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2006/11/17(金)
柳田國男の「遠野物語」より・・・
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昨日、作家・立松和平氏の「柳田國男・遠野への道のり」を見た。感動した。日本の良き伝統を破壊していく政府の方針に、己がその立場にいることを投げ打って、「遠野物語」書くのである。 現在、「いじめ」「子供の自殺」などはの良き日本の伝統を破壊した結果であって、政府や教育委員会が手を拱いているのが滑稽でさえある。 奇しくも、ここ倉敷では「アジア民芸21・フェスティバルin倉敷」が開催されているのは適時打だと思う。 柳宗悦の民芸運動にまたまた大原孫三郎が民芸館創設の為、ポンと大金を投げ出すしているのには驚く。 また倉敷にも外村吉之介氏を招聘、「日本の伝統を守る民芸有働」の先駆けになり、今後を期待したい。
以下、柳田氏の足跡を紹介しおく・・・ 明治8年(1875)田原村(現・福崎町)の儒者松岡操の6男として生まれた柳田國男は、上京後、森鴎外と出会い、松浦萩坪に師事し、自然主義の文学青年と交流。「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激した。が、「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志した。東京帝大卒業後、農商務省農務局に勤めるなど官僚の職に就くかたわら、『遠野物語』などの民俗学への道となる書を著していった。雑誌『郷土研究』の創刊は民俗学が独自の領域と主張を持つための基礎づくりとなった。大正8年(1919)官界を去り、翌年朝日新聞社の客員として全国を調査旅行し、『雪国の春』『秋風帖』『海南小記』の三部作が生まれる。昭和5年(1930)同社を退職、ますます民俗学に専念、自宅で民間伝承論講義を行うようになる。『国史と民俗学』や雑誌『民間伝承』を創刊させるなど、昭和37年(1962)心臓衰弱で死去する日まで民俗学に心血を注ぎ、研究し続けた。
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