美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年11月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

直接移動: 20105 4 3 2 1 月  200912 11 8 1 月  200810 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2006/11/01(水) 熊本で山頭火を想う・・・・
まったく 雲がない 笠をぬぎ

と、熊本市野田町の大慈禅(だいじぜん)寺境内に、山頭火の句碑(左の写真)があります。世間から脱し、自由を愛し、酒を愛し、行脚の旅を続けながら俳句を作り続けた山頭火は、行乞の俳人として知られています。自由律俳句の平易で飾り気のないことばが、独特の雄大な雰囲気をかもしだし、しみじみと心にしみとおる句となり、没後半世紀以上経た今日でさえ、度々の山頭火ブームを起こしております。



 明治15年(1882)山口県の造り酒屋に生まれましたが、年少の頃母親が投身自殺、これが一生の心の傷となります。大正5年、家が破産し妻子を連れて熊本に移り住み、下通りに文具店「雅楽多(がらくた)」を営むことに。しかし自身の苦悩から逃れることができず、家業は妻に任せ、酒と俳句に埋没する日々を送ります。大正14年、44歳のとき出家、鹿本郡植木町の味取観音(みとりかんのん)堂の堂守となりましたが、その後も放浪の旅を続け、昭和15年(1940)10月11日、四国松山で倒れました。59年才でした。山頭火の墓はふるさとの山口県防府市にありますが、奥様が熊本に住んでいた関係で、分骨されて熊本市横手町の安国禅寺にもあるようです。

この熊本には上通り商店街と下通り商店街があり、下通りに山頭火の妻が絵はがきを売っていた「がらくた堂」があり、また山頭火が酔って市電にレールの上に大の字になったのもここであり、彼が愛した味取堂というお堂も残っている。 


分け入っても 分け入っても 青い山 
雨ふる ふるさとは はだしで歩く
ふりかへらない 道をいそぐ
すすきのひかり さえぎるものなし
岩かげ まさしく水が沸いている
ここで泊ろう つくつくぼうし



 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.