明日も元気に笑おうね
NSPを想うmimiの個人的日記
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2006/07/31(月) 八月の空へ翔べ
ようやく梅雨も明け、夏本番と思いきや明日からは八月である。
最近子供の頃感じていた季節の変化とずれているように思う。
それともだんだんせっかちになって、先々と見るため今を楽しむ余裕が無くなっているのだろうか…

夏を楽しむ…
子供が小さい頃は、
プール、海水浴、浜辺でバーベキュー、町内行事、夏休みの宿題・・
楽しみながら忙しがることがたくさんあった。
今はもうそれがない。
自分のための楽しみ…
自由で良いが、さて、夏を楽しむとしたら何をすれば楽しめるのだろう。

夏限定の楽しみが思いつかない。
昔、庭で行水をしている人をよく見かけたが、シャワーがある昨今、行水している人など見たことがない。
いいとこ子供がビニールプールで遊んでいるくらいである。
打ち水をする気持ちよさもない。
焼けたアスファルトに打ち水などしたら、よけいに蒸し暑くなる。
うちわ片手に夕涼みしている人もいない。
みんなエアコンのある部屋にこもっている。

どうにかして少しでも涼を得ようとしている姿こそ、夏の風景、楽しみだったような気がする。
今は手軽に涼が得られるので、夏の風景が無くなってしまった。

せめてNSPの「八月の空へ翔べ」でも歌って、夏を感じよう。

♪草原の白い柵に 少女の君がよりかかってた
  新鮮な風を集めて 深く吸い込む 思いで遠く♪


先日摘んできたラベンダーが今目の前にある。
少しドライフラワーになってきて、よりいっそう癒しの香りを放っている。
この香り、この画面の向こうまで届けばいいのにと思っている。
とても、とても良い香りです。

2006/07/30(日) 人魚の像
私の住む上越出身の作家「小川未明」の作品、
「赤い蝋燭と人魚」
の像が直江津の海岸際の公園に建っている。

母の愛と、人の業の愚かさを書いたとても美しく、悲しいお話しである。

特に画家「いわさきちひろ」さんの絶筆となった本が私のお気に入りである。

身籠もった一人の人魚が、人間の世界なら子供は幸せになるはずと信じ、人間界へ産み落とす。
その子を拾った蝋燭屋の老夫婦は最初可愛がって育てる。
人魚の子は美しい顔と人魚の姿をした美しい娘に育つ。
その娘が絵を描いた蝋燭をお宮に捧げると、海の事故が起きないのだ。
蝋燭屋は繁盛してくる。
老夫婦はだんだん欲に目がくらみ、人魚の姿をした美しい娘を香具師に売ってしまう…
その後母の人魚の怒りと悲しみが、お宮に蝋燭がともった日は海の事故を起こす事になる…

人の中に、人魚の中に、命と心ある者の中にある背中合わせの二つの感情…
愛と憎しみ、善と悪はいつも背中合わせ…
この愛すべき物語から教えられる…

今日も「見上げれば雲か」を口ずさむ。

2006/07/29(土) ラベンダー
長野斑尾のラベンダー畑に行って来た。
普段の年ならとっくに遅いはずのこの時期・・
今年はまだ5分咲き。
冬の雪の多さを今更ながらに思い知る。

薄紫の絨毯のような光景は望めなかったが、香りを味わうには十分だ。

香りを言葉で表すのはとても難しい・・
胸一杯に吸い込むとそれが身体全体に浸透し、安らぎを感じる香り…
甘くもなく、爽やかとも違う、色にすれば薄紫・・
言葉で表現したいのに、うまく言えないもどかしさ・・
せめて今日見てきたもの、その香しさを写真に託そう。

2006/07/28(金) 無機質になったもの
有機質な物が無機質な物に変化する瞬間・・・

万物に命が宿っているとしたら、
こちらの都合で簡単に生命を取り除ける。

今まで温かな血が通っていた物も、
次の瞬間から冷たいただの物に変わる。

否…

元は万物無機質なのか?

冷たい無機質な物体を抱きすくめても
もう有機質に変化はしない…

冷たい無機質な物体をしかたなく携えて歩く。

♪未来を強く生き抜くために あなたのその微笑みが欲しい♪

人の微笑みこそ命を育む源。
明日元気に笑うために、微笑み続ける…

2006/07/27(木) お休み
今日は諸事情により日記はお休み。

少し前に黒姫で撮った「レンゲ」

・・やはり野におけレンゲ草・・

2006/07/26(水) 花火
天気の週間予報がはずれ、今日は晴れ。
おかげで、各地で花火が上げられたようだ。
気温は夜になると暑くはなかったが、花火を見るとやはり夏という感じがする。

色鮮やかな華やかな花火、可愛い形のキュートな花火。
驚いたことに四角い花火もあった。
しかし最近は一色の大きく上がって長く裾を引くのがお気に入り。

♪花火の季節はもう過ぎて 誰も見向きはしないのね♪

今は花火真っ盛り!
誰も見向きはしないどころか、みんなが注目している・・花火。
日本の夏ですね。(どこかで聞いた,)

2006/07/25(火) 祭り
祭りの季節。
全国各地で祭りや花火が行われているようだ。

高田は今日「上越祭り」。
明日は直江津に花火が上がる予定だ。
高田も昨年までは毎年花火が上がっていたが、諸事情なのだろう、今年から一年おきということになったらしい。

息子は友達と出かけたので、私は会場までは行かなかった。
しかし、近くのスーパーに買い物に行くと太鼓の音が聞こえてきた。
和太鼓の共演が行われているのだ。
太鼓の地鳴りのような音は、空気から地面からダイレクトに身体に伝わってくる。

太鼓の鼓動は心臓の鼓動に似ている。
規則正しいリズム。
ドン、ドン、ドンと伝わってくる感触。
とても落ち着く。
和太鼓の音とそれを共鳴させる空気に落ち着きを感じるのは、
日本人だからなのだろうか?
温かな血の通っている心臓の音は胎児の安らぎ・・
和太鼓の音は日本人の安らぎ・・
その2つの間に違いは何もない。
どちらも優しく心地よい。

♪道草しながら帰ったときは 広い道だと思ってた   あれから何年たったのだろう こんな小道と気づく
  別れて泣いてる人も 祭り囃子が遠のくように
  ぼやけてゆくだろう♪

2006/07/24(月) 一日中雨
昨日は暦の上では「大暑」。
「大暑」・・厳しい暑さ、酷暑、極暑 by広辞苑
ウナギを食べて夏ばてしないように、と言う日なのだ。

ところが今日は一日雨。
湿度こそ高いが、じっとしていれば暑さからはほど遠い。
「五月雨」と呼んでもいいぐらいの涼しさだ。

♪人は黄昏年老いて 遠い想いに背を向けて
  歩き疲れ泣き尽くす
  ・・・・
  なくした恋はこの五月雨に洗い流してしまえばいい
  過ぎた後は懐かしいだけ♪


一日中雨が降りしきると、何もかもしっとり濡れて、心もしっとりしてくる。
雨は全ての物の上に降ってくる。
水をたくわえた海にも、川にも。
乾いた土の道にも、私の上にも、あなたの上にも…
全てに等しい雨だから、全てのものを落ち着かせるのか?
黄昏に向かって落ち着いた心で歩ませるためか?

この雨で勇み足の私の心も少しは足止めを食らって良い塩梅だ。
ブレーキ代わりの雨になったようだ…
静かにしている時間を楽しむ余裕を雨は与えてくれる。

2006/07/23(日) 私の悪癖
私の悪い癖の一つに「行動に計画性がない」と言うことがある。
急に思いつき、すぐに実行に移してしまう。
特に何処かへ行くと言う場合には、顕著にこの悪癖が出てしまう。
朝の天気で「あそこに行きたい!」「あの人に会いたい!」となるわけだ。
そこから行動に移すのにためらいは無く、即実行してしまう。

今日も朝のお日様を見たとたん、「今日はドライブがしたい!」と思った。
また一週間は雨模様。今日しかない!
どうせなら長野方面、それならN友にも会いたいという図がなりたち、即メール。
「いいよ〜」との返信に小躍りした。
彼女の提案で真ん中あたりの飯綱高原で会うことになった。
美味しいランチを共にし、珈琲で締めて別れた。
別れ際はハグ・・
これはお決まりです。

♪待ち合わせのたびに 5分間だけ
  決まって遅れてくる ニコニコしながら
  トレードマークのバスケットシューズ 走ってくる君さ♪


思ったより遠くて私は今日15分も遅刻しました。ごめんね。

計画性のない私のノリに合わせてくれる人は、根底に持つものが同じと思っている。
失敗を恐れる前に、目先のことに向かって突進してしまうタイプ。
じっとしているのが苦手なタイプ。
後であたふたしてしまうことも多いが、それでもいい・・・?
私と遊んでくれる人を皆同じにしてはいけないが、こんな私に付き合ってくれて感謝しています。
これからも急にお誘いすることがあると思うけど、よろしくね。

2006/07/22(土) 一本の鉛筆があれば・・
この夏休み中息子が広島の「平和記念式典」に列席することになったので、その旅行の説明会を聞きに行って来た。

私は高校生の頃広島に行った事がある。
28年前のことなので楽しかった記憶も薄れつつあるが、
鮮明に映像を思い出せるものがある。

荒涼とした原爆ドーム・・
資料館に展示してあった中身だけ焦げた弁当箱・・
8時15分で時を止めたままの時計・・

この3点は絵に描けるほど鮮明に記憶に焼き付いている。
核とはなんぞや。
人の生み出したこの魔物は、大切な人や物をどのようにしてしまうか、衝撃が大きかった。
息子にも何かを感じてきて欲しいと思うが、余計なことは言わず本人の感受性にまかせようと思う。

世の中がなんだか怪しい・・
人々の笑顔の裏にはいつどうなるか分からない不安がある。
♪あなたの笑顔の裏にひそむ 不安や淋しさにに気づかなかったのは・・♪
こんな風にいつまでもNSPを歌っていられる世の中であって欲しいと願う。

戦争体験者が高齢になり直接体験談を聞く機会が無くなってきている。
それでも私たち年代はまだ、祖父母は苦労して生き抜いてきた人達であり、父母も子供だったにせよその時代を生きてきた人達である。
少なからず直接話しを聞く機会があった人も多いのではないだろうか。
今日の説明会で、旅行に引率してくれる市の職員、学校の先生みなさんが若く、自分のまわりには戦争体験者はいないと言っていた。
「今回の広島旅行は中学生のみなさんと一緒に、何かを感じてきたい」
と・・。
世の中戦争を知らない子供達ばかりになってしまった時が恐ろしい。

♪一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く
  一本鉛筆があれば 戦争はいやだと私は書く

  あなたに愛を送りたい あなたに夢を送りたい
  あなたに春を送りたい あなたに世界を送りたい
  ・・・・
  一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば 人間の命と 私は書く♪

  by「一本の鉛筆」

2006/07/21(金) おやすみ
夜9時半、勤め先の会社から電話がはいった。
トラブル発生。

11時近くまで会社にいたが、問題は解決しないまま…
とても疲れたので今日の日記はお休みさせてね。

2006/07/20(木) 水害のお見舞いを言わせて
昨日までの雨で各地被害が出ているようだ。
天災の前に人はとても弱く、とおりすぎるのを待つしかない…
せめても知人には被害がないようにと祈るばかりである。

折しも合唱団で「阿賀野川」という組曲を練習している。
昭和42年 8月29日 400ミリを越す集中豪雨による羽越大災害をテーマにした曲だ。
そのころはまだ子供であったし、新潟に住んでいないのでまるで記憶にはないが、大変な災害であったことが曲から伺える。

曲は被害の様子を語り、人々の復興の力を讃えている。

♪退けばふさがり 進めば開く♪…

このフレーズを区切りに曲はエピローグを迎えるのだ。
後退しては何も生まれない。
前進にのみ明るい道が開ける。

人の生き様もそう…
立ち止まることがあっても、後退してはいけないのだ。
前に、もっと前に進む。
そうすると何かが生まれ、そこに人が集い、人々が生み出すサークルが完成されていくのだ。

人はとても弱い…
内も外もとても、とても弱い…
強く見える人も、一つ何かあれば転がり落ちる。
だから人の温もりを大切に生きて行きたいのだ。

2006/07/19(水) 青空
朝はまだ雨模様だったが、昼当たりから青空が広がってきた。
空気が澄み、久しぶりの青空は見上げると眩しく夏を感じる。
こんな日は「八月の空へ翔べ」のタイトルよろしく、本当に翔ベそうな気がする。

仕事の帰り、田んぼが見たくなってひとっ走り。
青田を渡る風、雲、抜けるような空の青。
全てが清々しい。

♪八月の空はどこまでも 続いた青い空
  自然を愛する気持さえ 忘れていたようだ♪


自然を愛することはここにいれば忘れることはない。

2006/07/18(火) 遣らずの雨・・?
今日も一日雨降り・・

雨の言葉で「遣らずの雨」という言葉がある。
演歌のタイトルにもあるが、それとは別に好きな言葉の一つである。
帰したくないかのように降る雨・・それが「遣らずの雨」
何という色艶のある言葉だろう。
日本語の妙を堪能する。
自分の心を雨に託し、口には出さないが心で語る最高の言葉だと思う。

何日も降り続くと雨も何かの意図を抱えて降り続けているように見える。
帰したくない、帰りたくない・・そんな人達を手助けする「遣らずの雨」
口に出して言うとこの字の持つ奥ゆかしさが消えるので、字で書いて感触を味わう。

仕事の方で新種の仕事が始まった。
まだ始まったばかりなので、すべてにおいてうまくいかない。
そうなると大声でテンション高く文句を言う人が出てくる。
それにつられて同じような人も出てくる。
大声でたしなめる人も出てくる。
人は右往左往し、甲高い声が社内を飛び交う・・
聴いているだけで疲れてしまった。
女性が多いと起きる現象であるが、自分も女性ながら「・・・・」と言葉を飲む。

♪人混みの中苦手だと 背中をたたく人
  いつまでも少女のように 弱い人さ♪


女を三つ書いて「かしましい」・・
女を四つ書けば「さわがしい」・・?
女を五つ書けば「やかましい」・・??
こんな事を思いながら仕事をしていた。

「僕のそばで」を聴いて穏やかになりたい。

2006/07/17(月) 声のお便り
3連休だったのにずっと雨降り・・
そう、最終日の今日も雨・・
晴れれば「徒然なるままに…」と心誘われ出歩きたくなるが、雨だとその気も半減する。
屋内でも楽しめるところはたくさんあるが、今日は家の用事もあれこれあり出かけられなかった。

細切れの家にいる時間を使って声のブログを作ってみた。
とある場所で声の暑中見舞いを頂いて、とても嬉しかったのがきっかけだ。

文字の付き合いも心を伝えるには十分だが、
やはり声は心に加え、感情や微妙なニュアンスを伝えることができる。
声には年齢がでるのでちょっと怖くもある。
(私は公表しているので今更隠すこともないが…)
私と直にお話ししたことない方へは、私の声はどのような感じで伝わるのだろうか。
会って話すぶんには何もおくせず喋るが、改めて声だけとなるとちょっと照れくさくもある。
今回は私がこんな事をしてみたという報告、日々の御礼も兼ねているので話しの内容や、録音の未熟さ等は勘弁してもらいたい。

とりあえず、一日あれこれ格闘して楽しかった。

音声ブログを作るに当たり、音声変換ファイルが必要だった。
PC音痴の私はまたもや戦友のお世話になった。
頼りにしてますよ。これからも分からないことがあったらよろしくね。

♪手紙書くだけで心の糸が 繋がっているだろか…♪

これからたまに音声もお届けすることがあるでしょう。
お耳汚しだけどよろしくね。

2006/07/16(日) 冬の時代から抜け出して
今日は息子の剣道の試合。
道場としてチームを組むのは久しぶりである。
そして私はお抱え運転手という役職を仰せつかっている(笑)
学校の部活動と違い、道場として出場する場合は、本人達そしてまわりの大人達も気合いが入る。

結果は優勝。
地区大会なので次の県大会に進める橋に過ぎない。
とはいえ、優勝の二文字を勝ち取らなければ橋は渡れないので、ほっと安堵している。

決勝戦はチーム同士の緊迫した、白熱戦だった。
少しでも気合い負けした方が落ちる・・
久しぶりにギャラリーで応援している私も熱が入った。

ここ2年近く絶不調・・
勝つのが当然のようだった頃に比べて、毎回持ち越される不安。
いつしかその不安にも慣れて「負けてもいい、内容のいい試合を」と気持を切り替えた時冬の時代から抜け出した。
春に再び芽を出し盛りの夏を迎えた今、試合数はカウントダウンに入った。

中学3年は夏ですべての試合が終わる。
息子との長い剣道生活もファイナルが見えている。
スポーツ少年と呼ぶ最後の夏。
残り少ない試合を楽しませてもらおう。

試合終了後監督の先生を囲んで先生の指導がある。
今日の監督は6段の女性剣士。
ギャラリーから見ていると、先生の姿が見えないのに気がついた。
息子達5人に囲まれ女の先生は埋もれてしまっている。
先生は目線をあげ、一生懸命手振り身振りで指導しているが、その姿が可愛らしく見えた。
「この子達はいつの間に先生よりこんなに大きくなったのだろう」・・
小さい頃の記憶がよみがえる。

♪I need you.あなたが必要・・♪

いえいえ、私はもう運転手として以外必要とされていない。
頼もしくもあり、淋しくもある。

2006/07/15(土)
朝一番から豪雨が降ったりやんだりしていた。
晴れの隙間をぬって今日あたり見頃の蛍を見たいと思い出かけようとしたが、またもや突然の豪雨で断念した。

平家蛍と源氏蛍・・

いかにも乱舞を楽しめる源氏蛍は華やかさもあって良いが、細い光を放ちながらチラチラと舞う平家蛍が好きだ。

一週間の命と知ってか知らずか、精一杯の華やかな自分を見せて相手を求める蛍に想いを寄せる。
儚い光に強さを見る。
儚いからこそよりいっそう、強く、強く光を放つのだろう。

NSPの「平家蛍」・・この曲に強さは感じない。
ただ儚く、切なく、口ずさむと涙がこぼれる…

♪暗い足元光るもの 平家蛍をみつけたの
  あなたはあちちと 耳たぶおさえたわ ほんとは熱くもないくせに
  小さな蛍が弧を描く♪

2006/07/14(金) 今日はなんだか気分がいい
涙と喜びと私の思考のほとんどを注ぎ込んだ仕事が、今日で終わった。
0の状態で持ち込まれてきて、ああでもない、こうでもないと言いながら毎日生産してきたものだ。
今や私たちの作ったノウハウが他の国でお手本になっているはずだ。

今の気分・・新しい車を買ったので愛車が引き取られていく時の感覚に似ている。

来週からは新しい種類の仕事。
バージョンアップしているので、さらに複雑化している。
ここ数日検討に検討を重ねているが、結局の所机上だけでは空論に過ぎず、手を動かして初めてぶつかるハードルをクリアしてよりよい生産に繋がるのだ。
また頑張る気持が起きてきている。

今日はとても蒸し暑かった。
外に出るたび何度空を仰いだことか・・
外仕事の方達、または部屋の中でもエアコンなしの所にいる方達、十分熱中症に気をつけて下さい・・
暑さの折お体気をつけて下さいね。

♪空を仰いで 大きく仰いで
  何にもいいこと 無かったけれど
  今日はなんだか 気分がいい♪

2006/07/13(木) 存在理由
夜私の母からの電話。
娘の電話のこと・・

娘はこの春から私の実家に住み、世田谷の学校に通っている。
そのため婆と孫の二人暮らしになっている。
母も年を取り、父にも先立たれ少しは気弱になったように見えたが、とんでもない!
娘の面倒を見るという仕事が出来たためか、かなりパワーを復活させて、たまに私との電話も小言や文句ばかりの切り口上だ。
昔のうるさいパワー炸裂の母がよみがえった。

人は一人では生きられないことを目の当たりにする。
面倒を見なくてはいけない人、または面倒をみたい人・・
そんな人と一緒にいることで、己の存在価値を実感できるのである。
相手の中に自分の存在理由を探してしまう・・
人とはそんな風に頼りないもの。
その存在理由がどこにも見つけられなくなった時、人は消えてしまいたくなるのか・・

私もそんな一人…
どんな相手の中にも自分の存在が許される証を探してしまう。
とても心許ない人の存在…

ドライブ中に満開の合歓木を見た。
愛らしいピンクの花と緑濃い葉が夏をつげていた。
この合歓木も生息するためだけではなく、誰かに見てもらいたいから花をつけるのかもしれない。

♪すっかり花が咲いて 葉っぱが青々
  窓際は日が差し込んで 眩しいくらい
  ・・・・
  もうそろそろ お昼寝の季節♪

2006/07/12(水) さとうきび畑
所属している合唱団で、9月のコンクールに向けて「さとうきび畑」を披露するかもしれないと言うことで、練習が始まった。
この曲は知っている人が多いだろう。

ざわわ・・
風がサトウキビ畑をとおりすぎる音を表すこの言葉を思いつくのに、1年かかったと作詞作曲の寺島さんが書いている。
さわさわ・・でもないし
ざわざわ・・でもないと。
1964年。まだ沖縄が返還される以前のことである。

そして曲ができあがり、森山良子さんが納得いくように歌えたのが、さらにそこから10年の月日を要しているらしい。

人の心に訴える名曲とはこのようにして時間がかかって生まれるのだと思い知る。
3語思いつくのに1年・・
言葉は想いを伝えるものだが、3語の中にたくさんの想いや情景を込めるにはそれくらいの時間が必要なのだろう。

言葉というものを改めて考えさせられる。
一度世に送り出した言葉はリセットが効かないのだ。
口から出てしまった言葉も取り返せない。
だから言葉には心を込めて・・
大切な想いをこめて相手に届けたい。

♪ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ♪


悲しみでもなく、反戦でもなく、ただこの情景が表現できればと思う。
しかし、私は沖縄にはまだ行ったことがない…

2006/07/11(火) 海・・ そして山
海と山とどっちが好きかと聞かれたら何と答えよう。
どっちも好き…

海は眺めているととても落ち着く。
私の中に眠る太古の声が海に還りたいとささやいているような気がする。
私も海から生まれ、いずれ海に還っていく定めの地上の一人だ。

山は眺めるよりはその中に抱かれたい。
山と言うよりそこに生息する樹々の息づかいを感じたいのだ。
とても安らかで、長い年月そこに立ち続けている自信を感じる。

海にしても山にしても、私の中の奥にある古の何かが求めるのだ。

♪いったい君はどこから 生まれてきたの
  いったい君はどこまで ゆくつもりなの
  ・・・・ 
  形のない温もりを 抱きしめている♪


またブナ林の中で呼吸がしたくなってきた。

でも、今の季節やっぱり海にいたい…

2006/07/10(月) 多忙につき
今日は忙しくて・・
書いてる時間がありません。
ごめんなさい。
暑かったから、すがすがしい画像で勘弁ね。
妙高山清水が池です。

2006/07/09(日) 歌は・・
今日の合唱祭。
上越市民芸能祭の一環である。そのため参加団体も限られていて合唱のレベルとしてはあまり高くない・・
しかし、今日の合唱祭で再認識したことがある。

歌・・
それは人の声が織りなす、心から心へ直接は入り込むことの出来るメッセージ伝達手段である、ということ。
それは声と言葉を持つ人間のみが可能なこと。
たとえ合唱技術が拙くとも、心を表現することは出来る。
詞を心から歌うグループはオーラが出てくるのだ。
それは人を惹きつけてやまない光・・
NSPもそんなグループ?

今日「妙高山」という合唱曲を歌うグループがあった。

♪あなたがいるから 私はここに住む
  あなたがいるから 私は生きる♪

妙高山の懐に抱かれた上越の人のための曲だった。
歌詞がすーっと心に染みこんだ。


昨日妙高山の隣黒姫山に行ったが、黒姫童話館の中に「いわさきちひろ」の山荘が移築されている。
野尻湖を望む黒姫の山荘で、あのような透明感のある絵が生まれたのかと思うと、感無量である。
人の心をつかむものを生み出すためには、環境設定が良くなければならないのだろう・・
山荘内のダイニングキッチンにすわり、いわさきちひろさん宅のお客になった気分を味わう・・
のんびりくつろぎたい気分だった。

2006/07/08(土) 黒姫童話館
大好きな場所に行って来た。
長野と新潟の県境長野側にある黒姫山。
その中腹に「黒姫童話館」がある。
「癒し」・・この言葉はこの場所のためにある…
そんなところである。
年に何回か訪れるがその度に少しずつ展示テーマが変わっていて何度行っても新鮮な発見がある。

牧場を臨む庭先にある石のベンチ。
そこに「忘れたものを思い出すまでどうぞ」と刻まれている。
忘れたものを思いだしたら、次は「忘れたくないものを心に刻む」のだ。

忘れたくないもの…
次から次へと生まれてくる。
たくさんの想い・・忘れたくない。
目を奪われる風景、空の色、海の香り・・忘れたくない。
人の笑顔・・決して忘れたくない。

なのに日々歳を重ねる不安。
約束されていない明日。
だから今日一日をしっかりと心に刻んでいきたい。

♪錆びたブランコで泣きながら揺れている
  あの日の君をここへ連れ戻そう♪


これからの数ヶ月黒姫山はコスモスが溢れ、緑の美しい牧場が広がる優しい山へと着飾って行く。
機会があれば是非訪れて頂きたい場所だ。

2006/07/07(金) 七夕
今日は七夕。
一年に一度、織り姫と彦星が出逢うことのできる日。
そんなロマンスを考えた古の人々はなんてすてきなのだろう。

私がいま住んでいるところは星はあまり見えないが、少し車を走らせると真っ暗な世界に行かれる。
そこでは日によっては満天の星空を見ることができる。

冬に見た時、降ってくるような星々を言葉もなく見つめた。
あの日の星は空の隅っこに移動したが、もし今日晴れていたら天の川を挟んで輝く二つの星が見えたことだろう…
残念ながら曇りでは地上からは星は見えない…

♪暗く重い闇が歌う 星が生まれる 深い夜
  声を潜め 空へ泳ぐ 手探りだけの僕たちが♪


子供の頃七夕飾りを楽しみに作った。
子供が小さい頃も笹の葉を探し楽しく作った。
その都度短冊にはいろいろな願い事を書いてきた。
今思えばそれらの願い事・・ すぐにはかなわなくてもちゃんとかなっている。
今年の短冊にはなんと書こう…
たとえすぐにかなわなくてもきっといつかはかなう・・
そんな願い事をしたためたい。

今日は仕事も忙しい割には楽しく、その他諸々楽しく一日を過ごした。
久しぶりにウサギアイコンが笑っている。

2006/07/06(木) 大切なもの
アーティストとは、新しいものを送り続けなくてはいけないのだろうか?
音楽の場合・・
新しい音、聞いたことのないメロディー、読んだことのない詞。
これらが必要なのだろうが、私が音楽に求めるものは違う。
どれだけミュージシャンが心を見せてくれているかだ。
たとえ同じようなテーマの曲でも、同じようなメロディーでも真の心が見えるようなミュージシャンには心が惹かれる。
そこに上手い、下手はあまり関係ない。
何事も心が大切。
心が入っていなければ何もかも虚ろである。

雨がやまない・・

♪もしも地上に涙が消えて 誰の笑顔も永遠ならば   さすらう人に行きつく場所が 見つかるはずとあなたは言うの♪

雨はしきりと降り続く

2006/07/05(水) 今日の額紫陽花
仕事が早く終わったので、先日行った正善寺ダムに又行って来た。
今回は友人二人と一緒・・ 女三人は実に姦しい。

雨の中今日も紫陽花がしっとり濡れている。
今日は風もなくダムの水面も静かに波打っていた。
先日見た紫陽花が少し色を変えているのに気がついた。
紫陽花は色が七変化するところから花言葉は「移り気」…
しっとりした花なのに何とも言えない語感である。

人の心は一つではない。
一つの中にたくさんの部屋がある。
どれもこれも大切で、どれが上でもどれが下でもない。
日の照った部屋もあれば、雨がそぼ降る部屋もある。
今は雨に濡れた部屋の扉が開いているだけ…

♪流れる頬の雨が タバコの火を消したね
  ほんとにあの雨は 涙じゃなかったの
  愛の心 硝子の心 壊れやすい心♪

2006/07/04(火) 笑いたいのだけど
朝は曇りだった。
どんよりしているから笑えないと思った。
晴れたら、お日様が出たら笑えるかと思った。
昼には太陽が顔を出し、晴天になったが・・
やっぱり笑えない…
夜の光り輝く半月を見ても笑えない…

笑おうとするとやけに引きつり、涙顔になってしまう。

♪愛することは 他に多くの
  犠牲や偽りが 必要なんだ
  ・・・・
  見上げれば雲か  見上げれば星か・・♪



ホントはこの朝顔のように可憐に誇らかに笑いたいのだけど・・
明日は空を見上げる・・
雲に乗ってどこかへ流れていけばまた笑えるかもしれない。

この画像は、
リンクにある徒然日記を書かれている藤根さんから頂いたものである。

2006/07/03(月) 紫陽花の雨に濡れる
朝から雨・・

♪こんな夜に 雨だなんて 憂鬱だなぁ
  せっかく君が 訪ねてきても
  ・・・・
  悲しいことは 誰にだって 一つや二つあることさ♪


雨には紫陽花がよく似合う。
西洋紫陽花の華やかさより、額紫陽花の控えめさが今は胸を打つ・・

紫陽花を濡らす雨が私の目も濡らす…
心も濡らす…

一昨日、車で20分ほどの所にある正善寺ダムに紫陽花を見に行ってきた。その日も紫陽花は雨に濡れていた… 

2006/07/02(日) 合唱の衣装
合唱祭で歌ってきたことだけご報告
衣装の襟の胸元も、どうにかここまで修正しまた。
諸事情により、今日はこれで終わり

2006/07/01(土) 今日は…
昨年の今日 7月1日 午後7時8分 NSP天野さんは空へ昇った。

今日一周忌の日、一関では最後のフィルムコンサートが行われている。初日の品川同様、全国からファンが集まっていることだろう。
川崎では親族だけで納骨が行われているという。

今日一日色々なことを思って過ごした。
昨年、天野さんの訃報を知った時、誰かがふざけているのだと思った。
しかしそれが事実と知った時の虚脱感。
過去がバッサリ切り落とされた感じがした。
天野さんの声にどれだけ過去を凝縮して閉じこめてきたかを、改めて思い知った。
寂しさを紛らわすように、想いを共感したいために始めた書き込み。
そして始めた公開日記、気軽に会話が出来るように掲示板も始めた。

たくさんの友とのめぐり逢い。
今となっては無くてはならない大切人とのめぐり逢い。
まるで若い頃に戻ったような楽しい毎日。
生活に沸き上がるNSPの曲の数々。

今こうしていても各地の友と繋がっているという実感がある。

なのに複雑な想いがある。
大切な人とのめぐり逢いが天野さんの死と引き替えという事…
天野さんが亡くなっていなかったら、たぶん私は今ここにはいない…
その矛盾が心に突き刺さる。

だから・・
せめて・・
感謝を捧げたい。
みんなに逢わせてくれてありがとう。
すてきな人にめぐり逢わせてくれてありがとう。
この出逢いを大切に、大切に育てていきます。
一人ではいたくなかった今日、一緒にいられて幸せだった。
特集が組まれたFM世田谷・・これも聴けてよかった。
まわりがもたらしてくれる幸せに感謝したい…

♪まわる 思い出まわる まわる しずかにまわる
  ぐるぐると ぐるぐると
  まわる思い出まわる・・・♪


午後の7時8分、西方の空に向かって、
「天野さん、たくさんのすてきな曲ありがとう。たくさんのめぐり逢いをくれてありがとう」
と感謝の気持ちを空に飛ばした。
合掌・・・


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