフリカにおいて交通事故の犠牲となっている子供の数が膨大なことを考えれば、規則に感謝すべきでもあり、「保護者は安全や人生について子供と率直に話し合うべき」というのが、同委員長の結論だ

下の絵は昨年、開かれた高松市の成人式で、増田市長めがけてクラッカーを浴びせる若者たち(左)。席を離れ、酒瓶を手に騒ぐ(右)=西日本放送提供

 五人の若者が逮捕、送検される前代未聞の事態に発展した高松市の成人式。同市のホームページには七百件余のメールが殺到、本紙ホームページのアクセス数もふだんの約五倍の一日十九万九千件に上った。告訴、逮捕については九割方が支持しているものの、早々と「主催取りやめ」の意向を表明した市長発言は賛否を二分。若者の蛮行をモラル喪失社会への警告と受け止めた文面も多く、家庭、学校教育の在り方から日本人論まで、テーマは広がりを見せている。

あなたはどう思いますか・・・

2006/11/04(土) 管理社会の行き過ぎの悪弊・・・
あちこちの学校や幼稚園では刑務所のごとく、他人、つまり不審者の侵入をこばみ、滑稽なごとく監視カメラを設置している。もっと滑稽なのは子供の通園児の時刻になると両親の送り迎えの車でその近辺がごったがえすことである。
 町中では「子供110番」なるものを設置し、貼り付けた車が走り回っている。子供も防犯グッズで監視され、息するところ、休息するところなく、まったく可愛そうになる。
 文豪・トルストイはこんなに個人主義になると「親が子を殺すか、子が親を殺すか、隣人と殴り合いの喧嘩になるでろう」と19世紀に予言していたことが事実になったのであろうか。すぐれた作家は未来を予言する。ここで芥川龍之介の「カエルの話」も載せておこう・・・

 それはある池にカエルが住んでいるのだが、時々、ヘビにカエルが襲われ犠牲が出る。そこでヘビにカエルが襲われないにはどうしたら良いか、という相談になって、結局、池の周囲に金網を張ることになった。それを聞いたサーリブッダみたいなカエルの長老が「そんな事をしたら、この池はカエルが増え過ぎてそれこそ全てが絶滅する。時々、我々の仲間が犠牲になるのも全てを生かすことに相通ずるのじゃ」という意味の事を言う。つまり生物の密集斃死であり、全ての自然は自然淘汰の中で生き永らえているのだと。
 ところが幹部連中は長老の話しなど無視して今度はトンビにカエルが襲われたことによりドームを作ってしまう。池の周りをコンクリートにする。巣穴を高層ビルにする。食料は他所の池から輸入する。全てカエル至上主義において改革していくのであるが、確かに住みやすい。しかし、どうも呼吸困難とある種のカエルは気付き、その連中は一刻の安らぎを求めて他の池に旅に出るのだ。
 ところがその後、この池はどうなったかと言うと、池の魚は白い腹を空に向け絶滅し、無論、カエルも全て死に絶えたという話である。この寓話が未来の日本を具現していなければ良いのだが、どうも小生には営々としてその方向に突走っているように思えて仕方がない。

2006/11/02(木) 大道絵師の詩(替え歌)の頭より・・・
「スケッチブックをこ脇に抱え、住家構えぬ渡り鳥。ノレンをくぐって笑顔を見せて、エーお客さん、一枚いかが?暗い酒場の片隅が、涙で汚れたオイラの花道。義理もある。人情もある。心に哀しみ尽きねども今夜も笑顔で描きます。ああ、似顔絵人生さすらいは、酌めどもつきぬ酒ににて、終わりを知らぬ旅まくら。ああ、今夜はヤケに冷え込むなァー」


 こんなセリフは今の世に通じないよね。
今日も小学生の修学旅行生が「おじさん、何故、学校の先生にならないの?」と聞いてくる。「おじさんはこれでも三年H組金玉先生だぞ」と言うと「わぁーい、わぁーい」と言って逃げていってしまったよ。

 本当に戦後の教育界はマッカッサーに金玉抜かれ、「利」を説くしか脳はなく、抜魂の世代が跋扈し、俺の言っているのはただのアナグロ・ナセンスなのかな。

 昔、孔子は「仁」を説き、孟子は「義」と「情」を説いた。

 いまの世代にはこれも空論なのであろう。

 俺は早くお迎えがほしいよ。

さきほどの小学生が帰ってきて「おっさんは将来、何になるの?」ときたもんだ。

 「ホ・ト・ケ」
「ホットケー? ワーイ、ワーイ・・・・・」

 この無邪気さも陰湿な教育で選別され、また、彼らも同じ道を歩むのだろう。

2006/11/01(水) 熊本で山頭火を想う・・・・
まったく 雲がない 笠をぬぎ

と、熊本市野田町の大慈禅(だいじぜん)寺境内に、山頭火の句碑(左の写真)があります。世間から脱し、自由を愛し、酒を愛し、行脚の旅を続けながら俳句を作り続けた山頭火は、行乞の俳人として知られています。自由律俳句の平易で飾り気のないことばが、独特の雄大な雰囲気をかもしだし、しみじみと心にしみとおる句となり、没後半世紀以上経た今日でさえ、度々の山頭火ブームを起こしております。



 明治15年(1882)山口県の造り酒屋に生まれましたが、年少の頃母親が投身自殺、これが一生の心の傷となります。大正5年、家が破産し妻子を連れて熊本に移り住み、下通りに文具店「雅楽多(がらくた)」を営むことに。しかし自身の苦悩から逃れることができず、家業は妻に任せ、酒と俳句に埋没する日々を送ります。大正14年、44歳のとき出家、鹿本郡植木町の味取観音(みとりかんのん)堂の堂守となりましたが、その後も放浪の旅を続け、昭和15年(1940)10月11日、四国松山で倒れました。59年才でした。山頭火の墓はふるさとの山口県防府市にありますが、奥様が熊本に住んでいた関係で、分骨されて熊本市横手町の安国禅寺にもあるようです。

この熊本には上通り商店街と下通り商店街があり、下通りに山頭火の妻が絵はがきを売っていた「がらくた堂」があり、また山頭火が酔って市電にレールの上に大の字になったのもここであり、彼が愛した味取堂というお堂も残っている。 


分け入っても 分け入っても 青い山 
雨ふる ふるさとは はだしで歩く
ふりかへらない 道をいそぐ
すすきのひかり さえぎるものなし
岩かげ まさしく水が沸いている
ここで泊ろう つくつくぼうし



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