|
2006/11/04(土)
管理社会の行き過ぎの悪弊・・・
|
|
|
あちこちの学校や幼稚園では刑務所のごとく、他人、つまり不審者の侵入をこばみ、滑稽なごとく監視カメラを設置している。もっと滑稽なのは子供の通園児の時刻になると両親の送り迎えの車でその近辺がごったがえすことである。 町中では「子供110番」なるものを設置し、貼り付けた車が走り回っている。子供も防犯グッズで監視され、息するところ、休息するところなく、まったく可愛そうになる。 文豪・トルストイはこんなに個人主義になると「親が子を殺すか、子が親を殺すか、隣人と殴り合いの喧嘩になるでろう」と19世紀に予言していたことが事実になったのであろうか。すぐれた作家は未来を予言する。ここで芥川龍之介の「カエルの話」も載せておこう・・・
それはある池にカエルが住んでいるのだが、時々、ヘビにカエルが襲われ犠牲が出る。そこでヘビにカエルが襲われないにはどうしたら良いか、という相談になって、結局、池の周囲に金網を張ることになった。それを聞いたサーリブッダみたいなカエルの長老が「そんな事をしたら、この池はカエルが増え過ぎてそれこそ全てが絶滅する。時々、我々の仲間が犠牲になるのも全てを生かすことに相通ずるのじゃ」という意味の事を言う。つまり生物の密集斃死であり、全ての自然は自然淘汰の中で生き永らえているのだと。 ところが幹部連中は長老の話しなど無視して今度はトンビにカエルが襲われたことによりドームを作ってしまう。池の周りをコンクリートにする。巣穴を高層ビルにする。食料は他所の池から輸入する。全てカエル至上主義において改革していくのであるが、確かに住みやすい。しかし、どうも呼吸困難とある種のカエルは気付き、その連中は一刻の安らぎを求めて他の池に旅に出るのだ。 ところがその後、この池はどうなったかと言うと、池の魚は白い腹を空に向け絶滅し、無論、カエルも全て死に絶えたという話である。この寓話が未来の日本を具現していなければ良いのだが、どうも小生には営々としてその方向に突走っているように思えて仕方がない。
|
|
|
|