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2010/03/22(月)
誕生日=35歳
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アラフォーだわ。
20歳になるのも30歳のなるのも40歳になるのもあっという間なのかな。
人生は予定通りにすすまなかったけど。
おめでとうのメール・電話、皆どうも有難う。
嬉しかった。
30歳になるのが怖くて怖くて死んでしまいたかった私。
乗り越えた。
Kちゃんのお陰だけど・・・
彼女は今も元気でいるのだろうか?
それがいつも心の何処かにある。
あの時、私を助けてくれたKちゃん。
疎遠になっちゃったね。
お手紙出しても返事来ないし。
私が携帯をぶち壊してばかりで電話番号もアドレスも分からなくなってしまった。
元気に暮らしてると良いな。
45.2→46.2→44.7。
土曜は過食嘔吐。
お好み焼きから全て始まった。
持ち帰るつもりのパックに入れてもらったお好み焼きを食い、
帰りにスーパーに寄って材料買い。
クリームパンが流行ってて10個買って足りなくて家でご飯食べた。
日曜はランチでシャブリ飲みながら生牡蠣・シーフードサラダ・ピザ。
バースデーパーティーだもん。
でも、スイッチ入って定食屋で焼肉と漬物とニラ玉定食大盛り。
なんとなく「大した事無い」って思って苦しい苦しい思いながら家で寝てしまった。
2時間寝てやっぱり胃が苦しくて気持ち悪くて胃薬飲んだ。
今更吐けないし。
苦しいからずーっと起きてて治まった頃に下剤飲んで寝た。
今日、11時過ぎに起きて体重計ったら???
減ってる。
嬉しいけど何であんな量食ってるのにってすごい不思議だった。
あー・・・47いくなぁって思ってたから。
アローゼンを多めに飲んだからなのか?
それともニラ玉にもやしが入ってたからか?
胃薬のお陰???
とにかく久し振りに45以下の数字を見た。
このまま減ってくれれば良いんだけど・・・・・・・・
今日は昼前に父が来た。
プレゼントと手紙を届けに来てくれた。
「あいみに読んで欲しい本があるから。あと、初めてお前に手紙を書いたよ」と。
バースデープレゼントなんて父からもらった事無い。
手紙だってそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
前に母から「お父さん、あいみの誕生日に何かあげたいみたいよ。何が良い?」って聞かれたの。
その時に「ガンジーの自伝が欲しい」って伝えたんだ。
グリーンの袋の中に2冊入ってた。
「ガンジー自伝」・「超訳 ニーチェの言葉」。
ニーチェの言葉も欲しかったの。
私と父は色々な面で趣味が合う。
そして初めての父からの手紙。
読んだら泣いてしまいそうですぐに封を開けれなかった。
そして、やはり泣いてしまった。
私は生きなくてはならない。 親の為に。
文面を載せさせてもらいます。
「誕生日おめでとう! あいみに手紙を書くのは初めてだね。 貴女が生まれて35年。 生まれた時は初めての子供で父も母もどう育てたら良いのやら不安でいっぱいでした。 特に母は毎朝○○の実家にあいみを預けて仕事の帰りに買い物も、 という毎日で大変だったと思います。 私はお風呂にいれるのが日課で、日々育っていくのが分かりました。 貴女は○○家で最初の孫で、おばあちゃんの実家でも最初の孫です。 そういう意味で大勢の寵愛を受けて育っていったと思います。 もうすぐ人生の半分をクリアする事になります。 これからは有意義に、自分を許して生きていって下さい。 私より先に人生を終わらせたら許しません。 プレゼントしたニーチェの超訳はきっと貴女のこれからの人生に役に立つと思います。
2010年3月22日 父より最愛のあいみに」
有難う、お父さん。
きっと書くの大変だっただろうに・・・
こんなへんてこな病気だけど。
食い物とかカロリー、体型と体重と服が入るかとか
普通の人間じゃ考えないようなおかしな私になってしまったけど。
そんなの気にしてる場合じゃ無いのかもしれない。
生きていれば良い。
親の愛は永遠だってあらためて感じた。
あと・・・・・
彼氏に昨夜言われた。
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれて有難う」って・・・
こんな私が???
こんなキチガイで病んでる私が???
嬉し泣きだかなんだか分からなかく泣いてた。
生きてる意味が無い・価値が無いっていつも思ってる私にそんな言葉をかけてくれるだなんて。
考え方、変わる事出来るかな?
強くならなくちゃ。
まだお誕生日は終わってない。
34歳の私は終わって35歳の私が始まっただけ。
嬉しい事が沢山あったからまだ書きたい。
でもパーティー第2部に行って来ます。
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