美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2006/11/29(水) 子供の「いじめ」は大人の反映である。
豊かな時代(反対に心が貧しく)になって、安全と衣食住は当然のようになり、ますます過保護化が進んでいます。故に今なお、「変わった人はいじめていい。排除していい」という意識は根強く残っています。

  町から各種団体、会社、PTA、町内会、井戸端会議、公園デビュー、ブランド品志向と人間が集まるところでは、どこでも「皆と違うと、仲間外れにされる」という意識に縛られてます。

  今問題になっている子供のいじめも、大人の村八分社会の反映です。「いじめ」の問題を検討する会議が、すでに「いじめ」の体質をもってはいませんか。

  たとえ10人でも、会議室の椅子に座って委員会を始めると、その席では変わったことは言えません。言えば、無視されたり排除されます。

  このように、私たちが無意識にしている大人の社会の物事の決定方法が、「いじめ」の構造ではないのですか。根回しをもとにした満場一致や会社の窓際族という解決法などは、まさに「いじめ」の手本でしょう。

  社会に原因があるのに、解決を子供に求めることは残酷きわまりないことではないでしょうか。

  解決のためには、一人一人の大人が、「自分を守るために、皆と同じであろうとしてこなかったか」、「今なお、人間の価値を社会の評価で決めていないか」と振り返る必要があるのではないでしょうか。
 こりゃ、マイッタ。ワハハハハっ・・・

          大道に顔絵師・談

2006/11/28(火) 「いじめ
子供の諸問題の根源は家庭教育の崩壊にある。
「三つ子の魂百まで」と言う諺は歴史的事実である。
共働きこそが家庭教育崩壊の根源である。

母親の悲愛と父親の慈愛、それは陰と陽である。
この陰と陽が崩れたところに家庭教育の崩壊がある。

何でも教育の責任は学校にあるのではない。
家庭教育の上に学校教育があるのだ。家庭教育が崩れれば、学校教育は崩れる。

親を信用せず、親の言うことを聞かない子供が、どうして他人の教師の言うことを聞くのだ。聞くはずがないだろうが。

親が教師をバカにしていて(今の親は先生と同程度の教育を受けているので・・)何で子供が教師を敬うのだ。教師をバカにするのなら自らが家庭で教育をしろ。エジソンの親のように。

よくよく親が懺悔しない限り学校教育の立て直しは出来ない。

また、個性を尊重する教育をするには、聖人君主の教師で無い限り日本では不可能である。
個性を尊重する教育を唱える聖人君主が教育をしてやって見せてほしい。

「世は悪に滅びずして愚に亡ぶ」

教育は卓上の理論ではない。後からつける理屈は何とでもつけられる。
やって見せてみろ。やって見せてみろ。

マスコミも悪い。新聞をいかに売るかという営業ばかりを考え、テレビの視聴率ばかりにとらわれて、おもしろ半分とは言わないが、売れる記事ばかりを載せ、見てもらえるニュースばかりを放映している。

もっと報道の与える影響をまじめに考え、自らの思想的判断ではなく、中道的判断にたって報道をしてもらいたい。

2006/11/27(月) 中学生いじめ自殺報道より・・・
「この生徒は、昨日昼の掃除の時間に、ズボンをぬがされたということです。その後の給食の時間中に、この生徒が涙を浮かべ元気がない様子だったので、「どうしたの?」と担任の教諭が尋ねたところ、魚釣りが趣味の生徒は「魚が釣れない」とだけ答え、ズボンをぬがされたことにはなにも答えなかったと言うことです。このあと教諭がほかの生徒に「なにかあったのか」と尋ねた際、ひとりの男子生徒が「ごめんなさいズボンをおろしました」と申し出たため、自殺した生徒に「大丈夫か」と問いかけると「大丈夫です」と答えたと言うことです。自殺した生徒は6時間目まで授業を受けて、部活動に参加し、午後5時半ごろ友人らと4人で歩いて帰宅したと言うことですが、別れ際、「死にたい」といったそうです。」

この報道が、真実なら担任の先生もよく観察し対応しているのに、なんという結果でしょうか!

 ただ、『「大丈夫か」という声かけは、しないようにしよう』というのは、JR事故で家族を亡くした子どもに毎日かかわっていた教師の言葉です。大丈夫でないのに、『大丈夫です』といわざるえないからです。そして、ほんとうの気持ちを閉じざるえなくなるからです。これは、トラウマの視点を学ばないと、わからないことです。

 「そんなことされたらむちゃくちゃ腹立つよな!」と声かけすれば、応答は変わってくるかもしれません。でも、それを求めるのは、酷すぎます。

 これは、わが国の子育て・教育を見直し、怒りや悲しみといった気持ちや感情との望ましいつきあい方、ほんとうの気持ちを表現する方法を、積極的に、運動として展開することが、一つの打開だと思います。ストレスマネジメントは、その運動のひとつの柱になるでしょう。また、日本人の自殺に対する意識を変えていくことも必要です。みんな一人ひとりができることを提案し、実行していこうじゃないか。

2006/11/25(土) 輝ける闇顔、闇の中光明顔
似顔絵を描いていると色んな人に出会う。現代は「輝ける闇顔、闇の中光明顔」と私なりに名づけている。

 現代を「輝ける闇」と言ったのは確かショーペハウエルだが、意味は世の中、画一化され、明るくなればなるほど人をいらだたさせると解している。
 確かに町はあらゆるものが整理され、番号順に選別されているが、それがかえって人間を苛立たせているのも事実のようである。
 私も酒の止める薬をもらい心療内科に通っているが、すごい混雑ぶりで、三時間待って三分治療のようだ。
 
 昨日の新聞を見るとまったく漫画みたいなパラドックスをおもわせるような事件が載っていた。
 そういう医者もイライラしているのか、出会い系サイトで知り合った未成年の少女に金を渡してホテルへ連れ込んらしい。ところが出てきたところを未成年の青年たちに「俺の女に手をだしたな」と恐喝して捕まっておる。
 まったくヤクザの使う「つつもたせ」の手であるが、少女も青年も昼の顔は良い子で、親も一流会社重役クラス、医者、警察官であったらしい。
 ホームレス襲撃事件も捕まえた少年は上と似た境遇であったと言う。
 これを私は「輝ける闇顔、」と名づけている。

 残念ながら「闇の中光明顔」は少なくなったが、ホームレスさんの中にこういう人が時々おられる。

 そういう時はホッとするね。

下の方は大阪城のホームスさんて阿羅漢さんといい、進学校の教師たちが生徒指導の相談に毎日くるので、今は雲隠れされている。
 確かに眼には今の人にない「魂の重量感」を感じさせ、坂本竜馬、あるいは太平洋戦争中、反軍思想を貫いた名代議士・斉藤隆夫氏の面魂を想起する・・・・

2006/11/24(金) もう他人に親切は出来ないのか?
 過日、こちらのスーパーで駐車車に荷物が置き忘れていた。
スーパーで買い物して、慌てておられたのであろう、荷物を積まず走り去った。私はスーパーに持っていくと、隣の派出所に持っていってください、と言う。派出所に行くとお回りさんはおらずそのまま帰ってくると、しばらくすると派出所より電話がかかってきた。「是非、来てください」というので仕事忙しい中いくと私の身分調べである。それが約二時間、その後、私の家まできて調べていく。ああ、また俺の親切癖がこういう結果になるのは毎度のことである。
 やはり、前に倉敷駅地下で一人の女学生を三人の女学生が取り囲み殴り、足蹴りしているので「こりゃ、一人の子を三人でいじめてはいけないじゃないか」と止めに入った。すると数日後、私の家に電話がかかってきた。「子供の喧嘩に大人が口出しするな」と言う苛めたほうの親からである。それからズーと嫌がらせ電話の応酬である。その家は火事て焼けてやっと収まったという訳だ。
 そうその火事も私の家に逃げ込んできた家庭内暴力の子が何処でひらってきたのか布団が玄関横においてあった。この子は両親も医者も警察も見離している札付きの子であった。「布団などひらってきては駄目ではないか。誰か亡くなった人のものかも知れんぞ」といっても知らん顔である。
 そんなある日、私が美観地区で仕事をしていると知り合いの人が「大変だよ、ちもとさんの家が火事だよ」と言う。冗談だろうと思ってかえると丸焼けだ。おかしいな、タバコの火も植木に水をやった残り水でたっぷり消しているのに・・・・そこでフト、思ったのは隣の寮の人が出勤するとき、私の庭にタバコを投げ捨てることをである。そのタバコが置いてあった布団に火がついたと今でも確信している。
 やはり火事のいく前、私の庭に桜の木が二・三本あった。そこはローソンに近く、未成年の若者たちが深夜、酒を買ってきてラジカセでおお騒ぎするのである。私は「若い者はいいですなー」といいつつも朝、散乱した酒ビンや食い残りのものを整理するのが常であった。そんなある日、私の携帯のプリペイドカードが切れたのでそのローソンに買いにいって「私にはわからないから、入れておいてね」といって帰って電話すると入っていない。こういうのは度々で苦々しく思っていた矢先、ちょうどローソンの事務所が開いていたので、酒の勢いもあったが責任者に一言いって置いた方がいいだろう、と思って入ると中年の男が一人いた。「あのうですね、隣の者ですがお宅で買ったものがいつも庭に散乱・・・」そこまで言うと私を無視して電話を取り上げるのである。その時、私はもう頭が切れ、二・三発殴っていた。結果、警察署だ。その警察が調書間違って書いてあったので破ったのがいけなかった。何でも「公文書破棄罪」というのがあって罪が重いらしい。気がつくとアル中病院に入れられていたよ。おかげて酒をやめられたがどうも胸の中がスッキリしない。
 以後、相変わらず、困っている人を見ると放っておけない性格なので、前のようにしているが、「親切者は馬鹿を見る時代なのだろうか」と疑問に思っている。
 「親切は社会を結びつけている黄金の鎖である。」という諺が通用しない世の中なのだろうか。



 

2006/11/23(木) いじめ、自殺に対する考察。四
 また私ごとになるが姉がホームレスに食べ物を運んでいたのは、私の母から続いていたと言う。その頃の母は西九条にあった「ちもと昆布」を懐かしがり、一人でそちらに行くついでに店の物をホームレスに持っていっていたのだろう。完全なるアルシハイマーであったが昔のことは良く覚えていて「ちもと昆布」の話を耳にタコが出来るくらい聞かされたものだ。その母も亡くなり、その後を姉が受け継いだわけだ。
 姉の自殺をどこで聞いたのか、葬儀場の回りはホームレスで一杯で葬儀場の人と叔父が相談した結果、ホームレスの人にも焼香してもらうことになった。叔父はこんな盛大な葬式は正雄以来だと興奮している。正雄さんとは太平洋戦争末期・学徒動員令で阪大よりオンボロ零戦に500キロ爆弾積んで沖縄へ行ってしまったのだ。その葬儀が牧落駅から家まで焼香者の群れで立ち並んだことを指すのであろう。

 さてメールを続ける・・・・
*いじめは病気に例えるとガンだと思う
根治はまずないから対症療法しかない

*子供の間でも職場でも国会議員の間でも国際社会でも
イジメって存在するジャン?
弱いものを見つけてエスケープゴートにするのが人類の常である

*いじめで自殺した際、遺書に主犯の名を記せば
そいつを死刑に出来るようにすればいい

*苛めなんかなくならねえよ。
それより、苛めごときで自殺するようなガキを
どうするか考えろっての。

*そもそも「いじめ」と言う言葉がだめなんだよ。
暴行、障害、恐喝、窃盗、器物損壊、殺人未遂、殺人・・・ 等々の
犯罪行為に正しく置き換え直す必要が在る。

*なくならないから、いじめっ子の親に、金銭的なリスクを持たせたらいいと思う。
あとは、いじめっこを専門の学校に隔離。
んで、一ヶ月でも通わせて反省したなら、帰らせる。悪質な奴は卒業まで専門学校。
中学生からは暴力は学校ないで済ませるんじゃなく、即警察介入。

2006/11/22(水) いじめ、自殺に対する考察。三
 私がホムペ上に「いじめ、で悩んでいる方は、私の仕事場に来てください」と載せるとすごい反響で今更ながら驚いている。中にはそんな偽善的な事はやめろ、という忠告もあるが、愛する姉をホームレス援助で、近所から攻撃を受け、首吊り自殺したことが忘れられないのである。
 だいたい私の家系は大阪、豊能郡萱野村粟生での苗字帯刀を許された庄屋であり、本陣の役目を果していた家である。曾祖父はいつも「困っている人を見たら助けてあげるんやで・・」でと口癖で、それが家の家訓にもなっていた。
 眉つばものだろうが、織田信長に追われた荒木村重の一族を匿ったり、早野勘平を助けたりして、その刀や猟銃が床の間に飾られていたのを思いだす。
 私ごとはやめて頂いたメールを紹介する・・・

* 村八分とか時代に逆行するような事やってる所じゃ無くならないよ

*簡単なことだ。
差別社会を再構築すればいい

*教育は、すべて通信制にする。

*均一でないものを無理に均一化させようとするから無理が発生するんだぜ?

*嫌いな奴がいるからいじめがおきる つまり こいつと馬があいそうだと思う生徒ばかりを同じクラスにする
合コンシステム採用
勝手に学校がクラス分けしねぇでワルはワルのクラス 真面目は真面目なクラスに分ければ 無問題 あと放課後や休み時間用に 巡回警備員常駐

*社会があればその数だけいじめは存在するだろ。
全ての人間が完全な個として存在するか、それこそ人類が滅亡しない限りいじめは絶対になくならない。

*いじめなんてある種の必然だろ
偏向した性犯罪者が一定の率で生まれるのと同じで、いじめられる性格・体質の人も必ず一定割合で生まれる
皆と仲良く足並み揃えて、イレギュラーな思考の持ち主を許さない社会の方が歪んでる
怠け蟻を巣から除くと別の蟻が怠けるように、いじめられっ子を治しても別の誰かがいじめられっ子になる

*減点法社会だからなー
小さなミスばっか気にして
ウンコ程度で毎日毎日飽きもせず揚げ足とって
劣ってる奴を苛めて自分は優れてるって気分に浸りたがるクソガキの多い事多いこと


失敗を恐れて何も発言できない生徒だらけのクラスには
イジメっ子予備軍が居ると思って間違いないな
極度の面倒くさがりばかりが集まったクラスなんてそうそうねぇしw

 まだありますが今日はここでやめます。

2006/11/21(火) いじめ、自殺に対する考察。二
いじめ、子供の自殺があいついて報道されている。

文科省がいじめ対策本部 具体的施策を検討に立ちあがった。
文部科学省は24日、地域社会や行政などが協力し、子どもを守り育てるための体制づくりを検討する推進本部を設置した。
 推進本部長に就任した同省の池坊保子副大臣は初会合で「いじめを小さい芽のうちに摘み取るにはどうしたらいいのか。
今まで(のいじめ対策の)何が良くなかったのか反省し、対策に取り組んでいきたい」と話した。
 同本部では地域社会のほか家庭、学校、教育委員会と国が協力するシステムや具体的施策を検討する、と言う。

 福岡の中2自殺事件では、マスコミやネット上でいじめグループの生徒達を処罰すべきだという論調が多く見受けられる。
 今からちょうど12年前にも同じ様にいじめ自殺(大河内清輝君いじめ自殺事件)が起きましたが、当時の文部大臣である与謝野馨氏も記者会見で「いじめた子ども自身の責任もきちんと問うべきだ」と述べ、法的処分を含めて検討するよう、指示を出しました。その結果どうなったかといえば特に何もなかったから今このような事件が起きた訳です。
学校という成熟していない人間(=子ども)同士の間で行われるいじめというのは、社会的に見れば子どもが人間的に成長していく上で必要不可欠なコストとして良くも悪くも組み込まれているような気がします。というか、このいじめ自殺に関する議論が12年前の大河内くん自殺事件から一歩も進んでないという事実を見ると、みんないじめで自殺なんてある程度仕方ないと考えてるんでしょう? くらいのことを言いたくなります。

 自殺はもとより、いじめを完全に無くすことすら不可能だと考えられる現状で、いじめ自殺を抑制するために具体的に何が出来るのか。このテーマは大河内君の自殺から12年経っても未だクリアされていないどころかろくに議論もされず放置され続けてきました。行政・学校バッシングと「いじめはいけない」「生きていればなにかいいことがある」くらいの美辞麗句の合唱以外に、システムとしていじめ自殺に対してやれることはないのでしょうか。もしそれが無いのならば、今回のような事件はいずれまた起こるでしょう。同じようないじめは、それこそ全国で何十万件と起こっているわけですから・・・・

 今の風潮は全ての人間か「変なものに関わりたくない」ということを根本的に是正しなければたらないと思います。線路に落ちた人を助け上げようとして、本人も亡くなった韓国人がいましたがこれは人間として当たり前の行動なのです。

 貴方は人間をやめますか?

2006/11/20(月) 「いじめ・子供の自殺」の多発について・・
 連日のように幼い子供の自殺が報道され、私も心痛める一人です。倉敷・大原美術館横で似顔絵を書いているせいか、よくそういう相談が多くなりました。
 ただ、前に苛めている子の親に談判した結果、その親より「他人の子供の事に口出しするな」と以後、無言電話、ファクスの嫌がらせで閉口しましたが、例のアトリエの火事で止まった苦い経験があります。
 私の姉も(実家が乾物屋)近くの公園に住むホームレスさんに食べ物を届けていましたが、近所より「チモトさんが食べ物を届けるからホームレスが居つくのだ」とすごい苛めの結果、自殺しました。あ・・・あ。
 火事のいく前の家は本当にいい家で庭も広く、桜の木も咲くせいか、近くのローソンより未青年が酒を買ってきて大騒ぎするのです。私はその度に酒ビンや食べ残しを始末していましたが、ある日「君たちの気持ちがわからないでもない、しかし、後始末だけはしていこうね」と言いますと、それから余り騒がなくなりましたが又、別のグループが来て騒ぐのです。
 ある日、似顔絵の稼ぎもよく、ほろ酔い機嫌でローソンの前が開いていましたので入りこんで話でも・・・と思って入り、そこに居た中年の男に話かけると、一切無視なのです。私の気性として酒のいきおいもあり、二・三発殴ってやりましたよ。
 結果、精神病院に放り込まれる始末です。
 お蔭様で酒をやめることは出来ましたが、人の困っているのは見過ごすことはできません。
 話が私ごとになり失敬・・・・

 何でも文部省がいじめ対策本部 具体的施策を検討したといいます。
 いじめを苦にした子どもの自殺が相次いで明らかになったことを受け、文部科学省は24日、
地域社会や行政などが協力し、子どもを守り育てるための体制づくりを検討する推進本部を設置したというのです。
 推進本部長に就任した同省の池坊保子副大臣は初会合で「いじめを小さい芽のうちに摘み取るにはどうしたらいいのか。
今まで(のいじめ対策の)何が良くなかったのか反省し、対策に取り組んでいきたい」と話した。
 同本部では地域社会のほか家庭、学校、教育委員会と国が協力するシステムや具体的施策を検討する、というが・・・

 これでは駄目だよ。まず子供たちを監視するのではなく「逃げ場」を作ってやる事。私の姉のように身体を張って悩みを聞いてやる大人が居ること、など色々あるますが官僚は常に反対に動いているように思います。
 私の外国の友人などは学校の校庭をもっと自然に帰せば、子供たちの眼はいきいきするだろう、と無籍人なことを言ってましたが・・・・
まず「均一でないものを無理に均一化させようとするから無理が発生する」

皆と仲良く足並み揃えて、イレギュラーな思考の持ち主を許さない社会の方が歪んでるし、是正する必要あり。


家庭の躾崩壊が一番の問題では?
いじめをする奴はまともな躾・教育を受けていない。
馬鹿が大人になって結婚して子どもができて自動的に親になって
自分の子どもを躾ることになる・・・まともな人間に育つとは思えない。

 今日はこの程度でやめておきます。

2006/11/18(土) 本日、色々・・・・
今日は寒い日でした。
お遍路さんも大変だろうと思ってますと、老若男女大変多くの方が参加しておられるので安心しました。
 岡大のお嬢さんも四・五人参加しておられ、私も参加したかったのですが急ぎの仕事入り、残念・・・・

 絵を描いていると真っ赤なジャンパーにハンチング被った若者が「横で似顔絵描いていいですか?」と問うてきました。本当は駄目なのですが、これも弘法太子さんのご縁と思って承知しました。
 ところが彼が店開きしてビックリ、ハガキの大きさのサンプルでお客さまもそれで描くらしい。
 「君、そんな小さいデッサンでは駄目だなあ・・・」
 「今まで僕は藪の子プロダクションにいて、テレビで似顔絵選手権でも優勝してます。」と言ったもんだ。

 しかし、大道ではこういう事は通用しない。絵・話の巧みさが要求されるのである。

 お遍路関係で席をはずして帰ってくると、かの似顔絵選手権さんはおらない。手伝いの女に「どうした?」と聞くと「ここの客相は悪い・・・」といって立ち去ったという。

 ああ、なにをか況や・・・

2006/11/17(金) 柳田國男の「遠野物語」より・・・
昨日、作家・立松和平氏の「柳田國男・遠野への道のり」を見た。感動した。日本の良き伝統を破壊していく政府の方針に、己がその立場にいることを投げ打って、「遠野物語」書くのである。
 現在、「いじめ」「子供の自殺」などはの良き日本の伝統を破壊した結果であって、政府や教育委員会が手を拱いているのが滑稽でさえある。
 奇しくも、ここ倉敷では「アジア民芸21・フェスティバルin倉敷」が開催されているのは適時打だと思う。
 柳宗悦の民芸運動にまたまた大原孫三郎が民芸館創設の為、ポンと大金を投げ出すしているのには驚く。
 また倉敷にも外村吉之介氏を招聘、「日本の伝統を守る民芸有働」の先駆けになり、今後を期待したい。

 以下、柳田氏の足跡を紹介しおく・・・
 明治8年(1875)田原村(現・福崎町)の儒者松岡操の6男として生まれた柳田國男は、上京後、森鴎外と出会い、松浦萩坪に師事し、自然主義の文学青年と交流。「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激した。が、「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志した。東京帝大卒業後、農商務省農務局に勤めるなど官僚の職に就くかたわら、『遠野物語』などの民俗学への道となる書を著していった。雑誌『郷土研究』の創刊は民俗学が独自の領域と主張を持つための基礎づくりとなった。大正8年(1919)官界を去り、翌年朝日新聞社の客員として全国を調査旅行し、『雪国の春』『秋風帖』『海南小記』の三部作が生まれる。昭和5年(1930)同社を退職、ますます民俗学に専念、自宅で民間伝承論講義を行うようになる。『国史と民俗学』や雑誌『民間伝承』を創刊させるなど、昭和37年(1962)心臓衰弱で死去する日まで民俗学に心血を注ぎ、研究し続けた。

倉敷の自然を守る会 
〒710−8565 倉敷市西中新田640 倉敷市環境保全課 内
電話 (086)426-3391
FAX (086)426-6050

2006/11/16(木) お遍路の効用・・・
遍路の効用

 まず何より苦労して歩きます。
 苦労すればするほど、人の心のいたみがわかり、人にやさしくなる。荒行の意味が少し理解できるようになる。道を尋ねるとき、教えてくれた人々の底抜けに明るい笑顔に癒される。
へんろ道で迷ってから、道しるべの有り難さが見にしみて分かる。道しるべの一つ一つに、”ありがとう”感謝するようになれる。

「お布施」
 坊さんにお金を差し上げる事と誤解している方がいる。
「お布施とは、自分の物欲を捨てさせていただくこと」。悩みの原因である「物」に対する執着心を捨てさせることである。恵むことではない。
  ブランド品、骨とう品に心を奪われる人は、これら物品に悩まされる。だまされた、あれが欲しい。手に入れるために借金して人生を狂わせた。
 高価なものを傷つけられて価値が下がってしまった・・・持っていなければ怒らないですんだのに、持っていたが為に、腹を立てずにいられなくなってしまう。それでストレスがたまり、命を縮めることになる。ばかばかしいとは思いませんか。この心を捨てさせてもらうのが「布施」をするという行為である。
 
 人間、必要最低限度の物しか持たない人は悩まない。悩む原因となる物を持たないから。
お金に執着心が強い人は、お金で悩む。お金を捨て去れば悩まないですむ。だからお布施という形で、お金を捨てさせて頂く。お坊さんにお金を貰っていただくのである。これがお金のお布施である。
   へんろを体験すると、人生に必要なものはわずかであるということが分かる。
今生きるのに必要なものだけでよい。不要な荷物は一切持たない。どんどん捨てていく。何が必要で何が不要かが分かってくる。
 だから生きるのに必要のない悩みはいつでも捨て去ることが出来るようになる。生きるためにプラスになる考えに徹するようになる。という事を倉敷の先達さんから聞きました。

 きしくも今日は七・五・三で親達は子供に晴れ着を着せ、写真を撮り、五万円もかかりました、とある両親はテレビで言ってましたが、私には何か空疎な思いが拭えませんでした。

 11月18日 観龍寺駐車所午前八時半、ハイキング姿、手弁当用意して集まってください。いじめっ子、いじめられっ子、美観地区落書きした子、家庭内暴力の子、登校拒否児、ニート、悲しい人、淋しい人、道は険しいが、先達さん達が慈しみで先導してくださりますよ。
 そして何より目的を達成した充実感か味わえます・・・。

2006/11/15(水) 「貧者の一灯」について・・・・・
或る方より「貧者の一灯」とは?に答えておきます。

例えば寄付が行われる折に、よく「貧者の一灯です」という言葉を聞くことがあります。

これは、真心からの恵みこそ何より尊いということを言った言葉であり、それは有名な仏教説話の一節からの

ものです。お釈迦様が王舎城という町の近く、霊鷲山(りょうじゅせん)で説法をされているとき、マガダ国の

阿闍世王は沢山の飲食のほかに、万灯を献じて供養しました。

一方、その城下に大変貧しい老絵師?が住んでいて、その老絵師がお釈迦様に対して何か供養をしたいと

思ったのです。しかし貧乏のため何にも供養するものがありません。

しかたなく、通行人からわずかの銭を恵んでもらい、それで油を買い、心ばかりの一灯を捧げたのです。

ところが、阿闍世王の献じた万灯は風にゆれて消えたりともったりでしたが、老絵師の一灯はわずかの油なのに

夜通し赤々と灯りつづけたということです。

お釈迦様はこの貧者の心からなる布施によって、来世のよき世界への

生まれ変わりを約束されたということです。

つまり、王の万灯の施しは心からというより、豊かな財力から捧げたもの

であり、老絵師の貧者の一灯には真心がこもっていたのです。

この話は貧者の一灯は富者の万灯よりも尊いということを教えています。

確かに貧者の一灯は尊いものです。

しかし、この話の「貧者の一灯」は、貧乏だからわずかな一灯さえ捧げればそれでよいと言うのでは

決してありません。

ところがよく世間では、この貧者の一灯と言う言葉だけをかりて、豊かでないことを理由に、出し惜しみの弁明に

される場合も少なくないようです。

「貧者の一灯で申し訳ないがこれだけで」と言う次第です。

だが、かの貧者の老絵師は施すものが何もなくて、物乞いをしてまで一灯を献じたのですから、出し惜しみの

気持ちが、いささかでもあれば「貧者の一灯」などと言う言葉は使えないし用うべきではない思います。



もし「貧者の一灯」の言葉を借りて施しを惜しみながら供養するとする

ならばまことの供養にはならず、それは自らの心を偽り、神仏を欺く

ことなのです。

また金持ちが多額の施しをするのに、「施してやった」と恩着せしたり、

あるいは名誉欲から出た売名行為であったりすることがあります。

それはいずれも真の布施ではありません。


出し惜しみするのはわが身かわいさの、我執(とらわれ)であり、してやったというのも自我意識からの行為で

ありましょう。真の布施はその我執我見から離れ、己を虚しくする陰徳の行いであるべきです。 

2006/11/14(火) 本日七十二番札所・曼荼羅寺落慶法要
 朝から雨が降っていたが午前九時に到着すると、すごい人出である。観龍寺ご住職始め、世話人方々が準備に勤しんでおられる。
 そして各テレビ局、新聞社などの人々もおられ、前の太山寺と違い、小雨をついて実に晴れ晴れしい。
 紅白に張られた幕の奥に曼荼羅の仏が鎮座しているはずだが、まだ白幕で覆われている。
 観龍寺ご住職・村田文英さまの読教が始まった。人々は続々つめかけ、無粋はパトカーまでやってきたのには驚いた。
 この落慶法要はビル建設、道路拡張で六か寺欠けていたのを、原氏発起人を主導で民間の寄付だけで完成した素晴しい事業である。勿論、私も貧者の一灯をさせて貰った。

 いま「いじめ」とか、「不審者」とか、「自殺」とか、暗いニュースばかりである。
 人は愚かで効率ばかり追求する結果、古き良き伝統まで壊してしまった。その結果、それ以上に人の心まで壊してしまったのだ。
 このことをハイデッガーは「輝ける闇」と言った。変に外面だけ眩しく、人の心を苛立たせ、内面が空疎な風潮のことである。
 
 倉敷八十八ケ所巡りは、来る11月18日午前8時半、観龍寺駐車場出発致します。
 是非、参加されて、自然のありがたさ、命の尊さを肌で感じとって頂ければ幸甚です。

 「いじめ」問題で文化庁や教育委員会などにはまかせておけません。我々の足でしっかりと内面を見つめようではありませんか。
 般若心教に何故、「無」「空」「不」が多いのか考えて歩くのも一考ですよ。

    電話 424ー4564 福森氏
    電話 422ー1388 都井氏
    電話 422-6964 千田氏

2006/11/13(月) 摩訶般若波羅蜜多心経より・・
昨日は日曜日であって観光客多かったが、途中で「このまま流されていいのか?」と疑問持ち、早々帰り、座禅を組み、般若波羅蜜多心経を唱えました。
 すると心経の中に、『無』と『空』『不』と言う文字が矢鱈に多いのに気付きました。

例えば『無』の文字が21文字もあるのですが、私の眼で読みますと「なし」と受け取ります。

すると<無眼耳鼻舌身意>とありますと、「眼も無い、耳も無い,鼻も無い,舌も無い、身体も無い、心も無い」と言うことに成りますが、実際にあるから見たり 聞いたり 嗅いだり 味合ったり しているのだと思います。

何故?ないというのだろうか?

 調べてみますと・・・・

道元禅師が仏道を志された頃、これと同じ疑問を抱き比叡山などの善智識を訪ねて質問されましたが、誰一人として納得した答えを聞くことが出来ず、遂に中国にわたり如浄禅師について坐禅をされること数年・・・・

始めて、その意味を頭の中で解釈しようとしていた過ちに気付かれたと言う。

其れからは、文字言句の上を詮索することを止められて、坐禅三昧の日々を送られるうち・・・・・。

ある日坐禅三昧に入って居られた時、傍らに坐っていた同輩が眠っていたらしく、如浄禅師から警策をピシ!ピシ!ピシ!と、何度か打ち下ろされたのです。

その音にハット!我に返られた道元禅師は、『聞こうとも思わずして、聞こえた ピシ!・・・」に「無眼耳鼻舌身意」の真意を身体全身で徹見されたということらしい。

 すれば私の似顔絵は眼で見て描くのではなく、小手先で描くのではなく、全て「無」、つまり身体全身で徹見し、描くのが本当だったのかと自分なりに解釈しました。・・・・笑い

2006/11/12(日) 歌手・倉木麻衣さんより・・・
(`ё´)倉敷島にネガティブ退治に行った倉木麻衣!美観地区で一息入れてきび団子を一口…仲間引き連れいざ!出陣!!
よ〜〜しがんばろうと意気込んでいたら途中で出会った面白似顔絵描きおじさん!よ〜くみたらmai・k(私の)似顔絵ありました(#゜_゜#)~~~…思わず仲間に問い掛けてみたら笑みを浮かべてお買い上げ!
そしたらおじさんは気がついたのか、私を見るなり「ワー・美しい、エジプトのクレオパトラか、中国の楊貴妃、日本では倉木麻衣でんな。もっと綺麗に描かなければ・・!」って。そしておじさん、「一緒に写真撮らせて」というので仕方なく、おじさんの横に行きますと肩に手を・・・晴天絶好調日和でテンション高めの陽気な一日となりました( ̄▽ ̄)/ライブも仲間のおかげで大盛りあがりでめでたし!めでたし!
ルン♪ルン♪ルン♪

追伸:倉敷名物!備前焼き!沢山発見しました☆ツヤも色も手触りも全く違った昔からの文化を受け継いで出来た焼き物…その備前焼きで育ったお花やお水の育ち方や味が違うとか☆私も一度備前焼き作ってみたいな〜♪倉敷のみなさんありがとうございました〜!
次は広島がんばりま〜す(^O^)BY MAI.K Love you..

姫!広島に到着しました! [ 倉木姫とショーパンスーツの白馬の騎士 ] September 16, 2006 14:30
倉木麻衣のMai.K Diary:倉敷市民会館 - livedoor Blog(ブログ)倉木姫様、倉敷公演お疲れ様でした。美観地区行かれましたか!あの似顔絵おじさん、タカも昨年の倉敷公演前に見かけましたよ(*^_^*) 本物の姫登場で、そのおじ様も驚かれたのではないでしょうか。さて、...

倉敷市民会館 [ 高校生活と倉木麻衣による影響 ] September 16, 2006 14:53
倉敷市民会館お疲れ様!!! 倉敷・・・・・・・どういったとこか知らないから一度いってみたい・・・・・・笑麻衣さんの似顔絵みたいな〜その絵描きの人も見てみたい!!!笑

37. Mai-K Diary更新 [ 明日への思い ] September 16, 2006 23:51
倉敷市民会館のDiaryも更新ですね。似顔絵おじさん…どんな方か気になります〜どんな絵なのかもみてみたいな。それにしても麻衣さんネガティブを退治にって、体調でも悪いのでしょうか?それとも疲れてるのかな…ツアーも中盤、そして季節の変わり目で体調管理が大変な時期...

40. Mai Kuraki Live Tour 2006 DIAMOND WAVE in KURASHIKI CITY AUDITORIUM(vol.17) [ Mai-K FAN DIARY ] September 17, 2006 00:51
倉木麻衣のMai.K Diary:倉敷市民会館 - livedoor Blog(ブログ)麻衣さん、倉敷〜公演、お疲れさまです岡山といえば…やはり、きび団子を食べましたか… 麻衣さんの似顔絵がありましたか…(^_^:)驚いたと思います。(^_^:) Liveも盛り上がって良かったですね。広島〜公演....

  他、多数ありますが省略します

2006/11/11(土) 倉敷七十七番札所・道隆寺の落慶法要
 本日は昨日に続き、倉敷七十七番札所・道隆寺の落慶法要が営まれました。
 私は似顔絵で忙しくしていると、世話人の一人が紅白の饅頭他を持ってきてくださった。
 本当にこれに係わっている方々には頭が下がりますよ。

 ここ出身の炭谷小梅は「谷間の梅」といわれたぐらい、奉仕は隠れたところでして、初めて意義があり、まことの教育ができるようなことをおっしゃっている。

 奇しくも今日また、美観地区で落書き騒動があった。彼らを捕まえ、刑を与えるのは簡単であろう。しかし、彼らを矯正することは出来ないのではないか。

 何ゆえなら、日本という社会のよき伝統だった聖職という言葉も死語になっていき、政治家・役人・医者・教育者・宗教者といった戦前には、大衆から尊敬される聖職者たちが、拝金主義の権化である守銭奴に成り下がっている、ことを若者たちが痛いほど知っているからである。

 彼らの心を癒すのはただ一つ、こういう無私の心で携わっておられる大人もおられる事を知ったとき、改悛するではないか、と思う、が如何でしょう・・・・

 例えば《良き伝統社会》とは、
「人間と自然の営みが長い時間をかけて形成してきた風景」をいいます。

 これは言い換えれば、人間の《こころ》の問題でもあり、
「眼に見えない無形の資産」に価値を見出すことは、
形のあるものばかりに価値を見出そうとしてきた人類の歴史を一端否定し、
文化という人間の営みから生まれ創造されてきたものの本質を
若者たちも等しく認め合う契機となることを期待するのである。

 本当に関係者の皆様、ご苦労さまです。

2006/11/10(金) 倉敷八十八ケ所・太山寺の落慶法要
 昨日、倉敷八十八ケ所・五十二番札所・太山寺の落慶法要式がありました。 
 場所は倉敷・新田公園の前で、ちょっと見過ごしてしまいそうな所ですが、あちこち道路の拡張やビルの開発ラッシュで壊されていたのを復元されたのです。こういう無私な行為を為されてきた皆さんに感謝するとともに、ヒョッとするとこういう無私な行為こそ貴重で、すべて人間の行為は利権がらみ、あるいは権力がらみではないということを、若い人達が望んでいるのではないでしょうか。況や、日本伝統文化だけ壊すだけでなく、日本人の心もそれ以上に壊している今の世において故に・・・
 見るところ家庭内暴力の若い娘さんや、ホームレスみたいなご婦人も混じっておられたようですが、弘法太子様の前で、手をあわす姿と世話人さまが皆、平等に扱っておられたのにも感動しました。
 フト、その時、私の頭を過ぎったのは柳田國男氏の「遠野物語」のことです。
 柳田は良き日本の伝統が滅びていくのを偲びず、官僚の地位を捨て「遠野物語」を残した熱情を・・・・・
 観龍寺ご住職・村田文英さまの読教の後、お神酒を頂き、(禁酒中の私でしたが)その日の天気のように、晴れ晴れした気持ちで頂きました。
 この太山寺に続き、七十一番、弥谷寺。七十二、曼荼羅寺。七十三、出釈迦寺。七十六番、金倉寺。七十七番、道隆寺で満願です。
 本当に関係者の皆様、ご苦労さまでした。

 ちなみに私のは七十二番、曼荼羅寺です。

2006/11/09(木) 『新道路族』猪瀬直樹に失望
猪瀬直樹氏が倉敷で講演会を開いた。「ミカドの肖像」で大宅賞、三島由紀夫研究会、道路公団を糾すなどで期待していたが、何等得るところなく、こいつもミイラ捕りがミイラになったか、という印象であった。
 強面で口うるさく為政者を攻撃するあたりは期待していただけに残念至極でもあった。
"アチラ側"へ回ってしまった今となっては、ただのボソボソしゃべる陰湿なオヤジでしかない
権力に靡くというのはこういう感じなんだなー とも思ったよ。

 道路公団民営化委員会のほとんどが小泉の「梯子はずし」に失望し辞めてしまった中、唯一(ニ?)踏み止まり改革断行を叫んでいたものの、結局出来上がった道路公団民営化案は道路族議員たちの拍手をもって迎え入れられた
何を言って弁解しようが、古賀誠の満面の笑みが百の言葉より真実を物語っている
あれだけの政治家が露骨に表情に表すんだから、わざと「勝利宣言」してみせたということだ

どうも歯切れ悪い最近の猪瀬の論調だけど、結局彼は内部に踏み止まって何ができたんだろう?
内田公団副総裁など談合で逮捕できたのをやたらと自分の改革の成果と自画自賛しているが、こんなことは検察国家を自由にできる現在の小泉の手腕であれば別に赤子の手をひねるより容易い
そんなことわかっているはずの彼がそればかり強調するあたりがなんとも裏で隠していることが多そうで気持ちが悪い
自己採点で「80点の改革」、、、笑ってしまう >猪瀬さんのウソツキ

 写真は倉敷・アイビー・スクエア前でご婦人と・・・
そういえば以前よりお顔も悪くなったようですよ、猪瀬さん

2006/11/08(水) 「いじめ」について・・・・
「11月11日にいじめにより、自殺します」という手紙が文部大臣に送られた。これは余程のことなのに、教育委員会には「いじめによる自殺は一件も報告されていない」と言う。
 今日もこの倉敷・大原美術館前を修学旅行生が通るが、時間が限られているのであろう。私の絵を見て立ち止まろうものなら、「後から、後から・・」と言って、羊飼いのように生徒を追い払っていく。酷い例では、中年の女の先生であったが「大道で売っているものは汚いから、買わないように・・」にはさすがの俺も驚いた。
 生徒の父兄が「先生を変えてくれるように・・・」というのも解るような気がする。
 こちらの学校でもこういう事件があった。
 倉敷のある中学で10月、保健体育の男性教諭(62)が体育祭練習中に、3年生の女子生徒の頭をたたくなど体罰を加え「おれの前に姿を見せたらいじめ抜く」などと暴言を浴びせていたことが25日、分かったと言う。
 止めに入った3年生の男子生徒も振り払われて転倒。いずれもけがはなかったが、同校は教諭を厳重注意し、生徒と保護者に謝罪したらしい。
 同校によると、教諭は体育祭前日の10月6日午前、1年男子の競技をマイクを使って指導していた。音量が下がったため放送席に注意した際、通り掛かった女子生徒に「声が大きくてうるさい」と言われたことに立腹。生徒の頭をたたき、髪の毛を引っ張って頭を揺さぶったというのが、発端らしい。
 先生も先生なら、生徒も生徒である。

 この問題は複雑で、非常に難しい。
 しかし、わたしが強く思うのは、問題の根源は、戦後教育にあるのではないかということである。
 学校がおかしいということ。若者が過保護で、まっとうに社会に出られないということ。
 教員、家庭、社会、いろいろと根は深い。
 しかし、ずっと手をこまねいてばかりいるわけにはいかないだろう・・・

 私の若い頃は小田実氏のベ平連運動や安保闘争にエネルギーをついやし、結局、挫折はしたが、己を非常に鍛えてくれたものである。道草する牛は良く肥えるものなのだ。

 若者よ、誰かイ平連、つまりイラクに平和運動を・・・・と言って立ち上がらないかな。

11月絵日記の続き


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