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2006/10/12(木)
マヌエル・ガッサーの「巨匠達の自画像」
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マヌエル・ガッサーの「巨匠達の自画像」は私の愛読書の一冊で似顔絵に挫けそうになると、いつも取り出して読んでいる。 ガッサーは「巨匠たちの自画像」の中で、自画像芸術の崩壊は印象派の勝利とともに始まると述べているが、絵画の純粋性の追求は、自画像もまたかつての人生観を放棄した。印象派時代の画家たちは自己を直接あらわすよりも、光りの中の自己の形と色を描いている。あたかも自己の内面を描いてもいたしかたないことを共通に理解しているようにみえる。 それでも、多くの人々が自画像「とりわけ優れた画家の手になる自画像」の魅力にひきつけられるのは、きわだった個性をかいま見て天才の内面に少しでも触れたいという欲求が強いからといえる。 画家たちは常に、人間として美術家としての自己の頂点に立って自画像を描くという事実があり、自画像に私たちが相対するのは、誰かの単なる肖像を超えた画家のある時期の総体、場合によってはその生涯の全体像でさえあるという事実があるからである。 その自画像から強烈な印象を受ければ受けるほど、何故その時に自画像が描かれたのかとの事情をつかみたいと願うのは、自画像が風景画や肖像画と異なり、自分自身を対象とする極めて個人的な性格の強い絵画である以上、当然の願望といえる。よって観る者も自画像を受容するには、当の画家の生涯や作品についての最低限度の知識が必要となる。
画像はマネのものである。
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