美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006年11月
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2006/11/11(土) 倉敷七十七番札所・道隆寺の落慶法要
 本日は昨日に続き、倉敷七十七番札所・道隆寺の落慶法要が営まれました。
 私は似顔絵で忙しくしていると、世話人の一人が紅白の饅頭他を持ってきてくださった。
 本当にこれに係わっている方々には頭が下がりますよ。

 ここ出身の炭谷小梅は「谷間の梅」といわれたぐらい、奉仕は隠れたところでして、初めて意義があり、まことの教育ができるようなことをおっしゃっている。

 奇しくも今日また、美観地区で落書き騒動があった。彼らを捕まえ、刑を与えるのは簡単であろう。しかし、彼らを矯正することは出来ないのではないか。

 何ゆえなら、日本という社会のよき伝統だった聖職という言葉も死語になっていき、政治家・役人・医者・教育者・宗教者といった戦前には、大衆から尊敬される聖職者たちが、拝金主義の権化である守銭奴に成り下がっている、ことを若者たちが痛いほど知っているからである。

 彼らの心を癒すのはただ一つ、こういう無私の心で携わっておられる大人もおられる事を知ったとき、改悛するではないか、と思う、が如何でしょう・・・・

 例えば《良き伝統社会》とは、
「人間と自然の営みが長い時間をかけて形成してきた風景」をいいます。

 これは言い換えれば、人間の《こころ》の問題でもあり、
「眼に見えない無形の資産」に価値を見出すことは、
形のあるものばかりに価値を見出そうとしてきた人類の歴史を一端否定し、
文化という人間の営みから生まれ創造されてきたものの本質を
若者たちも等しく認め合う契機となることを期待するのである。

 本当に関係者の皆様、ご苦労さまです。


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