美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年10月
前の月 次の月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

直接移動: 20105 4 3 2 1 月  200912 11 8 1 月  200810 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2006/10/01(日) 大阪市立美術研究所・雑感 101
小出楢重画論より

大和魂の衰弱

 私自身の経験から云うと、私達ちの学生時代は、自分等の作品を先生の宅へ持参して、特に見てもらうと云う事をあまり好まないと云う気風が多かった様に記憶する。殊に展覧会前などに於て持参に及ぶ男を見ると、何んだ、嫌な奴めと考えられた位いのものであった。自分の絵は自分で厳しく判断すれば大概判っているもので、それが判らない位いの鈍感ならさっさと絵事はあきらめる方がいいと考えていた。そして尚お、先生達ちの絵に対してさえも厳しい批評眼を持つ事を忘れなかった。
 学校や研究所は自分達ちの工場と考え、お互が励み合いお互で批評し合い、賞め合い、悪口をいい合い、或は自分を批判し尽して以て満足していたものであった。
 初めて文展が出来た時、私達ちは何も知らずに暮していたが、多少大人びた者共は、ひそかにお互の眼を掠めて作品を持って先生達ちの内見を乞いに伺うものが現れた様だった。左様な所業は何かしら非常な悪徳の一つとさえ見做されていて、敢えて行うものは、夜陰に乗じて、カンヴァスを風呂敷につつみ、そっと先生の門を敲くと云った具合であったらしい。又学生の分在であり乍ら文展に絵を運ぶと云う事は少年が女郎買いすると同じ程度に於て人目を憚ったものである。或は、むしろ、女郎買いの方は憚らなかったとも云えるが、文展出品は内密を主んじる風があった。
 私などは、殊の外恥かしがり屋の故を以てか、浅草や千束町へは毎晩通っていたが、文展へ絵を出す如き行為は決してなすまじきものであると考えていた事は確かである。そして吾々はそれによってある気位いを自分自身で感じていたものだった。先ず鞭声粛(シュク)々時代と云えば云える。東洋的大和魂がまだ吾々の心の片隅に下宿していたと云っていいかも知れない。
 その私達ちの学生時代からたった十幾年経た今日、時代は急速に移って、鞭声粛々とは何んですかと訊ねられる事に立ち到った。今に大和魂と云った位いでは日本でも通じなくなる時代が来ないとも限らない。
 勿論、画学生は数から云って、今とは到底比較にならない少数のものが、本当に苦労して勉強していたものであるが、私達ちの時代よりもっともっと以前にあっては、全くこれは話にならない処の苦労をなめた処の少数にして真面目な研究者があった訳であろう。然し、嫌な奴も存在したであろう。
 目下芸術教育は盛んに普及し、一般的となり大衆的となりつつある。従って、どれが専門の画学生やら、アマツールやらさっぱり判らぬ時代となって来ている。田舎の図画の教師達や図案家、名家の令嬢、妻君、女学生、会社員、あらゆる職を他に持っている人達の余技として、絵画が普及し、隆盛になりつつある様である。
 それは真とに日本文化の為めに結構な事であるが、それだけ一般化され、民衆化され、平凡化されて来た芸術の仕事の上に於ては、従って往時の画家の持っていた処の大和魂とも申すべき画家の気位いが衰弱して行く情けなさは如何ともする事が出来ないのである。そしてただ、一寸、入選さえ毎年つづけていれば、それで校長と親族へ申訳が立つと云う位いの、安価な慾望までが普及しつつあるかの如くである。
 お引立てを蒙る、御愛顧を願う、と云う文句は米屋か仕立屋の広告文で最早や無いのである。芸術家は常に各展覧会に於て特別のお引立てと御愛顧を蒙らなければならないが為めに、年末年始、暑中は勿論、かなりのはがきさえも用意せねばならない時代である。そうしなければ、この文明の世界に絵描きは立っても居ても居られないと云う場合に立ち到っているかの如くである。
 従って近頃位い、各先輩や審査員の家へ絵を持って廻る画学生の多い時代はかつて無いと云っていいかも知れない。
 批評を受けることは必ずしも悪い事では無いが、それが単に絵の批評だけであるならいいが、或はそれ以外の点に目的がある如き頗るややこしい場合がかなりあるのである。
 とに角一度審査員の目に触れさせて置く必要があると云う考えから、無理やりに見せにくると云う事が無いとは断言出来ない事を私達ちは感じる。その証拠に、この絵はよくないから駄目だと考えますと云った筈の絵が矢張り出品されている事も多いのである。
 ひどいのになると、頼み甲斐ある先生のみを撰んで一つの絵を持ち廻っている人達ちさえあるものである。そして、悉く内意を得て置くと名誉にありつき易いと云う考案である。
 それを吾々が何も知らず、うっかりと、時間を捧げて苦しい思いを噛み殺し乍ら正直に何とか批評をさせられる訳である。後に到ってその男が各人の玄関へ立ち現れたと聞くに及んで私達は淫婦にだまされたよりも尚お更らの不愉快を感じる事屡々である。それらの人種を私達は廻しをとる男と呼んでいる。
 全く、近代世相に於ける人の心は単純なる大和魂では片づけられない。今の時代にそんな野暮な事は流行しませんよと云われれば全くそれまでの話である。廻しをとる位の事は全くの普通事だと云えば左様らしくもある。中元御祝儀と暑中見舞と、相変りませず御愛顧を願わなければ全く以て、食って行けない時代であるかも知れない。然し乍ら、左様に苦労してまで描かねばならぬ程、面白い油絵であり且売れる見込みのあるべき油絵ではあるまいと思うのだが。
 私は秋の季節になると近頃よくこんな事を考えさされるのである。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.