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2017/08/15(火)
8/15という日
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私が小さい頃母方の祖母の家に行くと
広い仏間に誰だかわからないモノクロの水兵帽をかぶり
セーラー服を着た若い男性の
遺影が2枚、その隣に戦艦の写真、
理解できる年に私が成長した時母から
「あの写真は私の兄2人で戦争で2人とも亡くなった
海軍にいたんだって」
と聞かされました。
少年のような若い遺影は顔がとても美しく凛々しく見えました。
名前も知らない若くして亡くなった私の2人の叔父、 我が子を早くに亡くした祖母の気持ちは想像を絶しますが
あの頃の日本にはそんな母親が沢山いました。
祖父は戦時中北九州の八幡製鉄所に勤めていて
満州への転勤を命じられたけど人から「満州は寒すぎて生きていけない」
と聞き仕事を辞め鳥栖に来て国鉄に勤めたそうです。
もしも、祖父が家族引き連れ満州に行ってたら私は今ここにいないかも知れない。
色んな幸運や偶然が重なり今私がここにある、
だから私はちゃんと生きていかないといけない、
生きたくても生きれなかった色々な人の分まで私は
生きよう、、、と8月のこの日に毎年思う、、
世界情勢も緊迫してますが憎しみや戦いの無い世界に
なる事を願っています。
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