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2006/11/01(水)
熊本で山頭火を想う・・・・
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まったく 雲がない 笠をぬぎ
と、熊本市野田町の大慈禅(だいじぜん)寺境内に、山頭火の句碑(左の写真)があります。世間から脱し、自由を愛し、酒を愛し、行脚の旅を続けながら俳句を作り続けた山頭火は、行乞の俳人として知られています。自由律俳句の平易で飾り気のないことばが、独特の雄大な雰囲気をかもしだし、しみじみと心にしみとおる句となり、没後半世紀以上経た今日でさえ、度々の山頭火ブームを起こしております。
明治15年(1882)山口県の造り酒屋に生まれましたが、年少の頃母親が投身自殺、これが一生の心の傷となります。大正5年、家が破産し妻子を連れて熊本に移り住み、下通りに文具店「雅楽多(がらくた)」を営むことに。しかし自身の苦悩から逃れることができず、家業は妻に任せ、酒と俳句に埋没する日々を送ります。大正14年、44歳のとき出家、鹿本郡植木町の味取観音(みとりかんのん)堂の堂守となりましたが、その後も放浪の旅を続け、昭和15年(1940)10月11日、四国松山で倒れました。59年才でした。山頭火の墓はふるさとの山口県防府市にありますが、奥様が熊本に住んでいた関係で、分骨されて熊本市横手町の安国禅寺にもあるようです。
この熊本には上通り商店街と下通り商店街があり、下通りに山頭火の妻が絵はがきを売っていた「がらくた堂」があり、また山頭火が酔って市電にレールの上に大の字になったのもここであり、彼が愛した味取堂というお堂も残っている。
分け入っても 分け入っても 青い山 雨ふる ふるさとは はだしで歩く ふりかへらない 道をいそぐ すすきのひかり さえぎるものなし 岩かげ まさしく水が沸いている ここで泊ろう つくつくぼうし
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