美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年11月
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2006/11/13(月) 摩訶般若波羅蜜多心経より・・
昨日は日曜日であって観光客多かったが、途中で「このまま流されていいのか?」と疑問持ち、早々帰り、座禅を組み、般若波羅蜜多心経を唱えました。
 すると心経の中に、『無』と『空』『不』と言う文字が矢鱈に多いのに気付きました。

例えば『無』の文字が21文字もあるのですが、私の眼で読みますと「なし」と受け取ります。

すると<無眼耳鼻舌身意>とありますと、「眼も無い、耳も無い,鼻も無い,舌も無い、身体も無い、心も無い」と言うことに成りますが、実際にあるから見たり 聞いたり 嗅いだり 味合ったり しているのだと思います。

何故?ないというのだろうか?

 調べてみますと・・・・

道元禅師が仏道を志された頃、これと同じ疑問を抱き比叡山などの善智識を訪ねて質問されましたが、誰一人として納得した答えを聞くことが出来ず、遂に中国にわたり如浄禅師について坐禅をされること数年・・・・

始めて、その意味を頭の中で解釈しようとしていた過ちに気付かれたと言う。

其れからは、文字言句の上を詮索することを止められて、坐禅三昧の日々を送られるうち・・・・・。

ある日坐禅三昧に入って居られた時、傍らに坐っていた同輩が眠っていたらしく、如浄禅師から警策をピシ!ピシ!ピシ!と、何度か打ち下ろされたのです。

その音にハット!我に返られた道元禅師は、『聞こうとも思わずして、聞こえた ピシ!・・・」に「無眼耳鼻舌身意」の真意を身体全身で徹見されたということらしい。

 すれば私の似顔絵は眼で見て描くのではなく、小手先で描くのではなく、全て「無」、つまり身体全身で徹見し、描くのが本当だったのかと自分なりに解釈しました。・・・・笑い


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