明日も元気に笑おうね
NSPを想うmimiの個人的日記
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2006/01/31(火) エンドレスに流れる曲
若い頃新宿区の早稲田に勤めていた。
都電荒川線、「早稲田」の隣の駅が「面影橋」。
銀行へ行った帰りなど自転車で遠回りして「面影橋」へよく行った。
若い頃には歌詞の切ない意味は理解し得なかった。
ただ橋へ行き、心の中で口ずさんで帰ってきた「面影橋」。
今この歳になるとよく分かる。曲の中の世界。
面影橋は今でも同じだろうか?
今の私がそこに立ったらどうだろう。似合うだろうか?
イメージだけとばしてみる。まだいけるかな?

♪ルールも友達も約束もみんな棄てて 君をああこのまま抱いていたい 面影橋で♪

この曲、素敵すぎる…
心の中でエンドレスに鳴り続ける…

2006/01/30(月) 香りの記憶
目に焼き付いた記憶・・目を閉じれば浮かんでくる。
耳にこびりついた記憶・・耳を澄ませば聞こえてくる。
感触の記憶・・いつまでも肌に残る。
香りの記憶・・実に曖昧。思い出そうとしても思い出せない。
          
空気に漂よい、そこにいた香り。
そのかすかなものに全ての記憶がよみがえる。
形もなく、イメージすらなく記憶の中から消されたかのようなもの・・・香り…
曖昧さの裏に、強烈な記憶を抱きかかえていることに気づかされる。
形を、色を、音を伴いそこで私を待っていた…
つかもうとすると、もうそこには無い、香り…
一瞬の喜びの後にはまた曖昧な記憶に戻る、香り…

残り香…しまっておけるものなら箱に閉じこめておきたかったけれど、一瞬私の身を包み、もうどこかへ飛んでいってしまった。
それでいいのだと自照する。
形もない、イメージすらない残り香の跡を探して空気をつかんでみる…自分の滑稽さにかすかな笑みが漏れてしまう。バカだね…

2006/01/29(日) 星空
降りそそぐ様な星空…
深い息と共に心のシャッターをきる。
透明な空気の中にあらわれる、オリオン座、カシオペア座、北極星…プラネタリウムにいる様な満天の星空。
名を知らない星々の美しさに息をのむ。
「輝く」・・この言葉を実感として身にまとう喜び。

星の美しさに息を飲んだのです。
久しぶりに見ました。漆黒の中に大きな光り輝く星空。
とても忘れられない…言葉で表すと光が輝きを失う様でこわい…
目に焼き付け一人で楽しむことにします。寄せ来る波の音と共に…

♪どんな幸せを幸せと呼ぶのか
  どんな偶然を奇跡なんて呼ぶのか 夜の星々に答えを探すよ♪


フェアリーテールを見つけるまで探していればよかった…
見つかれば願い事を祈れたのに…

本日N友新年会。
心の通い合う充実した時間を過ごさせてもらった。
目と目とを合わせ、時間を共有し、声の中に想いを感じ取る。
これに尽きる。

2006/01/28(土) いたわり、ありがとう
友の気遣いの言葉をかみしめ思う。

私にはいくつかの顔を使い分ける特技がある。
人であり、妻であり、母であり、娘であり、家を支える母ちゃんであり、職場の人間であり、女であり、そして肩書きが何もつかない私。

その場その場でやり遂げなくてはいけない諸々の事。
やらなければいけない事だらけで、出る幕のない顔もあった日々。
あえて背筋を伸ばし、何吹く風と胸を張る。
それはそれで心地良い。
そこから得られる信頼の情は、生きていく上でかけがえのない財産である。
しかし、女であり、肩書きを持たない私がいつも顔を出したがる。
この顔は生活のニュアンスで、家族や職場には全く無用なのだ。

何よりも苦手なこと「立ち止まる」と言うこと。
いつも何かに向かって走っていたいのだ。
走っていると見えてくる私の存在価値。
立ち止まると見失う、そんなはかない存在価値。

今人生折り返し地点。第二の青春。
今こそ女である喜びを感じ周りを見回したい。
若い頃の失敗を糧に、素敵なことは素敵だと声を大にして叫びたいのだ。
肩書きのない私はとても軽く、背筋を伸ばす必要もなく、どこまでも走って行かれそうだ。走りたくて… 走りたくて…
涙を閉じこめる必要もない。それもまたいい。

ねぇ、私が力を抜いている様に見えたとしたら、その時こそ一番危ないのですよ。呼吸が止まっているかもしれないから…
私の中の火が消えそうな時なのだから…

♪私の中で 紅く燃えてる 星が熱いの 熱いの♪
谷山浩子さんの「夜のブランコ」今夜は何回も聴いている。
何回も何回も聴いたおかげで心が落ち着いた。
これでどうにか歩けそうだ…(Thank you!)

2006/01/27(金) 昨日を振り返り
昨日1月26日は我々NSPファンには記念すべき日。
2002年1月26日に、NSP復活コンサートが開かれたのだ。
そして今…
復活コンサートDVDに書かれた天野さんの言葉が心に痛い。

「以前の様にがむしゃらじゃないかもしれない。ゆっくりとした出発かもしれない。僕らはこんな姿で歩き始めます。
動きのないNSPを楽しんで下さい。」・・・


本当に動きのないNSPになってしまうなんて…誰が思ったろう…

OPENがモットーの私も、昨日は口にする気になれなかった。
が、昨晩HANANCHIで私のため(?)に流された「見あげれば雲か」。
はなさんは偶然流してくれたのだろうが、とてもとても心にしみた。
コロちゃんバージョンの「見あげれば雲か」…
前進を促された気がした。
NSPの、天野さんの詞は毎日どこかで顔を覗かせる。
曲は想いを連れてきてくれる。
心に満ちて幸せな時もある。なお辛くなる時もある。
それでもいっぱいの想いを託して、曲はいつでもそばにある。
その後ろにはNSPがいつもいる。
素敵なめぐり逢いのきっかけNSP。
10代、一人で楽しんだNSP。
あれから30年余、こんなおばさんになった私を見て、あのころの私はびっくりするに違いない。
大丈夫、ちゃんと10代の私も連れて歩いているから…

2006/01/26(木) 見上げれば
♪愛する事は 他に多くの 犠牲や偽りが 必要なんだ・・・見上げれば雲か♪

どうしようもない心、
ざわめき、さざ波が寄せて寄せては引く心、
自分でもてあましてしまう心、
それでも離したくない心…
そんな時空を見上げて、流れていく雲に想いを乗せる。

見上げれば星か 見上げれば風か 見上げれば空か

空の大きさに心の安らぎを求める。
私の大切な曲NSPの「見上げれば雲か」。
今日も涙と共にかみしめる。

「行動した事を後悔するよりも 行動しなかった事に後悔する」
ネットラジオのHANANCHIより頂いた言葉。
まさしく私そのもの。
時折、暴走しすぎて我を見失う事もある。若い頃は特に…
今は、ダッシュし始めると、路上の観客のようなもう一人の自分がいる。
何も言わず、私の所作をじっと見ているのだ。
そのおかげで並足に戻れる。
平常心を取り戻し、空を見上げて深呼吸を一つ。ため息も一つ。
行動しなかった事に後悔する・・・その言葉を支えに今夜も空を見上げる。
・・・見上げれば 星か・・・

2006/01/25(水) 優しさにふれて
本当は今は26日0時45分です。
諸事情で日記を書くのが遅くなりました。
ついさっきまで覇気のある言葉を書くつもりでいました。

でも、今日は「HANANCHI」のオンエアー日。
はなさんに 「あなたに逢いたくて」byコロちゃん をリクエストしていたので流し始めました。

コロちゃんのオリジナル「バス停」「ルイーゼpart1」いいね。

そこから先はなさんのハートがスッーとわたしに届きました。
「ハナミヅキ」徳永さんバージョン…
「面影橋」そして「あなたに逢いたくて」コロちゃんバージョン…
言葉で言わなくても、人の優しさって感じられる…
はなさんの思いやり、優しさ、しっかりキャッチしましたよ。
ありがとう…
今夜は胸がいっぱい、泣いてもいいかな…
普段は私は泣かないよ。
でもね、はなさんに触れるとだめだな。涙腺ゆるんで…

明日も笑うために掲示板に載せた写真ここにも置こう…
空を見上げるためにね。

2006/01/24(火) オルゴールのマスター
夕方買い物の前にオルゴールへ立ち寄った。
夕闇の中で手招きしているぼんやりした灯りに誘われて…

ここのマスターは吸い取り紙のようなお人柄だ。
人の心から滲み出てしまうものだけ吸い取ってくれる。
「話したい事があったらオルゴールに来て話しな。誰にでも話しちゃだめだよ」
私が何か話したそうに見えたのだろう。そっとこう言ってくれるのだ。

なんて優しい言葉…
マスターには見えているのかもしれない、私から滲み出てしまう行き場のない想いが…
滲みすぎて流れてしまいそうになったら、マスターに聞いてもらおうか。

帰り際マスターはこうも言った。
「人は目と目と合わせて、心を通じ合わせる。それが一番大切」と。
なんとマスターもNSPではないか。(マスターはNSPは知らないのだが)

♪目と目とがあって 感じあって たったそれだけの事で…♪

やっぱり私がオルゴールに行きたくなる理由は、ここにあったのだ。
マスターの煎れてくれる珈琲は、ほどよい苦みとマイルドさが基本。
人柄が表れている。強い主張のない味が、夕闇の灯りと似ている。
行くたびにマスターのお人柄に癒されている。
いつもありがとう。そのうちマスターにだけ聞いて貰うかもしれない…流れてしまいそうになったらね。
まだまだ大丈夫。大人だから…

2006/01/23(月) 吹き荒れる雪の向こうに
今日は霰のような雪が一日吹き荒れている。
道も景色も凍り付いてしまった。
雪かきなどしても意味なさないかのように次から次へとたまってゆく。
気持ちが萎え、元気が無くなっていくと幻想の世界が見えてくる。
雪の向こうにか、私の心の中にか、クリアビジョンで見えてくるのだ。

木漏れ日を送る太陽と、折り重なり繁る樹々。
暖かな陽の光の中に緑豊かに両手を開いて迎え入れてくれるように…
♪僕のところへおいで♪
と言ってくれているように…

幻想の世界への甘美な甘えか?
グレーに染まる景色ばかり目の当たりにしているから、暖かな色彩が恋しくなるからか?
弱気が連れてくる水魔の手招きか?

こんな日はいくら明るい曲を聴いても無意味だ。
どうせなら思いっきり幻想に浸っていよう。
この手に木漏れ日の暖かさと樹の温もりを感じられるまで…


お知らせ
コロ吉さん、コロすけさん、いろいろな名前を使い分けるコロちゃんの「コロ吉のユーザーページ プレイヤーズ王国」、リンクアップしました。NSPはもちろん、オリジナル曲等、歌っていらっしゃいます。透明な歌声が聞きたい方、ど〜ぞ。

2006/01/22(日) ネットはすごい
インターネット。
20年前には思いもよらなかった情報伝達方法。今では感服するばかりである。
そもそもPC自体計算機能として作られたのに、いつからこのような形の物になったのだろう。(私はワープロとして使っていた時代が長いが)
そして、たった今私もこうして皆さんに話しかけている。
これはいったい何者なのだ!
家にテレビが来た40年以上昔、テレビに人が映るのが不思議で横からよく覗いた。真空管が見えるだけだったが…
今その時と同じ気持ち。
私がキーボードをパチパチ打つだけで、どうして皆さんの顔がディスプレイに映ったように見えるのだろう。
皆さんが発信してくれる想いが、どうして私の心に伝達されてくるのだろう。
まか不思議!ミラクル!手品!マジック!
家で家事をしながら、普段着のまま、ノーメイクで世界中の情報へアクセスできるのだから…言葉に表しようがない。

でもね、こんな事では女は美しくなれないのですよ。
やっぱり顔を合わせ、見られているという緊張感がなければね。
人と人が目を合わせる。そこから生まれる心のつながり。信頼感。
それが素適な人を作り、いい男、いい女を育てると信じています。
それが人としての基本ですから…
人の目の力、これには何者もかなわないと思っています。

2006/01/21(土) 見継ぐ
今日は親しい友人と新年会。
ぽつりぽつりと語り始めると、普段は心に秘めている事、次から次へと出てくる。
バカ騒ぎも楽しいが、しっとりした新年会も乙なものである。
帰りは小雪。嫌気のさしている雪も何故か幻想的に見えてくる。

先日友人と話題になった事、「貢ぐ」について。
男に貢ぐ、女に貢ぐ…
物やお金を相手に与える事。心まで与える事か?そして得られる自己満足。
結果を恐れない見切りの良さには脱帽するが、私はそこまでのめり込めない。…たぶん。
貢いだ事がないので分からない。

「貢ぐ」は「見継ぐ」が変化した言い方だそうだ。
「見継ぐ」・・見続ける事。最期まで見届ける事。by広辞苑
こちらの意味はとても素敵だ。
静かな、ひたむきな愛があるね。
私も誓います。
あなたを、あなた方を見継ぐと… いつまでも見継ぎます。
顔を合わせては言えない事も、文でならば言える事に感謝。

2006/01/20(金) 春をみつけたい
♪そこに春がかくれてる 見つけた 見つけたやっと見つけた
手をかざしてみると春じゃなかった 氷るような 冬だった♪


さすが大寒。全国的に氷っているらしい。
私の手は氷ついたままで、少しも温まらない。
胸の鼓動はこんなに早いのに… と思う。

高田から見える妙高、火打、その他の山々、雪山そのものと憤然としている。
これでもかという雪景色を目の前に、思い描くのは初夏のブナ林である。
松之山温泉近くにある「美人林」というブナ林。

重なり合うブナの樹、樹。

静寂の中にある温かな安堵感を思い出す。
そこに身を置くとこぼれてくる日差しがくすぐったく、
蒼い空気が全身を流れ、浄化されるのだ。

氷ついた手をブナの樹に当てて温もりをもらう夢を見よう。
初夏の美しい、たくましいブナ林。恋しいね。

松之山温泉入り口近くに、ジャズ一色のそば屋さんがあります。
そば屋なのに珈琲がすごく美味しい。
わき水でいれているそうだ。
マスターもジャズっぽいのに何故かそば屋さん。このアンバランスもちょっとおしゃれかな?

2006/01/19(木) 想いについて
想いの深さを計るのに秤が必要ならば
貸して欲しい。
想いの質を分けなければいけないのなら
見分け方、教えて欲しい。
自分の中の想いの数々に耳をすましてみる。
どれが大でもなければどれが小でもない。
優先順位を決められるのが大人なのか?
分かっていても無視するのが人なのか?
想いの渦に巻き込まれて沈んでゆくのが私なのか?
渦の上を上手に歩くのが私なのか?
誰か教えて欲しい。

今日は空気が凍みる。人の温もりが恋しい夜である。


お知らせ
リンク2件追加しました
藤根鍵市さんのHP。81才に成られる方です。人生を享受できますよ。昭和の生活も教えて頂けます。
http://www.geocities.jp/fujineken/

ご存じ「天中平」のバンマスKAZUKIさん&奥様チーコさんのHP。NSPファンなら訪問した事ありますよね?
http://www2.ttcn.ne.jp/~egawa/index.html

2006/01/18(水) 私の趣味 合唱
今日から「雪んこ」という混声合唱団に本格的に参加する事にした。
私は18歳の時から子育てなどで休みつつも、どこかの合唱団で活動を続けている。高田に越してきてからは初めて。(PTAコ−ラスは参加しているが)
人と声を合わせるのはいい。特にア・カペラなどで6重奏などしたら、ハ−モニ−の厚みに脳天がクラクラ来る。
そこに至るまでの練習も苦しいが楽しい。また音程のピッチが悪い自分が情けなくもなる。

楽器の中で一番すばらしい楽器は、人の声だと思っている。(楽器をやる方、ごめんなさい)
自分の体全体をピッコロにしたり、ユーフォニュームにしたり。
それが自分の思うようにならないのは、どの楽器も同じかな?

私は何故合唱を続けるのか…
歌が好きなのはもちろんである。組曲を仕上げドラマを誕生させるのも素適だからだ。
そして何よりも、人の声に自分の声を溶け込ませる、一体化させる。その瞬間がたまらないからだと思う。

今日はNSPの曲の中に自分を溶け込ませ、一体化したい…
その曲… 心の中で鳴り響く…

2006/01/17(火) 抱きつき魔
私は自他共に認める抱きつき魔である。
外国の方のように、会うとすぐにハグしたくなる。
中二の息子にまで、おはよう、おかえり、おやすみ、その度にハグハグの始末である。
息子は小さいときからの習慣で黙っているが、内心はいかに?
職場の仲間は慣れたもので、「おはよ〜」と両手を広げて迎えてくれる人もいる。そんな時は朝からヒシッと抱きしめてしまう。

日本にはあまり無い習慣。スキンシップ。
私が突然抱きしめようとすると、ほとんどの人はびっくり仰天の顔になる。
しかし、ほとんどの人がすぐに慣れて返してくれるようになるのである。
やはり誰もが人の温もりが恋しいのだろう。
人の心はすぐには読めないが、温もりを分かち合うと懐疑心だけはなくなるのだ。
人との付き合いの中で心をOPENにするのは危険な時もあるが、
せめて私の抱きつきを受け止めてくれた人には、OPENでいたいと思う。
そうすれば人と人の間に沢山の花が咲き乱れる事であろう。

そんな訳で、ここに訪れて下さる皆さん。
お会いした時私が抱きついても、優しい眼差しで受け止めて下さいね。
決して変質者ではありませんから。
皆さんの温もりを感じたいだけですから…

2006/01/16(月) 愛、贈りたいのです
「愛は与えて忘れるもの。」それ以外は愛とは言わない。勘違いしてはいけない。

たった今頂いてきた言葉。
昨夜のHANANCHIの管理人、はなさんのお母様の言葉である。(はなさん、勝手に頂いてごめんなさい)
先日「無償の愛」について書いたが、私の想い全てが詰まったこの言葉を胸にしまいたい。

私は人一倍手が小さい。そこに加えて家事や仕事で手がやせ細ってきて節ばかりが目立つ。

♪君の指が細すぎるので 雪をつかむとすぐに凍ってしまうんです♪

こんなおしゃれな指はとおに昔の事である。
しかし、そんな手でもこぼれるほどの愛を持っている。
今まで巡り逢えた人達から頂いた沢山の愛。
N友の言葉「仲間が笑顔であることが、一番いいのです」…
昨夜頂いたばかりの湯気のたっている愛。ありがとう。
私もこぼれるほどの愛、分けてあげられればいいと思う。
周りの人達に…あなたに…あなたに…
出来る事ならサンタクロースのように眠っている隙にそっと枕元に置いてこよう。
誰からの贈り物か分からないように。
目覚めたときその人が幸せな気持ちでいてくれたらいいと思う…

今日は別なテーマで書くつもりだったが、素適な言葉に出会ったため急遽変更。
皆様に私の愛が少しでも届きますように…

2006/01/15(日) ネットラジオ
私が昨夜から舞いあがりすぎて、ハイテンション状態なのをご存じの方は又か…と思われるかもしれないが、それほどの感動という事でご容赦頂きたい。

Radio Days全盛期に青春を歩いていた私は、ラジオという言葉にとてもセンチメンタルな響きを感じてしまう。
夜中に聞こえるDJの声の心地よさと、同じ時電波で繋がれている顔の見えない仲間との連帯感。
その時代の素適な曲。
そのすべてを一気に思い出させてくれたネットラジオ。

HANANCHI(リンクに貼ってあります)


天中平ライブ放送があると知り、喜び勇んで飛び込んでいったが、ちょっとしたアクシデントで最初は聴けなかった。
PCとは面倒なもので…これも遠くの電波を探り当てるという事なのか?
半分諦めていたが、「聴けない」とBBSで嘆いたもので、管理人はなさんと天中平のKAZUKIさんが優く導いてくれた。
その温かさが心の琴線に触れる。
そしてやっと聴けるようになった時、届いたはなさんの優しい声が心に雫を一滴落とした。
そこから広がる波紋。懐かしい夜の記憶がよみがえる…
ゆらゆらと揺れながらも満ち足りていたあのころの夜。

天中平さんのライブは音源もよく、生演奏を聴いているようで言葉にならない…NSPはもう聴けないかもしれないと思うとなお心に染みた。
涙が流れるのは夜に紛らわしてしまおう…
ライブ放送が終わってからもPCの前を離れられなかった。
流れてくる曲が優しすぎるのだ。はなさんの選曲、私を泣き虫にしてしまう。
センチメンタル一色に染まってしまった私。
素適な一夜をありがとう…はな〜♪さん。

結局朝4時まで聴き、7時には起床して母の私に戻ったのであった。
でも今日一日「HANANCHI」流してましたよ。次から次へといい曲ばかりでしたね。
ラジオファンに戻れて嬉しいmimiです。

2006/01/14(土) 待つ
「松の木小唄」という歌があるが、NSPとはかけ離れているので、知らない人もいるかもしれないと思い、ちょっと一節。

♪松の木ばかりがまつじゃない 時計を見ながらただ一人 今か今かと気をもんで あなた待つのも まつのうち♪

とまあこんな歌なのだが、この歳になって初めてわかるこの歌の空間とゆとりである。
待つ事の楽しさ。期待感。時間の中に尚ふくれ高まる感情。
それを楽しめる自分がいる。

若い頃は自分勝手なもので、待つのにもゆとりがなかった。
天野さんも歌っている。

♪いくら待っても待っても 待っても待っても 待ってもこない♪

焦りと苛立ちが絶望感を呼び起こしていくのだ。そして相手も自分も傷つけていく。いい子な顔して何でもないように装うと、なお深みにはまっていったものだ。
今の私には「待つ」のは素適な事なのに、若かりし私はなんと情けなかった事だ。

携帯電話の無かった昔、駅の伝言掲示板によく書かれていたな。「もう待てません。さようなら…」みたいな文句。

穏やかに、静かに、音楽を楽しむように待つ。
何時までも待つ。見切りの時など無いのだ。

空の高みの方々も私たちを気長に待っている事だろう。
何時までも待っているから急がなくていいと、言ってくれるに違いない。

今日N友と逢えるかと思っていたが、都合でお流れになった。
でも待っている時間、楽しかったよ。
そして今度逢える時まで待つのが又楽しいね。

2006/01/13(金) 今日もオルゴ−ルへ
降り続けた雪もやっとおさまり、グズグズ雪でできた轍も少し無くなった。
愛車のデミオはFF車。轍には本当に弱いのだ。
買う時にケチらず4駆にすれば良かったと悔やまれるが、後の祭りである。

高田の街は今日は一斉除雪、排雪の日であちこち通行止め。
勤務している会社も関係先の到着が遅れる事から今日は早上がりとなった。
こんな日は決まってオルゴ−ルへ。友人3人も一緒。

駐車場に着くとマスタ−のにこにこ顔が出迎えてくれる。
狭い店内の暖房はスト−ブのみ。その上の大ぶりなヤカンから湯気が上がっている。
NSPの「いい」が頭に浮かぶ。
♪スト−ブが燃えて 僕の心もとけて
 スト−ブの上のヤカンがふいて♪
NSPは本当にどこにでもいるのだ。

友人達と会社の事やら家族の事やらおばさん会話を交わし、さて帰ろうかというとき、マスタ−が私にそっと一言。
「何かいいことあったでしょ。わかるよ」と。
畏るべしマスタ−。だてに人生積んでいない。
顔に出ているのかと思い聞いてみたが、
「何となくわかる」との答えだった。

いいこと…ナイショノハナシハアノネノネ
口元がゆるんでしまうようないいこと…アリマシタ

2006/01/12(木) 分岐点を思い返す
「音楽 夢くらぶ」という番組を見ながら・・・
今日は中村雅俊さんとさだまさしさんのコラボ。
私は若い頃舞台俳優になりたくて、文学座によく遊びに行っていた。知り合いの団員さんがいたからである。
私の知り合いと中村雅俊さんは同期生で、まだペイペイの頃の中村雅俊さんのサインをもらった事がある。
「もし俺が売れたら価値が出るよ」と言ってサインしてくれた。
その後本当に売れ出して、まさか言葉の通りになるとは思いもよらなかった。
あのサインどこに行ってしまったのだろう。実家のどこかにあるはず…

文学座に行くと強烈なオ−ラがあちらこちらに光っていて圧倒された。
こんなオ−ラは私には無いと思い、俳優の道は断念した。
今思えばオ−ラは徐々に身につけていくもので、最初から華のオ−ラを持っている人など極僅かなのだが。
その後いくつかの分岐点があり、その都度よかれと思う方に歩みを進め今に至っている。
今別な道を選んでいたらどうなっていただろうと思う。
新潟の高田で雪堀はしていないかもしれない。
しかし以前にも書いたが、私にはこの土地に来る必然性があったのだ。
となればたどり着くところはやはりここになるのか…
別な道も見てみたい気もするが、家族も含め今ここにめぐり逢っている人達が今の私には何よりも大切。
小指の糸で繋がれた人達とたぐりあい寄せる運命。
その大前提の元に人生のレ−ルは引かれていくような気がする。

2006/01/11(水) あなたにもたれて見たい物
昨夜から雪が降り続いている。
水をたっぷり含んでとても重たい。気温が上昇している証拠だ。
これぞ高田の雪!
一人で雪を掘っては捨て、掘っては捨てを繰り返していると、とても弱気になってしまう。
雪と一緒に元気まで捨ててしまうようだ。
無性に誰かに頼りたくなる。「疲れた」とつぶやいてしまう自分がおかしくもある。
私はこんなに弱音を吐く人ではなかったような…

自分でも気が付かない自分の本音があるものだ。
本音ばかりをぶつけてくる天野さんの詞ばかり読んでいるからなのか?
雪のせいなのか?
・・・

でも、♪あなたにもたれて 雪でも見たい夜♪
本音でこれは絶対無い!
あなたにもたれて見たい物、今なら…八分咲きの桜かな。

2006/01/10(火) 深い吐息の中に
ほんの一言が全身の血を逆流させる
あまりの速さに目眩がしてくらくらする
そして訪れる胸のざわめき
扉の向こうから聞こえる声に 耳を貸そうか 貸すまいか
深い吐息の中に今日は眠る


こんな日のNSPは切ないね。
どの曲も全部自分に思えてくる…

2006/01/09(月) こもりうた 「ゆりかご」
トップペ−ジに音楽が流れるようにした。
できればNSPが流れるようにしたかったが、何かと無理があるようだ。
さて何にするか… 素材屋さんをいろいろ当たって見つけた曲。「ゆりかご」
この曲は私にとって、NSPとは別な癒される曲である。

♪ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ♪

深い、温かい、懐で眠る安らぎ…
あなたの安らぎはどこにありますか?
誰もが一日の終わりに安らぎに抱かれて眠れますように、願いを込めて「ゆりかご」を。

…子供が小さい頃添い寝しながらよくこの歌を歌いました。しかし歌う事に真剣になりすぎて、余計にうるさかったという失敗談もこの歌にはあります…

今日「牧村」というところの親戚の家に行った。
高田から12qぐらい離れたところであるが、あまりの雪の多さに立山連峰かと思ってしまった。(笑)これは降り積もった雪ばかりではなく除雪した雪も重なっているが、それにしても凄い!

2006/01/08(日) 表紙を付けました
この日記と「見上げれば雲か」「夕陽を浴びて」開設1ヶ月を記念して表紙をつけました。

題してNecessary Special Penfriends
略してNSP!

これからはTOP画面から両方の掲示板へ飛ぶ事が出来ます。
リンクはこれから了解を取りながら追加していきます。

そして肝心な事!表紙を作ったのはもちろん萌@娘です。
写真の画質が荒いから色がでないとか何とか、ぶつぶつ言いながらも作ってくれました。感謝!!
最大限にmimiの要望を聞いてくれました。再び感謝!!
これからちょっとずつ付け足したりなんだりしますので、よろしくね。

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2006/01/07(土) 本日粉雪の乱舞なり
朝から粉雪が上から横から下から吹き付けた。
おかげで夕方には、またしても降り積もった雪がかさを増している。
やってもやっても切りのない作業に、東京に住んでいた時が懐かしくなる。
何故この様な苦労をしてここにいるのだろう…
そんな想いが脳裏をかすめる。

でも、答えは見つけているのだ。
それは、この家の祖先がここにいたから。
私は結婚するまでは各家族の家庭に育った。しかし嫁いだこの家は遡ること何年か定かではないが、代々絶やさず受け継がれた家なのだ。(家柄がいい訳ではないけど)
この意味するところはとても重い。
DNAの問題ではない。途中途切れそうになっても、誰かに受け継がれて、守られてきた家だと言うことである。
そんな家に、何かの縁で私が今関わっている。
霊感があるわけではないが、祖先たちの想いが伝わってくるのだ。
「守って欲しい。残して欲しい」と。
現在の我が家は祖先が住んだ山を離れ、街中に建っている。
が、その場所を離れても家に残る想いの強さ。しっかりと受け止めている。

私には新潟高田に来なければならなかった深〜い訳がある。
ここに来なければいけなかった理由、知る人ぞ知るなのだが、この話は機会があったら私の口から聴いてもらいたい。
ここにいる意味を足下に引きずり、明日も雪堀りしよう。

♪雪の降る夜 土曜の夜に まつげの雪がとけて ながれて♪
今日は土曜の夜。NSPの「風信子」が心に流れる。

2006/01/06(金) 方言はいい
本日、年明け初出勤。
朝いろいろ用事をしていると、先輩のOさんが私の元へ。
彼女は何時もキビキビしていて、歯に衣着せぬ物の言い方をする。
私はそこが大好きだ。
新年の挨拶もそこそこに彼女の開口一番。
「おまん、太ったねや」
そして続けて
「餅ば−か食ってるすけ、顔が丸餅みたいになるんだわね」
どきっ!やはりそうであったか。
実は少し前から顔のラインが変わりつつあるのを気にしていたのだ。
彼女の言葉に冗談や偽りがないのは、日頃の付き合いでよく知っている。
そして最後に彼女はこう言って去っていった。
「人の倍働けば痩せるすけ、がんばんないや!」
はいはい、人の倍ですね。
私は何時も人の1.5倍は仕事をしていると自負しているが、どうもそれでは足りないらしい(笑)
ストレスが無いせいなのか?

しかし方言とはいいもので、彼女の言葉を標準語で言われたらきつ〜〜く聞こえる事であろう。
ムカッ!とくるかもしれない。
それが方言で言われると、笑いに変化するから不思議だ。
私は東京生まれなので「下町言葉」で喋る時がある。
これがこちらの方々にはきつく聞こえるらしいのだ。
なるべく注意して、間違えても「すっとこどっこい!」なんて言わないようにしている。
私の言葉は、新潟方言&東京方言&東北方言のミックスした変な言葉なのだ。最近はもっぱら高田方言になっているが…
もっとシャ−プになるすけ見ててくんない!Oさん。

今日はNSP平賀さんのお誕生日。
52才おめでとう。
3人の中で、若い頃より一番ダンディーになったのが平賀さんだと思う。
ますます、いぶし銀のようないい味になって下さいね。
そして平賀さんの明るさに救われます。

2006/01/05(木) 遊印
昨日某大手スーパーを歩いていると、はんこ屋さんの店の奥からなにやらオーラがでている。
私は実はその正体を知っている。昨年存在を確認したけど、あえてスルーした品物。
「遊印」 そこに刻まれている「彩雲」の二文字。
「彩雲」はNSPのアルバムのタイトルなのだ。
オーラの正体はそれだ。私を手招きしている。

日本語は美しい。
真っ白だった雲が少しずつ染まり彩かに色づいてゆく自然の情景をたった二文字で表してしまう。・・・彩雲
天野さんは情景描写の感性が素晴らしいと常々思う。
そして、そのオーラに惹かれるまま店内に入ってしまった。
そして今は私の元にある。(もちろん購入したのだ)
さて、この遊印何に使ったものか…
私は書もやらないし、絵が下手くそなので絵手紙というわけにもいかない。
しかし印というものは捺印して初めて印というものであろう。
こうなればメールばかりしていないで、手紙でも書こうか…
そして最後に朱で「彩雲」と印すのだ。
いいかもしれない。私の雅号はいつから彩雲になったと思われることであろう。
遊び心たっぷり!
「遊印」とはよく名付けたものだ。

2006/01/04(水) 無償の愛
娘とカラオケに行った。
今日初めて歌った歌。「ハナミヅキ」・・・一青窈さんのナンバーである。
無償の愛を歌った曲。心に響いた…

無償の愛、見返りを求めない愛。
一方通行でも与え続けられる愛…
親の子供に対する愛はもちろん無償の愛。それがなければ親なぞやっていられるものではない。
男と女の間ではどうだろう。
見返りなど求めない自分に満足している事が多々ある様に思う。私の場合だけど…
その時点で、すでに無償とはいえない。やっぱり難しいね。
これが夫婦となり、年月を重ねてくるとまた違ってくるから不思議だ。家族にはやはり無償の愛を与えられるのだろう。

そして…
遠い空へ旅立った人たちへ与える愛。
これも無償の愛。
声に出さなくても、手紙を書かなくても、届くよね。
「ありがとう。愛しています。」その一言を送り続けたい。
返事はいりません。私の想いだけ届けばそれでいい…

「天国の本屋」という映画を以前見た。竹内結子さん主演の映画だ。
遠い空にある天国のお話。そこにある本屋は朗読を聞かせてくれる…心が安らぐ映画だった。
旅だった人たちの世界が、本当にこの映画の様だったらとても素敵だ…

2006/01/03(火) 不良通り
高田に吹き荒れる吹雪の合間を縫って、喫茶店「オルゴ−ル」に行ってきた。

新年のご挨拶の後、マスタ−とお喋り。なごみの一時…。

「オルゴ−ル」は高田公園にあるお堀から小道にそれたところに建っている。
気をつけなければ見後してしまいそうなのだ。
近辺には高校が二校有るため、歩き煙草の高校生達が大通りは通らず、「オルゴ−ル」前の小道を通るらしい。
または近所でたむろ煙草をしている…(火事を出されては困るので、マスタ−はオルゴ−ルの駐車場で吸えと言うのだそうだ)
マスタ−いわく、名付けて「不良通り」  ナイスネーミング!

高校生の歩き煙草、たむろ煙草はまったくもって感心しないが、
NSPの「17才の詩」を思い出す。
♪授業さぼって茶店に入り 煙草を吸ったら こんな気持ちのいい事はなかった♪
昔の子も、今の子も、変わりはないようだ。
違うのは、昔の子は悪いと知りながら反抗してみる。そんな点だろうか。
今の子は…私は今の子ではないのでよく分からない。あえてノ−コメント。

NSP三人そろった最後のコンサ−トで、
天野さんが「17才の詩」を久しぶりに歌ったと言っていた。
すでに自分の中にはない世界だと。
しかしDVDで見ると、この上ないノスタルジ−が溢れていて実に良かった。
50才を過ぎて出せる味だったと思う。
私も今、若い頃の自分を傍らに置いて歩いている。
今の自分をあの日の自分に戻し、あの日の自分をここに連れてくるのだ。
もどかしく頼りなげな不安に安らぎを与え、
面の皮が厚くなりそうな自分に、胸の鼓動を思い出させるために。
そうすれば「愛している」と言い続けられそうな気がする。

2006/01/02(月) 初稽古
朝から上越剣道連盟主催の剣道初稽古会があった。
上越地区の子供からご老体までの面々が顔をそろえる。
体育館の中は寒いが、そこがまた気が引き締まり気持ち新たになるのだ。
何の行事よりも新年を感じるのである。
私自身は剣道はやらないが、息子のおかげで剣道のすばらしさを一緒に感じさせてもらっている。
年配の先生方は皆80才に手が届く方ばかり。その風格から竹刀を通して人生を享受するのだ。
小さな子は4才ぐらいのちびちゃん。自分も育ててもらった恩を思いだし、ひたすら打たせてあげる。がんばれ がんばれとエールを送る。
こんな幅広い年齢層を持つスポーツがあるだろうか。
しかも、4才の子に稽古をつける時でも、先生方は子供に向かって「お願いします」と挨拶される。
向き合う相手に礼を尽くすのだ。たとえ小さな子にでも…

礼節 謙虚 思いやり 勝っておごらず負けてくさらず そして昨日の我に今日は勝つべし。
剣道の美徳をあげたらまだまだある。武道を超えたものを人生の糧にしていくのだ。

初稽古の後、上杉謙信が奉られている春日山神社で武運を祈願し、林泉寺にて謙信が書いた書「第一義」を心に刻み込んできた。(宝物殿が閉まっていたため山門のレプリカしか見られなかったのが残念!!)  

2006/01/01(日) 2006年幕開け
一陽来復

今年もどうぞよろしくお願い致します。

新潟県高田 本日いつにない快晴!
昨年の雪、雪、雪の天気はどこへやら。
喪中ではあるが初詣とは関係ないだろうという事で近くの榊神社に参拝に行ってきた。
家内安全、無病息災、縁故の方々の幸福を祈願し破魔矢、車に付けるお守りを頂いてきた。

一年の計は元旦にありというが、子供の頃はあれこれ考えあぐねたものだ。
しかし今この歳になってみると、「出来るものはおのずと出来、w出来ないものはやはり出来ない」「なるようになるサ〜」と開き直ってしまう。
そんな考えも気楽でいいものだ。

昨年は大切な人達がたくさん亡くなった。
まだまだ生きていたかったろうと思う人達ばかりである。
今年は彼らの命日が巡ってくるたび心が痛む事であろう。
その度にこうして元気に生きている自分。
その素晴らしさ、ありがたさを感じ彼らの冥福を祈っていこう。


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