明日も元気に笑おうね
NSPを想うmimiの個人的日記
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2006年6月
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2006/06/30(金) しなざかる越
しなざかる越(こし)・・
万葉の時代北陸道を表した言葉だそうだ。
「しなざかる」は「はるかに幾山坂を隔てた」と言う意味の「越」にかかる枕詞。
新潟は広くて、上越、中越、下越に別れているが、「越」はおそらく上越のことを表しているのだと思われる。

万葉の時代、ここ新潟は関西から見れば本当に遠かったのであろう。
現代でも十分遠いいのだから・・

そんな逆境の地のようなここに私はいる。
しなざかる越に来て、ここに在る私。
何度も言うが、ここに在る私の存在理由・・
ここにいる幸せを今日改めてかみしめる。

この枕詞の解説のあるページを教えてくれたN友にお礼の一言を今。

実は今、この数行を書くのにすでに2時間かかっている。
職場でここ二日間、慣れた仕事を楽しくこなしているが、3人分の仕事量をこなさなければならず、ばて気味である。腕が鉛のように重い。
そして明日を控え心も鉛のように重い…
重い×2 
瞼も重いので 重い×3
・・そんな訳でなかなか進まない。

疲れは休めば治る。
心の鉛を取り除くには明日が過ぎなければいけないのだろう。
明日は一人ではいたくない。

しなざかる越は今雨が降っている。
涙雨に違いない…

♪こんなに酔った日には あの人に甘えたい
  あの人のいつも坐っていたところに坐り
  温もりを確かめようとしています♪


私は酒は飲まないが、今夜は久しぶりに飲みたい気分・・

2006/06/29(木) 散歩
夕方買い物ついでに少しだけ散歩をした。
雨は降らないが、しめったクローバーの絨毯が夏が来るのを知らせている。
サンダルの足に絡みつくのもちょっといい。
公園の東屋に座ると、夕方の田んぼを渡ってくる冷風が昼の暑さを静めてくれる。

とても、とても穏やかな時間が流れる。
15分ぐらいだろうか。それでもとても長い時間座っていたように感じた。
田んぼや畑の緑が目に優しくて・・
風が心地よくて・・
傾き始めた夕陽のオレンジが温かくて・・
いつまでもそこにいたかったが、現実の時間が時を告げた。


先日のNSP長野フィルコンで「2年目の扉」「シャツのほころび涙のかけら」のQ版を購入した。
どちらのアルバムもレコードとカセットテープは持っているのだが、レコードプレーヤーはないし、カセットはテープが切れるのが恐くてかけられない。
久々に聞くこの2枚はとてもよく、初心に返らせてくれた。
「シャツのほころび・・」の最初の曲、「みつからないように」が心に染みる。

♪みつからないように そっと抜け出して 僕のところへ おいで・・♪

いつ聞いても心にぐっと来るフレーズだ。
「おいで・・」こんな言葉で誘われたらすぐに駆けだしてしまう私である。

2006/06/28(水) 心をこめて
合唱の先生が再三にわたって言うこと・・
「歌の中に心をこめてよ。みんなの心を感じさせてよ」

技能的なことは指導者にまかせておけばいい。
しかし、詩を歌うと言うことは自分で心をこめなければ表現できない。
指導者の先生は41才・・
今日、雑談の中で「僕の人生も折り返しに来ちゃったよ・・」と言うので、
「45才になると楽しいですよ〜」と助言しておいた。(笑)

自分の口から出る言葉、唇から漏れる鼻歌にもいつでも心をこめていたい。
喜び、幸せな気持は心をこめて伝えたい・・
幸せが平和な時間を呼ぶのなら、おもいっきり心を詰め込んであなたに送りたい。

でも、悲しみには心はこめない。
私の心が泣いている時は、ことさら笑っているかもしれない。
それが私・・
私の心が泣いている時は、どうぞ気がついて…
強がっている私の頭をなでて、「大丈夫!」と言って欲しい…

♪あなたはテニスのボールを
  追いかけて汗をながしてた
  まるで夜のあなたとは 違う人みたいに♪


心のこめすぎはちょっと注意がいる。
ほどほどがいい。
明日も心をこめて言葉を発する。

2006/06/27(火) 学校説明会
息子の通う中学で各高校の学校説明会があった。
地方は気楽なもので、今更高校の説明を聞かなくてもよく分かっている。
しかし一応「気にかけているよ」という親のパフォーマンスを見せるために行ってきた。
職場のみんなに肩を引っ張られながらも、「お先!」と出てくるのはちょっと気分が良い。
行ってみるとプログラム変更とやらで、希望する高校の説明はすでに終わっていた。
しょうがないので第2希望の高校の説明を聞く。
眠気と戦いながらどうにか20分持ちこたえた。

親としてどこの高校でもいい。自分で選んだところに行ってもらいたいと思っている。
どこに行くかではない。そこで何を学ぶかである。
必死で着いていくよりは少し余裕があった方がいい。
青春まっただ中に突入していくのだ。
色々な人と出会い、やりたいことをやり、願わくば学ぶ楽しさを知ってもらいたいと思う。

それにしても自分の高校受験なんてついこの間のような気がする。
夜な夜な勉強しているのかラジオを聞いているのか分からないような「ながら勉強」が得意だ。
NSPがいつもそばにあったのは言うまでもない。

♪勉強しなけりゃいけないと言われ 
  茶店に入ってはいけないといわれ
  ・・・・
  人を愛し想いをこめて すべてを捧げたら こんなすてきなことはなかった♪


今思い返してみると中学の頃から高校その後、私が好きになる人には共通点がある。
少女の頃から今に至るまで、私の中に自然と惹かれてしまう普遍的なものがあるのだろう。
キーワードは音楽ともう一つ…
不思議な気がするが、人の心の根底は変わらないと言うことなのだろう…

今まで私のそばを通り過ぎた人達の顔を思い浮かべる…
見かけはお互い変わっていることだろう。

2006/06/26(月) プレゼント
すてきなプレゼントを頂いた。
丸く、きらきら光って、とてもステキ・・
眺めると、心が喜びで溢れる。
無機質な手触りなのに、とても温かい。
下さった方の心がこもっている証拠だろう。

予期していなかっただけに、頂けると声をかけて下さった時はビックリした。
私ごときを覚えていてくれて、ほんとうに有りがたく、感謝する。

下さる方の心に触れることが出来る物。
それを見ただけで自然と笑みがこぼれ、下さった方を思い出せる物。
そんなプレゼントが出来る人はとてもステキだ。
私もそんなプレゼンテーターになれるよう心がけたい。

今回頂いたものは・・
とても、とても温かい。人柄が忍ばれる。

♪北斗の光の旅 臆念遥か彼方
  闇を越え 時を越え 愛を越え 命を越えて
  ・・・・
  めぐりめぐり生まれくる 無限のエネルギー
  すべては彷徨う 宇宙の塵♪


大切にしますね。
ありがとう…

この幸せな気持ちを他の人へお裾分けしよう…

2006/06/25(日) 長野フィルコン
as… めぐり逢いはすべてを越えて

長野NBSホールにてNSPフイルムコンサート。
行ってきた。
迷っていたが行ってよかったと思う。

♪目と目とがあって 感じ合って たったそれだけのことさ
  初めての出逢いでも 愛し合えるさ
  ・・・・
  世界中でめぐり逢いは すべてを越えめぐり逢いは
  僕たちみんなに 青春をくれた♪


NSPのおかげで、今日も新たなめぐり逢いが待っていた。
初めて逢うのに、前から知っているような気がする…
N友との出逢いはいつでもそう。
一度でも逢っているとしたら、もう古い友人と同じだ。
持っている想いは同じ、そのことが口を軽くさせる。
今日初めてあった方達、このめぐり逢いを大切にしていきましょうね。

3回目ともなるとだいぶ落ち着いて見られる。
様々なことを想いながら映像を眺めていた。

たくさんの出逢いはNSPを通じてのこと。
もし天野さんがまだ元気だったとしたら、今の私はたぶん無い。
その皮肉な事の絡み合いをつくづく感じてしまう。
悲しみの犠牲の上にある、今の喜び。
考えてもどうにもならないので、ただ素直に事柄の転び様を受け入れることにする。
NSPに天野さんに感謝するのみ。

今日もらった一通のメール。
とても嬉しかった。
あなたの喜びが、私にも伝わってくる。ありがとう。
明日また頑張れる。

2006/06/24(土) 40代ど真ん中・・・ちょっと過ぎ
今日美容院へ行って来た。
普段雑誌等は読まないが、美容院へ行った時はここぞとばかり読ませてもらう。
雑誌を持ってきてくれたお美容院の姉さん、若い子のファッション雑誌等を持ってくるので
「40代用のをお願い!」と言ったら、ちゃんとそれなりのをもってきた。
考えてみれば、最初から中年用の雑誌は悪いと思ってくれたのであろう。

40代用の雑誌ともなると内容が、
たるんだ顔の引き上げ方法。
皺の消し方。
お腹周りをカバーしながら流行の服を。
更年期と上手に付き合う。
などなど、日頃の私の悩みがそのまま書かれているのでおかしくなる。
「私だけじゃないな、モデルさんですらたるむんだ」とほくそ笑んでしまう。

取り戻せない若さへの憧れ・・
せめて、容姿は10年前の私に戻ってみたい。
心は今のままがいい、でも顔はたるみのない頃がいい…
どうしようもないあがきなのだが、諦める前にあがいていたいのだ。


♪明日のチケット押さえたし いつもいつもいつも通りさ
  ・・・・・
  束縛されない 時間を食べて 時計の針を 忘れてしまおう  街の人と バスに乗り込み 本当の風を感じるさ♪


明日はNSP長野フイルコンの日。
一関に行けない私は、これが最後になる。
行くかどうか悩んでいたが、行くことにしてよかったと思う。
初めて会う人達との「めぐり逢い」に胸がときめく。
新たなN友との出逢い。
とても、とても楽しみだ。

もし10年前だったら、PCも今ほどは使っていなかった。
そしてコンサートやオフ会に出かける余裕は無かったかもしれない。
やはり今がいい・・と思い直す。

2006/06/23(金) が・ま・ん
いつでも思いのままに行動したい。
でも、時には我慢も必要。
我慢すると次への期待が大きくふくらんでいく。
その想いを大切に、そっと我慢する。

我慢するには、少し気を紛らわせなくちゃ・・ちょっとつらい。

♪井戸端会議は時を忘れて 古い軒並みにぎやかに
  夕闇せまる庭先に 赤とんぼ♪


夕方、オルゴールで珈琲タイムを楽しんでいる時、友からの電話。
楽しいお喋りありがとう。マスターが「また来てもらってね」と言っていましたよ。

オルゴールを出ると近所の友が「家に来て」とのメール。

私の我慢もお喋りの中にまぎれた。

明日も我慢。

日曜日は我慢しないで長野に行ってくる。

でもやっぱり我慢することには変わりない…
♪ねぇ、そんな日でしょう… 今日は…♪

2006/06/22(木) いいこと
職場で嬉しいことがあった。

この春からついているポジションは、仕事は人より出来るが自己中の人ばかりが集まっている殺伐とした場所だった。
チームワークが大切な仕事なのにそのカケラもなかった。
なのに一人一人の技量が高いために、他よりも質、量共にいい仕事をする。
社内でもちょっと特異なポジションだった。
その偏屈な人達が最近変わり始めた。
遅れた人を少し助けてやる。
しかも黙って助けてやる。
何か取ろうと手を出した人には取ってやる。
普通ならごく当たり前のことなのだが、今までそれが出来ない人達だったのだ。

今日上司が私の所に来て「おまんのおかげだわね。あの人達が変わり始めたの」と言うではないか。
とても嬉しかった。
私は何をした訳ではないが、色々な人を黙って助けていただけだ。
そんな私の行動を見て彼女たちも変わり始めたのならとても嬉しい。

思いやり・・
優しさ・・
少しぐらい犠牲を払っても苦しんでいる人には手を差し伸べる・・
そんな気持が伝わったのなら、見る人は見ていてくれたのなら、私も苦しんだかいがあったというものだ。
私の場合この日記を見たり、掲示板に書き込んで下さる皆さんのおかげで優しさを持ち続けていられた…
私のグチを黙って聞いてくれてありがとう。
みなさんのその優しさが私の力になる。

このページを訪れて下さる方々に感謝の気持ちで一杯になる。

♪いやなやつの悪口も 言ってしまうから
  ・・・・
  胸のときめき 感じることで 遠い昔に返ろうよ♪


「追想の詩」・・ふだんはあまり口にすることの無い曲だが、改めて歌ってみるといい曲だ。

今日もらった別のスペシャルな優しさと温もりも、
私の支えとなり、明日への力になる…  本当に力に変わる…

2006/06/21(水) 夏至
昼の長さと夜の長さが同じ・・今日は夏至。

かくれんぼをするのに昼がいつまでも長いのは困る。
薄闇の夕暮れにまぎれれば見つかりにくいのに…。

かくれんぼ鬼は誰

明るい場所でのかくれんぼ・・
指の先が見えそうで…
足が片方見えそうで…
だから息を殺して小さくなって隠れている。

早い夕暮れの時間を待っている。
夏至を過ぎれば、また夜の時間が長くなり始める。
夕暮れも少しは早く訪れるようになるだろう。
いつまでも遊んでいられるかな・・かくれんぼ
私は夕闇に隠れる。
一緒に隠れる人この指とまれ。
鬼になりたい人あっちの指とまれ。


夜が長くなり始めるとはいえ、世の中夏を迎えようとしている。

♪すっかり花が咲いて 葉っぱが青々
  ・・・・・
  もうそろそろ お昼寝の季節♪


新緑で萌えていた黄緑はもう緑に変わってきている。
パワーの夏。
元気に足幅広く闊歩したい。
そして夜、外でいつまでも星々を眺めるにはいい季節になってきた。
流れ星を見つけられたらお願いしたいことがある。
いざという時遅れないようにいつでも心の中に置いてある。

2006/06/20(火) 別れ・・その無情
祖母の告別式も終わり、荼毘に付した祖母は西方の空へ旅立った。
自分よりも人への気配りが大変細やかな女性だった。
元気だった頃の祖母の姿が懐かしい…
私は背は低い方だと思うが、祖母からは高く見えたのか、
「背、高くていい女だねゃ」繰り返し言ってくれたこの言葉を忘れない。

人としてこの世に生を受け、色々な人とめぐり逢う。
めぐり逢いの始めはこのまま永遠に一緒にいられると思うが、
必ずやってくる別れ…
早い別れもあるだろうし、遅い別れもあるだろう。
それでも別れは必ずやってくる。

これほどの無情は無い…

いずれは来る別れであっても、少しでも遅くと願う。
できることなら愛し合って別れたい。
生と死を分かつあらがいようのない力で、別れざるを得ない…
それまで離れることのないよう・・
愛する人達とはいつまでも・・

この世の無常はずいぶん経験してきたが、今だに達観できない私がいる。
空を見ても、海を見ても、花を見ても、音楽を聴いても、いつでも愛する人達を想っている。
やがては来る別れとは分かっていても、やはり別れたくない。
考えるだけで辛すぎる。

まだまだ達観の世界へは到達できそうにない…

上越地方の昔の女性が冬に履いた雪下駄。
一本歯の下駄は雪に埋もれないらしい。
祖母も若い頃こんな下駄を履いて出かけることがあったかもしれない。

2006/06/19(月) ヒメジオン
本日義理の祖母の通夜だった。

昨日の朝祖母は自宅のベッドで息を引き取ったが、今の時代自宅で家族に看取られる人はとても少ないのに気づいた。
老衰ということもあるのだが、体になんの器具もつけられず、枯れる…
私も最期の時が来れば、枯れるように逝きたいと願う。
その時、何を想う自分であるのだろう…

息を引き取った祖母に白帷子を着せ、髪をとかし、軽く化粧をしてあげた。
普段は化粧などしない祖母であったが、どこかはんなりとしたように見えた。
血の繋がりはないが、私が白帷子を着せ死に化粧をさせてもらうのも不思議な縁である。
最期のお世話をさせてもらえて、私の心も温かくなった。

道ばたに咲くヒメジオン。
素朴な咲き様が、色白の祖母を彷彿とさせる。
ちょうど数日前に撮影したばかりの写真だが、レンズを向けた時「ばあちゃんに似ている・・」と思ったのも、今にしてみれば何かの知らせだったのかもしれない…

私は後何年生きられるのだろう・・
神のみぞ知る…なのだろうが、最期の時悔いのない人生と思いたい・・
だから今心のままに・・歩く。

2006/06/18(日) 土偶裸婦像
昨日行った歴史博物館で一体の土偶のレプリカを購入してきた。
縄文のヴィーナスに並ぶ、裸婦像である。
そのチャーミングな表情と、女性らしいフォルムに惹かれる。

この土偶を見ると縄文の時代、女性が大切にされていたことがよく分かる。
作り手の女性そのものに対する思いが伝わってくるようだ。

子孫を残し、人類の繁栄を育む源としての女性の存在。
そこにあるのは古代から変わらぬ愛の営み・・
小さな枠にとらわれず大きな世界で生きる、人としての愛の営み・・
男が女を慈しみ、女が愛される喜びを感じる。
そして奏でられる愛の営み・・
そんな男と女の根底を土偶に教えられる。

縄文の人々の自由とおおらかさを土偶に垣間見た。


今朝8時25分義理の祖母が亡くなった。
95才、明治の終わりに生まれ、大正、昭和、平成と生きてきた。
最期まで女性として生き、枯れていった祖母を感謝の気持ちで送りたい。

2006/06/17(土) 火焔土器
長岡にある「歴史博物館」に行ってきた。
近くの馬高三十稲葉遺跡から縄文時代の火焔土器が発掘されたことで、2000年に開館した。
訪れるのは2度目である。
今日は一人で心ゆくまで見ることが出来た。
写真撮影が自由に出来る珍しい博物館である。


私は人類の進化や古代史がとても好きだ。
自分の存在の意味を認識できる。

日本の古代史では縄文時代。
中でも火焔土器はいつまでも見ていて飽きることがない。
炎を型取った非常に力強いフォルム。
なのに模様の繊細さに目を奪われる。
大昔、火はとても貴重で神聖なものだったに違いない。
触ることができず、感触の実感のないものを形にする気迫。
その気迫が土器という有形物質に力を与えている気がする。

火焔土器の力強い繊細さが、今日も古代の人へ思いを寄せる橋渡しになった。
「生きる」ということが最大の生活の目標。
男も女も全勢力で「生きる」ための「食べる」という事にに力を尽くす。
そして少しの遊び心。
とてもゆったりと時間が流れていたことだろう・・

♪そりゃあ誰だって辛いことはたくさんあるけれど
  この世に生まれた以上は 生きて行かなくっちゃ♪


昔から男の役割、女の役割というものが決まっている。
今の日本、その形が崩れ始めている。
男女平等は当然のことであるが、役割まで平等と勘違いしてはいけない。
男は生活の糧を得るために働き、女は生活を守るために子を産み働く。
男と女で時代を守ってきたのだ。
今また古代に帰らなければ、時代が崩壊してしまう。

縄文の時代、女性が大切にされていたことが土偶を見るとよく分かる。
今も昔も変わらない愛の営み。
この話はまた別の機会にしたいと思う。

2006/06/16(金) 無題
♪君はここに居ても 心が居ないから
  雪が空から来て 色をなくしてゆく♪


ほんの一言で心が離れる。

姿はあってももうそこには空の私がいるだけ…

慣れて聞き流していた言葉が、聞き流せない。
とてもとても空虚で情けない空気が漂う。
インクをこぼしたように、一瞬で心がネイビーブルーに染まる。
嘘の笑いを浮かべているうちに、真実と嘘の見分けが付かなくなってくる。

せめても笑顔で過ごしたいのに…
心が情けなく…
少し重く…

さしのべた手が空を掴む。

2006/06/15(木)
新潟高田は今日は風がとても強い。
高田だけではなく、県内どこでもらしい。

窓の外で風が唸っているのを聞くのは、雪がひどい頃以来かもしれない。
違うのは雪の時は北風、西風。
今日の湿気を含んだ風は南風。

雪が吹き荒れていた頃聞いた風の吠えるような音・・
つい昨日のことのようであり、ずっと以前のことのような気がする。

春を待っていた冬…
万物蘇生する春…
そして生を謳歌する夏に向かおうとしている…
黙っていても季節が過ぎていく幸せを感じられるのは、やはり雪があったからこそ。
また巡ってくるだろう雪の季節まで、充実の時を過ごしたいと願う…

今日のように風が唸ると、風の中に通り過ぎていった人達の声が聞こえるような気がする。

♪慰めあった人も 別れを惜しんだ人も 今となってはみんなちりぢり
  青春なんて言葉の 意味さえ分からずに あの頃は生きていた♪


別れの理由さえ分からず離れてしまった人。
傷つけてしまった人、傷つけられた人。
喜びも悲しみも分け合った人。
安らぎの象徴のようだった人。

二度と逢えない人も、またどこかで逢えるかもしれない人もいる。
あなた達がいたから今の私がいる。
風の唸りにあなたの、あなたの、あなたの声が聞こえるよ。
それぞれが私の名前を呼んでくれている。
今この場所に私を送り込んでくれてありがとう。
あなた達の声が生きる力の糧。足跡を残す力。

風の唸りを聞くのも悪くない。

2006/06/14(水) 一瞬
一瞬…
ほんの少しの間と言うこと。
目を瞬いているぐらいの短い間と言うこと。
そんなとても短い時間でも、時間などとは呼べないくらいのちょっとの間でも、しっかりと絡みつくものがある。
一瞬の温もりから伝わる人の優しさ。
この優しさがあれば、どんなに悲しいことがあっても歩いていかれる。

目を瞬いている間に、大切なものが目の前から消えて無くなるかもしれない…
そんな不安をいつでも抱えている。
この世に「永遠」という言葉があるのが滑稽な気がする。
永遠なんて嘘っぽい言葉はいらない。
ただ…
今は瞬いているうちに消えることはないと信じるのみ。

NSPのアルバムにも「瞬」というタイトルのものがある。
すべては瞬きの間に・・

♪心の 1/2で幸せすぎる
  目覚めると 君がいて ほんの細やかな 一時♪


一瞬でも優しさをしっかりと絡みつけておきたい…

2006/06/13(火) 共鳴板
共鳴版に耳を押し当てると、まわりの雑音が消えて深い世界にいるような気がする。
低い音は特によく響き、心の琴線と絡み合ってことさらハーモニーを奏でる。
私だけのハーモニー。
とても素敵な音…
共鳴板全体に響くすてきな音…
ゆったりときざむリズムが振動して耳に伝わってくる。
リズムにのって聞こえる詩の心地よさ。

共鳴板から伝わる低い音には安らぎがある。
ウッドベースのように心臓の奥まで響いて、体全体に安らぎを伝える。
この音を忘れないように、耳の奥に記憶の糸を繋げよう。

♪星も月も草も街も 黙って君と僕を見つめてた
  ・・・・・
  ああ この胸で揺れて ああ 僕の愛を少し♪


ボサノバのリズムは低い音にとてもよく合う。

2006/06/12(月) 嬉しかったり、寂しかったり…それが涙
この世のすべては海から生まれたという。
海から生まれ、海に還って行く。
それが万物の輪廻。
海であらゆるものと一つになり、それから水になって一緒に空に昇る。
大きなスパンで考えれば、日々のことなど些細な、些細な、事・・・

ならば春夏秋冬一年スパンで考えればどうか。
日々のことなどやはり些細なこと・・・
それでも日々の事に心が涙する。

涙という字は水に戻ると書く…
悲しみ、寂しさ、とまどい、不安、たまには喜びも水に還せと言うことなのか。
どうしようもない感情は、海に還す。それが涙…

日々の些細な想いは海に沈め、これから夏を迎えたい。
秋が来るまでゆっく夏を泳ぎ回りたい。
涙が流れたら、何度でも海に沈める。
強い心を持って何度でも…

♪どこから どこまで 幸せだと線を引く
  一つが足りなくて 不幸せになっていく
  ・・・・・
  La La La…Happy birthday to you
  君がいない バースディ♪



今日はNSP中村さんの53才のお誕生日。
あなたの笑顔はますますステキになってくる。
もう一度歌って欲しいと密かに願うのは私だけではないだろう。

2006/06/11(日) 勘・・・
とても勘が働くことがある。
想いが強ければ強いほど、目の前にその光景が見えるのだ。
このようなことをシックスセンスというのだろうか…
しかしこの勘、いつでも働く訳ではない。
心の奥で眠る強い想いの時に限られている。
勘を働かそうと思っても、日頃は全然働かない。
何も考えていないような時・・
無に近い状態の時、ふっと光景が浮かんでくる。

その勘がとても嬉しい時と、
嬉しくない時がある。

嬉しい勘が働いた時、そっと歩き出す。
一歩一歩踏みしめながら歩き出す。
勘がはずれた時の落胆を予想しながら、そろそろ歩き・・
その勘が当たっていた時は静かな笑みを漏らそう。

勘に激しい喜びや悲しみは禁物。
所詮私の中の想像に過ぎないのだから…

♪遠い遠い記憶を たどってみるたび
  まるで昨日来たよな 気がする風景
  ・・・・
  ・・・・・・
  忘れかけた出来事 想いがよぎって
  後ろ髪を引かれた 夕凪の池に♪


勘のままに歩きだしいつまでも佇んでいたかったが、後ろ髪を引かれながらまたそこを立ち去った。

棚田の脇に咲くたちあざみ・・
その強さとけなげさが心に染みる。
強さと弱さを併せ持った人でありたいと、いつも思っている…

2006/06/10(土) 笑顔を与えてくれた二人の友
友から喜びの電話が一報入った。
最高の笑顔の彼女が目の前にいるようだ。
話を聞いて・・
彼女の喜びの訳を知る。
・・・それは最高の喜び。胸の高鳴り。ときめき。
明るい一言の裏に在った、たくさんの不安やとまどいが落ち着いたようだ。
We are just women.
彼女の喜びを自分のものとし、私もとても嬉しくなる。
よかったね。
本当に。
あなたの笑顔で、私の心も明るくなります。

感性が合う友達はいいものだ・・
別な友からすてきな曲を教えてもらった。

♪あなたのくれたぬけみちを くぐってそっと会いにゆく
  蓮華 菜の花 散る桜 花の頃なら許されましょう♪
  by さだまさし「ぬけみち」


何も聞かずこんな詩を教えてくれる。
すてきなあなたにめぐり逢えてよかった…

二人のすてきな友にお礼の一言を今

2006/06/09(金) 受動と能動
行動しようとしていることの先読みをしてもらうと、とても嬉しい。
約束をしていなくても、しようとしていることを分かってくれている・・
心が繋がっている証。
受け身の立場にいるというのは頼りなげだが、とても甘美な空気に包まれる。

反対に能動の立場はとても勇気がいる。
信頼を与え、受け取ってもらえる喜び。
手を差し伸べても空回りするかもしれない不安。
それでも先に走り出す。

この受動と能動が、うまい具合に交互にやって来ればいいのだが、
どちらかに偏るのが人というもの・・

常に能動でいることが多いと、だんだん不安になる。
いつでも手を引いてばかりいると、自信がぐらつくこともある。
その様な時は立ち止まって待ってみるのもいい。
受け身の安堵感を知ることができる。

♪もしかしたら僕を待っていたの 約束なんてしなかったけれど♪

待っているというのも、受動のように見えて実は大いなる能動と気が着かされる。
人として能動でありたい・・
そして女性として受動でありたい・・
そんな願望を持ってしまうが、いつでも走ってしまうのが私の性…

2006/06/08(木) 棚田
本日諸事情有り・・
書きたいことは後日回し。

棚田は新潟も美しいが、長野飯山の棚田も美しい。

2006/06/07(水)
探していた楽譜が見つかった。
もう何年も探していた。どのように調べても見つからなかった楽譜。

「鶴」 作詞 R.ガムザトフ  作曲 Ya.フレンケリ  訳詞 坂山やす子

♪私はふっと思う 傷つき還らぬ兵士ら
  異国の土に眠り いつしか白い鶴に
  ・・・・
  日暮れの霧の空を 疲れた渡り鳥飛ぶ 
  あの列の中の隙間は もしや私のために・・
  やがて鶴の群れとなり 碧い夕靄を飛び立とう♪


戦争で亡くなった恋人が鶴となり還ってきた、そして自分を呼んでくれている・・
そんな切ない曲だ。
旋律も美しく、悲しく、深い。

戦争のない時代に生まれ育ち、愛する人をどうしようもない力に奪われる悲しみを知らない。
「あの列の中の隙間は、もしや私のために」と思わずにいられない心の痛み。
想像の中だけでシチュエーションを思い描いてみるが、あまりに悲しくて胸が裂けそうになる。

戦争ではなくとも、愛する人が抵抗できない力に奪われたらどうしよう…
たとえば病気。たとえば事故。たとえば・・ たとえば・・
以前ならそれでも生きていく自信があったが、今はそんな自信はない。
一人で強く明るく生きていけるなんて、そんな強がりは言いたくない…

楽譜が見つかって小躍りしたいほど嬉しいのだが、
詩を読み返し悲しくなってしまった。
私を置いていかないと、そう信じている。
つないだ手はいつまでも離さないでと・・願う。

2006/06/06(火) 暴言
人を傷つける言葉を平気で口に出せる人達がいる。
腹には何もない、思ったことを口にしているだけ・・と言う。
善人なのか、悪人なのか・・
一度放ってしまった言葉は取り戻せない。
その一言でどんなに相手が傷ついても、放った言葉を回収することは出来ないのだ。

腹黒くなければ何を喋ってもよいというのか。
同じ事を言うにしても、思いやりを少し添えることは出来ないのか。

人を傷つけていることなど露とも知らず、そんな人達は今日もまた暴言を放つ。
自己中・・。
それが功を奏する時もあるけれど、人の心が傷ついて涙を流していてもあなた達には見えない。
その都度、少しずつ心が離れていく。

♪何気ない一言で ただ深く傷ついて
  そんなこと慣れたけど ちょっとだけ悲しくて
  ・・・・
  いつだって強がって もうずっとこのままで
  ・・・・♪
    by Tiga 「逢いたくて」

2006/06/05(月) 観世音菩薩
昨日の阿弥陀堂のある山道に、石像が点在している。
阿弥陀堂がフィクションならば、これらの石像はノンフィクション。
万仏山三十三所観世音・・・
1846年に西国三十三所観世音をこの地に造立したらしい。
数十メートルおきに山の上まで33体の菩薩が人々を見守っていた。

暗い杉林を背に木漏れ日を浴びて微笑む石菩薩の、なんと穏やかなことか…
江戸の後期当たりから、この地で人々の生活を穏やかに見てきた観世音菩薩達・・
さぞかし色々見てきたことだろう。
その何事をも受け入れてくれるような姿に、浄化される。
風になり、空気になる。
無に還る…

息をすることが許されたならば、
心臓の鼓動が許されたならば、
ものを想うことが許されるのならば、
この世に在ることが許されるのならば、
菩薩はどこへ私を導くのか…
どのようにあれと教えを説くのか…

心の声を聞いてみる。
聞こえるまで耳をすます。

2006/06/04(日) 阿弥陀堂
長野飯山の阿弥陀堂に行って来た。
大好きな・・
好きなどという言葉を越えた、心の奥深いところに存在する一本の映画・・
「阿弥陀堂便り」のロケ地。

「阿弥陀堂便り」脚本・監督 小泉堯史
          原作 南木佳士

この話はフィクションなので実際は阿弥陀堂として存在するものではない。
映画の撮影のために建てられたものだ。
しかし、原作の内容の奥深さ、素晴らしい場所設定、出演する役者の妙により、本当にそこに息づくような処なのだ。
今は緑に囲まれ、菜の花が咲き乱れ、遠く眼下に千曲川を臨む。

村の阿弥陀様を守る堂守、96才のおうめばあさん。
村人の死んだ魂はこの阿弥陀堂に集う。

「南無阿弥陀仏さえ唱えていりゃ、極楽浄土へ行けるんだと、子供の頃にお母さんに教わりましたがな、わしゃ極楽浄土なんぞ、無くてもいいと思っておりますよ。
阿弥陀仏を唱えりゃ、木だの、草だの、風などになっちまった気がして。
そういうもんと同じに、生かされているんだと感じて、おちつくでありますよ。」


おうめばあさんが語るこの一説が心に残る。
大きく、優しい自然の中に身を置くと、どうしようもなく小さな自分を見つけてしまう。
生きるために生かされている。
この万物の大前提を見失ってばかりいる日々。
自分の存在価値ばかりが気になる現世から遊離して、もともと存在価値などなかったのだという原点に返る。
自然の中に溶け込み、癒しの恩恵を受け、無に還る。
癒されるとはこういう事を言うのだろう…
自分を無くすことから始まり再び立ち上がる力を得るのだ。

俗世から遠く離れたような場所、阿弥陀堂…
今日もまたちっぽけな自分を見つけた…
たまには南無阿弥陀仏と唱えてみるのもいい。

2006/06/03(土) 新緑の中南魚沼へ
N友であり、高校の同窓生でもあるかなさんに会いに南魚沼まで行って来た。
高田から南魚沼までは車で1時間40分ぐらいかかるが、新緑の中車を走らせるのは、とても気持ちがいい。
昼は緑降り注ぐ中、夜は漆黒の闇の中、車を走らせてきた。
ナビのおかげで、迷うことなくかなさんが経営するパソコン教室に到着。

かなさんの仕事場であるパソコン教室はとてもアットホームな感じで、大変居心地が良い。人柄がしのばれる。
私の家の近くにあんな教室があったら、通いたくなってしまうことだろう。

高校生の頃の写真を見て、学校内の様子や懐かしい先生の名前、林間学校や文化祭、そんなことを同じイメージを持って語り合える楽しさをふるさとを離れた新潟で味わえるとは・・
めぐり逢いの糸の不可思議を思う。

色々な話を聞いてくれてありがとう。
電話やメールでは話し尽くせないことも、会って話せば感じてもらえる。
嬉しいことも悲しいことも言葉にしてしまうと、とても他愛ないことのように思える。
言葉にして口に出すのはとても大切なこと。
心の中でばかり言葉を転がしていると、実態のない塊はどんどん大きくなり、重くなってしまう。
聞いてもらえる人がいる・・とても大きな幸せをかみしめる。

♪埃にまみれた一人の少年が 
  今でも心の奥で ぷれーしてる
  のどを通るビールが やけにほろ苦くて
  そんな気持を 君は気づかぬ♪


すてきなめぐり逢いを連れてきてくれるNSPに今日も感謝する。
NSPが好きでよかった…

2006/06/02(金)
人の声に魔法が潜む。
文字からでは一方的にしか伝わらない心の機微も、声を通してならよく分かる。

満面の笑みをもたらせるのも声。
心の涙を流させるのも声。
涙を止めて元気を与えてくれるのも声。

声には色とニュアンスがある。
それがとても大切で確かなふれあいこそ明日への活力。
強がれば強がるほど、その裏で涙が止まらなくなる。
そんな心に日差しが・・
厚い雲間からだんだん太陽が顔をのぞかせるように、日差しが・・
それも人の声がなせる技。
不思議な力を持った声。

♪ララバイ 歌おうか ちょっと疲れただけ
  明日からは 明日からは また元気に笑おうね♪


この日記のタイトル・・
忘れていた。
目の前のことだけで泣いてばかりいるなんて私らしくない。
人の声にパワーをもらった。
私なら平気。
しっかりと立てるから。
また涙が流れたら声を聞かせて…

2006/06/01(木) テールランプ
点滅するテールランプ

それが道標

ついておいで ついておいでと いざなう二つの灯り

どこに行こうとしているのか

後をついて行く


空へ向かうテールランプ

それでもしっかり離れずついて行く

太陽の熱で焦げそうになろうと

宇宙の闇で塵芥になろうとも

テールランプが目の前で点滅する限り

見逃さないように

どこまでもついて行く


二つの点滅が消えた時

道標を見失う

彷徨い… 

漂い…

行方知れず


迷子にならないよう

テールランプの点滅・・

消えることないように・・

ただそう願う・・


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