堕落の底
DEZI(Killstyle)の徒然日記。気合い入り過ぎて逆に不定期更新中!!
最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2019年11月
前の月 次の月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新の絵日記ダイジェスト
2019/11/07 HIROくんのこと。
2012/05/08 killstyle 6/10(sun)大塚RED-Zone LIVE詳細決定!!
2012/04/22 大塚レッドゾーン
2012/04/14 37歳の地図
2012/03/26 どうしようもない恋の唄

直接移動: 201911 月  20125 4 3 月  20119 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 7 6 5 4 3 2 月  200712 11 10 9 3 2 1 月  200612 9 8 7 6 5 4 3 月 

2019/11/07(木) HIROくんのこと。
11月4日に開催されたHIROくんの追悼イベントが終わりました。
観に来てくれた皆さんや出演者の皆さんのHIROくんへの気持ちがライブハウス中に満ちた温かい夜になりました。本当にありがとうございました。
このイベントを主催した我がkillstyleの祐くん、本当にお疲れ様。そしてありがとう。

2004年の初夏。大阪から上京はしたもののベースを弾ける環境が見つからず悶々とした日々を過ごしていた僕にマブダチのex.8-eit井田くんが紹介してくれたのが当時FUZZ!!のリーダー兼ギタリストのHIROくんでした。
前任のベーシスト(今では盟友の隆一くん)が脱退し、サポートベースを探しているとのことで3人で渋谷で会ったのが昨日のことの様に思い出されます。
HIROくんは金髪ロン毛美形で服は黒繋ぎという出で立ちで麗しさとおっかなさが同居した第一印象でしたが、喋ってみると人の良さというか育ちの良さがにじみ出た好青年。だがしかし大酒豪。飲んでも飲んでもテンション変わらない。こっちはフラフラよ。

初対面を経てFUZZ!!でリハに入る様になりコーヘイの初々しさとてっさんの落ち着きに癒されつつ好きにベース弾きまくりました。
さすがにやりすぎかなと思ってメインコンポーザーのHIROくんに「これイケる?」って聞いたら必ず「良いと思いますよ。遠慮しないでいいですよ」と言ってくれて、調子に乗ってノリノリで弾いたフレーズにHIROくんやコーヘイ、てっさんが合わせて支えてくれました。
それまではパキパキな気持ちで音楽に取り組んでいてあまり面白さを感じない時もあったんですが、めちゃ楽しくバンドできました。

そこからHIROくんとバンド以外の付き合いも始まり、付き合いといっても酒飲んで話して朝か昼に帰るってお決まりのパティーンだったんですが、一緒にいてめちゃめちゃ心地良かった。
なんというか違和感がない上に安心できたし、大事なことは前向きにしっかり助言してくれる男前な奴でした。
いつだったか僕の誕生日飲み会に来てくれた時に薔薇を一輪サッと渡された日にゃ心がとろけそうになりました。

2005年の春にFUZZ!!が解散してから色々バンドやったんですがなんかしっくりこなかったけど、HIROくんや隆一くんの存在が癒しでした。というか彼らの優しさに甘えまくってました。
そして2006年春にコーヘイが大阪に戻るということでケジメのライブを横浜ですることになってまた一緒に音を出したんですが、ほんと楽しい思い出しかなかったです。
そのライブをやるくらいのタイミングので就職しなきゃとか弾き語りやりたいとかしっちゃかめっちゃかな状況の僕の背中を押してくれたのがHIROくんや隆一くんたちでした。
仕事し始めて弾き語りは続けたもののバンドという形態からは離れて数年経って「またバンドやりたいな」と思った絶妙なタイミングで祐くんが僕に声をかけてくれて、そこにHIROくんもいて、もうこんなん断る理由ないじゃん的な感じで新生killstyleを始動しました。さっさくんの太鼓もほんと心強かった。
活動開始したものの色々あって次第にコンスタントな活動ができなくなりましたが、そんな中でも勢いに乗ったり落ち込んだりバカやったりしながら頑張ってきました。
「黒と影」のレコーディングで「今まで弾いてなかったやん!」的なフレーズを重ねてきて、これがしっくりきまくった時はただの飲んだくれじゃないなと感心しました。
そんな中で一昨年末にHIROくんから病気のこと・療養のため暫く活動に参加できない旨の連絡が入りました。
唖然としてしまって何て言っていいかわからなかったんですが「戻ってくるの待ってるから大丈夫だよ」と伝え、そこから3人でのリハが始まりました。
戻ってくる場所を守らなきゃいけないという一心でした。
それは皆一緒だったと思います。

夏場に会った時に痩せてはいたんですが相変わらずなHIROくんがそこにいて、ほんと楽しかったです。笑った笑った。
そして冬場にお見舞いに行った日が偶然にもHIROくんが療養のため秋田に帰省する前日でした。
ベッド上に座っているHIROくんを囲んで、同じタイミングでお見舞いに来ていた超絶ナイスガイなsixの直樹さんと3人でお話しして楽しい一時を過ごしました。
別れ際にHIROくんと握手して「元気になったら会おうな」と約束しました。
そして「もしかしたらこれで最後になるのかもしれない」「いや、そんなことない。いつかフラッと帰ってくるよ」という葛藤を感じながら帰路につきました。
結果的にその日がHIROくんと会った最後の日になりました。
祐くんからHIROくんが亡くなったという一報が入って暫くは、っていうかつい最近まで実感がなかったのが正直なところです。
いつもリハ遅刻してくるから、今にも「あ、すみませんね」って氷結片手にふらっとスタジオ入ってくるんじゃないか気がしてました。

その中で「HIROやご家族、彼を見守ってくれた人たちのために追悼ライブをしたい」と祐くんが提案して、そこにHIROくんの盟友たちが集いました。
あんな温かい気持ちを感じたのはいつぶりぐらいだろう。
モニターや会場でライブ観てたけど、ほんとみんなかっこよかった。
皆がHIROくんと一緒にステージ立ってたし、皆がHIROくんと一緒にライブ観てたんだろうなと思いました。
あいつはそこにいた。
正直ライブ中ウルウルきちゃった瞬間もあったけど、そんでもこらえられたのはHIROくんが止めてくれたんかなと思ってます。
「でじさん、泣かないでくださいよ」って、あのはにかんだ様な笑顔で言ってくれたんだろな。あいつ楽しいこと好きだったから。

HIROくん、元気?
ライブ楽しんでくれたよね?
「HIROくん、こんな感じのベース好きだったよな〜」とか思いながらめいっぱい弾きまくっちゃった。
そしてHIROくんのおかげで久々に会えた人たちが多くて楽しかった。皆そうだったと思う。
HIROくんがこうやって皆をまた繋いでくれたんだよな。

何年後になるかわからないけどまた一緒に飲もう。
HIROくんと友だちになれて本当に幸せです。
本当にありがとね。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.